日銀の独立性を侵すのは、例えばインタゲ論争への無理解ではないか?


 ネットのニュースのトップで見かけた以下の論説の書き手にこそ僕にはよくよく日本のインタゲ論争を学んで欲しいと思う。


http://diamond.jp/series/tsujihiro/10020/?page=2


 このブログを読んでいる人ならばとっくに察しがついているように中川秀直氏のインタゲ論や日銀の独立性に関する議論(中央銀行には目的の独立性ではなく手段の独立性がある)など、その核心部分は暗黒卿高橋洋一氏の影響があることを。もちろんインタゲも上記論説とは反対に、日本のほぼすべてのインタゲ論者は伸縮的インタゲ論者であり、おまけにリフレ政策の幅広い手法のひとつとしてか考えていない。こんなこの論説が批判しているような厳密なインタゲのルール化のようなものは、例えば2000年ぐらいの『金融政策の論点』(東洋経済新報社)あたりで散見される程度である(うろ覚えなのであとで修正するかも)。


 少なくとも01年から僕が見てきたインタゲ論争というのはまさに景気回復のための枠組みであり、厳格なルールよりも伸縮的なルール。このことは昨日の矢野さんのエントリーを見るまでもなく(もちろん矢野さんのエントリーと上記論説を比較すればたちどころに明瞭に)、すでに刊行されたいくつかの邦語文献、バーナンキ高橋洋一訳と詳細な解題)『リフレと金融政策』、田中『ベン・バーナンキ』、岩田規久男飯田泰之『ゼミナール経済政策入門』などで明らか。


 僕はこういう不十分な証拠に基づくインタゲ論争の誤解釈こそが、かえって論争を歪め、日銀の独立性に関する議論を曇らせると思う。ネット上では『facta』編集長が位置しているインタゲ論の理解ぐらいないと、ジャーナリストがいまの日本の経済論争をまともに語ることはかなり難しい。できるのはせいぜい床屋政談程度だろう。


 ちょっと『ベン・バーナンキ』のファイルが見当たらないので、見つけ出したそれ以前(05年か06年初めごろ)に書いたものからコピペ。これで冒頭の論説がいうような厳格なルールとして日本のインタゲ論者(僕はその中のもっともマージナルな存在 笑 なのでそれよりも上級者は当然もっとまとも)が伸縮的なルールとして考えていたことがわかるだろう。

: バーナンキインフレターゲット論の主要内容は、1)フレームワーク、2)コミュニケーション戦略 のふたつで構成されている。フレームワークとは、先ほどの制約された裁量と同じであり、金融政策をいかに行うかについての「ベスト・プラクティス」(最善の実践)であるという。

 「制約下の裁量のもとで、中央銀行は、経済構造と政策効果について知識が不完全なことに注意を払いながら、短期的な混乱は無視してでも生産と雇用の安定のために自主的に最善を尽くせます(これが制約下の裁量の「裁量」部分です)。しかし決定的に重要な条件は、安定化政策を実施するにあたり、中央銀行がインフレーーそして、それゆえ国民のインフレ予想をしっかりとコントロールするという強いコミットメントを維持する必要もあるということです(これが制約下の裁量の「制約下」部分です)」(『リフレと金融政策』邦訳39頁)。

 そしてこのようなインフレターゲットは金融政策が通常、半年から1年半ほどの政策ラグを伴って効果があらわれるために、先行して経済主体の予想をリードしていくという性格を色濃くもった期待形成のフレームワークでもある。

 例えば、今日のアメリカ経済の低インフレの好循環が成立している背景には、まさに低インフレ予想がキーであるといえる。その反対のケースが70年代の石油ショックのエピソードである。産油国の石油価格の戦略的値上げによってコストプッシュ型の激しいインフレが起きたというのが定説である。しかしバーナンキは実際には石油価格の高騰が各種財やサービスのコストを引き上げたことによってインフレが多少は悪化したのは事実であるが、むしろそれよりも深刻だったのは家計や企業がFRBの金融引き締めが不十分であることを予想し、それが高いインフレ予想を招き、そして賃金値上げや製品価格値上げに移行した、という見方を立てている。むしろFRB石油ショックに直面する以前の金融緩和姿勢もそのような経済主体の高インフレ期待を促したともバーナンキは指摘している。

