インフレ目標と量的緩和は背反してません


 まあ、本質が荒しなのでスルーするのが基本ですが、どうもあまりご理解いただけない(するきもない)人たちがネットだけで通用する新規な解釈を流布しているここ数日みたいですね。ある意味、平和な光景ともいえますが。とりあえず簡単に書いときましょう。


 量的緩和政策への評価と日銀の政策への評価についてです。


 現実に日本で行われた量的緩和の効果はあるが不十分。インフレ目標を明示し、長期国債買いオペを増額せよ、というのが量的緩和政策解除の前からずっといってた少なくとも日本のリフレ派の合意(例えば僕の『ベン・バーナンキ』でも高橋洋一訳解説のベン・バーナンキ『リフレと金融政策』を参照)。


 さらに日本銀行総裁のスタンスをみると、前総裁は論外として(量的緩和政策を決めたがその政策効果に一貫して懐疑的な態度を表明していた)、福井総裁の就任直後の積極的な量的緩和政策(それと平行してあった為替介入)をデフレ回避として評価していたのがいままでのリフレ派のスタンス(参考、野口旭『エコノミストたちの歪んだ水晶玉』)。その後(04年以降)は漂流する日本銀行の政策フレームワークというのが少なくとも僕や安達さん、高橋さんたちの立場。今回の『経済政策形成の研究』もそう。


 クルーグマンがどんなフリードマン解釈をしたか知らないが(読んでない)、量的緩和政策が効果ないなんて少なくとも僕のみている(昭和恐慌研究会グループ+高橋洋一)人たちは発言していない。


 「インフレ目標か、量的緩和か」という二択はほとんど意味をなさない問いの形式であり、さらにクルーグマンのいっていることをすべて正しいなんて誰もいっていないわけです。クルーグマン教ではないのです。そういうイメージ操作だけに必死な人は多いですが。


 仮にクルーグマンが批判されているように(繰り返しますがまだ論争対象の諸論文読んでない)、量的緩和政策に効果がまったくなく、インフレ目標だけが効果があるといったとすれば、それは正しくはないでしょう。別にそれでリフレ派が失うものはなにもありません。日本のリフレ派のもの何にも読んでないんだよなあ。


 ちなみにリフレ派なんて称号はわざわざひとつの政策群を呼称するために作成された言葉で、正しくは国際標準のマクロ経済学からでてくる政策群なのです。リフレ派はスタンダードではないとか、なにか極端に特殊だ、と思うことは少なくとも経済学の勉強を少ししていればいえないことも自明です。これは蛇足ですが付記しておきます。


(付記) わぁお! 知人がメールで教えてくれたけど、この上の文章みて、クルーグマンが「正しい」と僕がいっているという奇妙な思考の人がいるそうです。なんともはや。経済学以前に日本語の理解でおてあげ 笑


 それと僕のブログのコメント欄に朝からへんなブログみて刺激された変な人たちが書き込むので削除大変だし。いままでどおり、迷惑コメントはIPさらして削除します。IPさらす場所はmixi。いままでもこれからもその方針です。