書評:福井秀夫著『司法政策の法と経済学』


 先週の『週刊東洋経済』からの転載


 日本の司法制度・政策を経済学の基本的な考えから分析した切れ味するどい著作である。私たちの身近な関心事(定期借家権、反社会集団に占拠された競売物件の問題など)が豊富に取り上げられていて読みやすい。また本書が法的な制度や法解釈を判断する際の基準にしている経済学の考え方は入門レベルのものであり、本書でもその都度丁寧に説明されていて経済学をまったく知らない読者でも通読できる仕組みになっている。


司法政策の法と経済学

司法政策の法と経済学


 例えば司法試験は政府による法曹専門家の量的な制限であり、試験がない場合に比較して法律サービスの価格を高いものにしている。試験が保証するという弁護士の質もむしろ市場での評価で判断した場合の方が社会的なコストが低くてすむ。またそもそも弁護士への需要が大きいのは、政府(官僚)の制定する法律が曖昧なためであり、日本の司法制度が歪んでいるからである、という指摘も重要である。今日、メディアでしばしば話題にされる裁判員制度も、日本の司法制度の欠陥から目を逸らしてしまうおそれもあるという。本書でも指摘している、日本の司法制度の欠陥の最たるものである検察と法務省の人事交流による癒着、そこからくる司法政策の中立性の破綻は、裁判員制度での民主的統制で解決できる問題では確かにないだろう。


 本書を貫く経済学の基本原理は、コースの定理である。簡単な例を示すと、近隣でマンション建設をしている建設業者や施工主と、その建設で騒音・日照権の侵害など不利益を受けている周辺住人が、取引費用(例えば建設側と住民たちが交渉するときに雇う弁護士の費用など)がないときには、国が介入せずに両者の直接の交渉で話をつけた方が効率的である、という見方である。建設側はマンション建設の便益が500であり、周辺住人の不利益が800であれば、周辺住人が600を建設者に支払ってマンション建設をやめさせることが両者の厚生を改善し効率的な結果をもたらす。もちろん実際に取引費用が発生するのが普通だ。コースの定理からは司法改革や制度の設計が取引費用をできるだけ最小化するように行わなければならないことがわかるのである。もちろんコースの定理は効率性と規範とを厳しく分けているので、さまざまな規範や価値判断(上記のケースでは住人たちは「被害者」なのに支払い者になるのは「常識」からおかしいなど)との調整も必要であろう。本書ではこの点についても審議会の公開や討論の徹底と情報の開示を執拗に求めていて説得的である。


 本書を読み終わった読者は経済学のもつ有効性と著者の容赦ない舌鋒に爽快感を抱くだろう。