池尾愛子『赤松要』、野口旭の雁行形態論、広域経済論の陥穽


 今日から研究書執筆の傍ら積読本の解消に努める所存です。積読状態の契機になった(笑)「ポル・ポト」は夜には読み終わるかと思いますが、朝一で読破したのは、池尾愛子著『赤松要』日本経済評論社。赤松要の貢献は三点あると思われます。


1 綜合弁証法 2 雁行形態論 3 「第三の窓」としての研究所開設


 本書は1については赤松自身の発言を引用するのみでまったく意味がわかりませんでした。その意味では赤松論としては失敗作です。なぜなら2も3もそして赤松の業績のほとんどすべてが彼の独自のヘーゲル哲学の批判的検討とその成果(綜合弁証法)に基づくものだからです。赤松の綜合弁証法の応用例としては、私は、このエントリーでwertとseinの綜合としての「生存権の社会政策」という観点からまとめましたので参照してください。


 2については、本書でも非常に丁寧に主要著作が整理されている。ただし赤松の発言や後年の自身の注釈をそのまま地の文として適用するのみで、著者の解釈が施されているかといえば、それはあまり行われていない。そのため雁行形態論がいったいどのような学説史的な見取り図の中にあるのはわからない(もちろん池尾は今日に至るまで雁行形態論に触れた専門研究を列挙紹介しているが、単に文献名を挙げただけである)。


 3は本書の貢献として重要なものであるが、赤松は「第一の窓」を図書館、「第二の窓」を自然科学における実験室や天文台、「第三の窓」を赤松自身が積極的に開設した産業調査室は各種政策研究機関として把握した。これも赤松自身の綜合弁証法に基づくものであろう(池尾本ではその点は曖昧である=綜合弁証法自体の解釈を避けている反動がここに顕著に現れている)。「第一の窓」はwertの世界であり(=既存理論の集積)、「第二の窓」はseinの世界(既存事実の集積)であり、それを綜合する「第三の窓」とは理論に立脚した上での実証分析(過去の理論や事実の集積の上に立った新しい理論を新しい事実の発見として開示する場ともいえる)の世界である、と私なら解釈する。しかし池尾では唐突にカール・ポパーの「世界1,2,3」論が適用されているが、これはほとんど関係ない。池尾は図書館を「世界1」=物理的実在、「世界3」=推論などの抽象的なもの、の両方に属するとしているが、赤松解釈としては無論のことポパー解釈としても意味が不明である。赤松の研究調査の戦時中の話やまたそれの延長ともいえるマライ独立運動の経緯は興味深いものがあり本書で精彩を放つものであることは救いとなっている。


 ところで本書で一応整理されている2の雁行形態論は、ここでも書いたが野口旭さんの解釈がわかりやすい。また小島清も類似の解釈を提供している。池尾本では残念ながら上にも書いたが今日の経済理論との繋がりがまったく不明である。

 もう一度、過去のエントリーの関連部分を以下に掲載する。

野口旭『グローバル経済を学ぶ』の雁行形態論解釈:

 赤松要の雁行形態論をヘクシャー・オリーン(HO)モデルで理論的に見通しよく理論的基礎を提示したところ*1


 雁行形態論は、一国の産業の盛衰パターンを描いたもの*2であるが、それはHOモデルの特徴である各国における生産要素の存在量比率、各国の要素集約性という概念によって簡単に説明できることが本書で書かれていて、現在の多くの東アジアの経済発展論の実証的基礎である雁行形態論にすっきりした理論的見通しを与えています。



 例えば、開発途上国のほとんどは当初、労働が豊富。ゆえに繊維産業などの労働集約的な産業に比較優位をもつ。そのうち資本の蓄積がすすみ資本豊富国になる(=要素賦存比率の変化という)、すると今度は資本集約的な産業が比較優位をもつ、従来の労働集約的な産業は衰退産業になる……。



 またハイテク産業に顕著なように、その産業の技術的な特性も変化する(=要素集約性の変化)。例えばハイテク製品などの成熟段階では標準化、モジュール化、生産工程の分割化などの生産コストの削減などを想起されたい。それまでその財の技術について豊富な蓄積のあった国(日本やアメリカ)がその財に比較優位をもっていても、成熟化の進展によって標準化・モジュール化によりコスト削減に関心が移り、このことが非熟練労働の集約性を高めて、生産工程の一部がアジアに移転することがある、このことでもそのハイテク製品の要素集約性が変化することで一国の産業の発展衰退という雁行形態の説明のロジックを補うことになる*3


 以下続く(赤松の広域経済論の破綻、もし広域経済論の「遺産」があってそれを今日に生かすならば資源獲得・政治的安定・イノヴェーションの刺激 といった側面でみるのではなく、それらが広域経済論の背景になった植民地化またはブロック経済圏の政治的強制によってむしろ実現できなくなる可能性があることを強調すべきなど書くつもり)
 

*1:各国は相対的に自国に豊富に存在する生産要素を集約的に使用する財に比較優位をもつ

*2:新製品が国内市場に登場、国内生産は開始されず技術導入の時代+外国からの輸入増加 → 国内市場拡大、国内生産開始、国内生産>国内需要になる輸出増加 →  国内需要は鈍化、輸出拡大での国内生産増加 → 後発国との競合で輸出成長率鈍化、国内生産減少 → 海外製品の国内輸入が増加、国内生産の顕著な減少 という一連のシナリオ

*3:このHOモデルをつかった雁行形態論の説明は実は相当にえぐいことをしている。なぜならいまでも多くの日本の開発経済学者たちはこの雁行形態論を日本独自の代替的理論だと思っているが、それが経済学の標準装備のHOから説明できてしまうことになるわけだ。