日本銀行総裁選出のひとつの話題


 bewaadさんからフォローをいただいた。ありがとうございます。ところで僕は「陰謀」を非公式活動と定義しているので、これを僕の定義自体が公式活動も含めるとするbewaadさんの議論は読者に誤解を招くだろう。単に僕のblah,blah,blahをbewaadさんが定義すると、非公式活動ではなく公式活動であり、それが情報開示されていないだけである、といえばすむと思われます。


 ところで武藤前副総裁は、情報開示されていない活動で、日銀役職員の間で日銀に利益をもたらし、日銀役職員の間に次期総裁への期待を高めたことになる。もちろん他にも日本銀行総裁の選出にあたって情報開示すべき重要な点があるというbewaadさんのおっしゃるところは正しい。しかしそもそもこの論点はbewaadさんが持ち出してきた話題であり、各陰謀論論破の論点であった*1。僕はこの論点の重要度に疑問をもっていた。しかしこの「国会対応のノウハウ」という論点が、bewaadさんの中で重要度が低いという認識であるならばそれはそれでかまわない。むしろこんな重要度の低い問題で武藤前副総裁に日銀内部や市場関係者に「期待」が高まることを笑い飛ばせばいいのではないか(笑えないならばまじめに批判すればいい)、と思う。


 最初のbewaadさんのエントリーでは、おそらく多くの読者が武藤前副総裁の欠かせない機能、または財務省出身者が政府との調整を果たすのに欠かせない機能を担っており、その意味では正副総裁どちらかにそのような財務省出身者がいる「べき」である、という議論につながるように読めたのではないだろうか? この懸念は僕の懸念ですんでいればいいと思う。


 ちなみに僕はこのブログでも再三書いているが、総裁を「誰に」するか、というのはそれほど重要度は大きくなく、重要なのは「何をするか」であると指摘してきた。その「何をするか」の判断においても、下記にbewaadさんが定義された「国会対応のノウハウ」などはほとんど総裁(副総裁)の資質として意味をなさない。


 この武藤前副総裁が情報開示されていない行為(読者には非公式活動も「陰謀」も情報開示されてない活動も何か同じ内実を異なる意匠で言い換えただけにしか映らないにせよ)で、総裁選出に有利になったという。しかも上川さんの本の援用で、日本銀行はまだ国会対応の点で独立ならぬ自立をどうもしておらず、それを補うという制度上の極めて重要な役割を武藤副総裁が担っていたとするならば、そのような行為は情報公開すべきなのが原則に思える。


 しかし他方で、そのblah,blah,blahは、bewaadさんによれば「国会議員にどういったタイミングで接触すればよいのか、誰にどういった順番で接触すべきか、等々の経験則 長年の接触により培われた信用」ということであり、これは情報公開になじみにくいものだろう。


 この情報公開になじみにくく、かつ重要度が低いということでは合意がある「国会議員にどういったタイミングで接触すればよいのか、誰にどういった順番で接触すべきか、等々の経験則 長年の接触により培われた信用 」をもつことが、総裁選出の望ましい資質であると日銀役職員、市場関係者から期待されているとするならば、そんなものは日銀総裁(副総裁にも)に必要がない資質である、と僕であるならばいうであろう。


 「国会議員にどういったタイミングで接触すればよいのか、誰にどういった順番で接触すべきか、等々の経験則
長年の接触により培われた信用」の蓄積が不足し、日本銀行の役職員がそのために蓄積を補うために頑張らなければいけないとするならば、それは頑張っていただきたいとしかいえない。そのような努力を代替する役割を、総裁や副総裁の資質や能力に期待するような日銀関係者や市場関係者の在り方にこそ、批判的に論及することこそが重要ではないだろうか。そうでないといつまでも「誰を」(おそらく財務省出身者でないとダメ)という議論から抜け出ないように思えるのだが。

*1:ところで陰謀論と名指された人たちのエントリーを読んだ印象は陰謀論とはどうも思えなかった。これも陰謀の定義がないとなかなか議論は難しいのだろう。