経済学者が忘れた弔いの言葉

 http://d.hatena.ne.jp/fhvbwx/20070330#c1175407629に至るまでのfhvbwxさんとのやりとりから思ったこと(むこうのコメント欄に長々書くのも申し訳ないのでid.TBで)ですが、ほんの四半世紀くらい前までは日本の経済学者たちにとって文学はいまより格段に身近であり、それは余暇の楽しみではなく、むしろ自分たちの本業にかかわる時代認識あるいは社会を語る言葉として重要でした。言ってみれば文学は経済学の油断ならぬライバルであり、また事実上、時代を教えてくれる先達でもあったのです。


 ここらへんの文学と経済学の関係に最も自覚的だった人は内田義彦でしょう。彼の代表作『日本資本主義の思想像』をはじめとする多くの著作には、小説が時代を先駆し、小説の認識を経済学が受け継ぐ、あるいは影響を受けるという関係が描かれていました。内田のようなかって日本の論壇で活躍した文学的経済学者Literary Economistは日本の経済学者の主流であるビジネスとして経済学を利用する人たちにほぼ完全にその地位を奪われ、いまは論壇で活躍している文学的経済学者は皆無に等しいといっていいでしょう。それと同時に文学と経済学の時代をめぐる緊張関係といったものも死滅しました。小説を書く経済学者や経済学のような小説を書く人は今後も現れるかもしれませんが、文学と経済学という異なる思想のあり方がもつ緊張関係というものではないでしょう(これは言い換えれば文学と経済学がどちらが優劣のあるツールであるかを争っている構図と理解するのがいいかもしれません)。


 僕がこのことを強く感じたのは、ほんのしばらく前のある老人の死からです。その老人の名前は木下順二といいます。『夕鶴』や『オットーと呼ばれる日本人』などの戯曲を書いた劇作家として主に知られている人です。木下氏が終戦間もない頃、管理人として寄宿していた東大の寮で培った交友、大塚久雄、内田義彦らとの関係は、さきほど書いた文学と経済学の緊張関係、両者がたがいに影響しあった生産的な関係を生み出しました。例えば内田の著作には木下の作品そのものへの言及や作品から影響をうけた著作が豊富です。大塚の作品における文学のもつ位置は、いまでも簡単に手にはいる『社会科学における人間』などをみればよくわかるのではないでしょうか(木下との影響関係はどうだったのでしょうか興味があります)。


 内田や大塚、そして同じ学問サークルの住人だった丸山真男森有正らはすでにこの世にはいません。そして木下の作品が日本の経済学に与えた影響をその弔いの言葉とともにあらためて注意を促した経済学者はいませんでした*1。僕自身もここでそれをやっているつもりはまったくありません。ただfhvbwxさんとのコメントのやりとりを書いていて、いつの間にか日本の論壇に決定的な影響を与えた文学との結び付き(時代を描くツールとしてのいずれが生き残るかともいえる緊張関係)を、いまの経済学者は弔いの言葉とともに忘れてしまった、と思ったのでした*2

 

*1:もちろん僕の知る範囲でですが

*2:それがいい、悪いという評価は僕にはつまらない問いに思えます。むしろこの忘却を忘却のままにするのは惜しいと思うのでした