 実は日本でも石油価格の高騰が70年代の「狂乱物価」を引き起こしたとする通説が根強い。しかし小宮隆太郎は「昭和47,48年のインフレーションの原因」の中で日本銀行石油ショック前の行き過ぎた金融緩和政策とその後の引き締めの遅れがこの「狂乱物価」の犯人であり、日銀の政策の遅れが(小宮はバーナンキのように期待の経路は明示していないが)企業や労働組合などに製品価格上昇や賃上げに走らせた、と述べている。そして70年代末から80年にかけての第二次石油ショックの影響が軽微だったのは、日銀が過去を反省していち早く強い金融引き締めスタンスを採用したことにあり、それに応じて(これも期待の経路は小宮では不明確なのだが)労働組合や企業も賃上げなどのコストプッシュの要因をおさえるべく、労使協調路線を採用することでこの事態を乗り切った、と書いている(小宮隆太郎『現代日本経済』東大出版会)。

 アメリカの方はボルカー元FRB議長の1979年における断固たる“タカ派”的レジーム転換で、徹底的に高インフレと闘ったことで、その後の低インフレの好循環の基礎ができた、とバーナンキはボルカーの業績を評価している。しかし、このボルカーのタカ派へのレジーム転換が社会的にきわめて重いコスト(=失業率の増加)を伴ったことを指摘することをバーナンキは忘れていない。

 ボルカーの行った「ディスインフレ」(高いインフレ率を抑えて低インフレにすること)政策が、積極的な名目利子率と実質利子率の引き上げによって実行され、それが80年代に入ってインフレ率の劇的な低下を見る一方で、それと見返りに10%にせまる高い失業を生み出してしまった。バーナンキはこの70年代のインフレ予想形成の失敗がいかに社会的コスト(失業)を生み出したのか、このような失敗を今後しないためにも経済主体の予想形成が金融政策の欠かせない要素になると力説している。

 第二の要素のコミュニケーション戦略であるが、中央銀行が国民や市場参加者に対して政策目標、フレームワーク、経済予測を事前に公表することで、中央銀行の政策に対する信頼を醸成し、さらに政策責任の明確化と政策の決定過程とその帰結の透明性をはかろうというものである。このことが少なくとも政策当事者の行動とそれを予測する民間主体の不確実性の減少に貢献することは疑いがないであろう。

 ところでこの「ベスト・プラクティス」としてのインフレターゲットがアメリカに導入される見込みはどうであろうか。従来、インフレターゲット導入への反対の論拠として、連邦準備制度の目的規定(連邦準備法2A条)とのダブルスタンダードになるという点をあげて反論するのが一般的であった。

 「連邦準備制度理事会及び連邦公開市場委員会は最大雇用、物価の安定及び緩やかな長期金利という目標を有効的に推進するために、生産を増加する経済の長期的潜在性と均衡する通貨及び信用総量の長期的成長を維持する」

 と連邦準備法にある。これはかってのハンフリー・ホーキンズ法の趣旨を反映した条文であるが、議会にもこの雇用と物価の両方への重視が強いことはすでに述べた。このようなダブルスタンダード批判について、バーナンキはここでインフレターゲットの柔軟性を強調し、雇用と物価双方にどんなウェイトづけを行っても首尾一貫したインフレターゲットの援用が可能である、と断言している。バーナンキ議長の意思が強固なことが伺われる。:


 邦語で読めるインタゲ論争の基本書で現時点のおススメは以下。拙著はプロフィールを参照のこと

リフレと金融政策

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ゼミナール 経済政策入門

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