本当に明確なのか? JMM飯田コメントを読む

 JMM新年号をいま出がけにみて、首をひねる。特集の経済格差問題なのだが、僕がこの面子でいつも読むのは飯田さん、土居氏、たま〜に山崎さんぐらいである。今回もこの三人しか読んでいない(ほかのひとも面白いかもしれないが情報の非対称性ゆえわからない、スマソ)。


 かなりつまずいたのは飯田さんの以下の発言

< 次に、(2)の問題は日本の雇用制度に由来します。正社員の雇用は社会保険・年
金といった明示的なモノから解雇権濫用法理による解雇の困難にまで及びます。正社
員を雇用するための費用には制度的に「これ以上下げることが出来ない」部分が多く
含まれます。その結果、正社員の労働需要は労働供給にくらべて過小になりがちで
す。その結果、同一の能力を持ちながら「いす取りゲーム」に負けてしまったことで
非正規雇用下で働かざるを得ない人が生じます。その是正のためには、従来の「正社
員/非正社員」といった離散的な雇用区分ではなく、使用者・労働者間の都合に合わ
せた多様な働き方をサポートする契約、雇用法の整備が急がれます。>

から

<このように解決の必要性とその手段が明確な水平的格差に対して>


という話にはくびを傾げざるを得ない。「これ以上下げることが出来ない」部分を解消する必要性がある、と経済学のデフォルトから発言していると思うのだが、「これ以上下げることができない」部分がうまれた背景には、「使用者・労働者間の都合に合わせた多様性」が結晶した部分が多く占めるがゆえに、この問題の水平格差の是正が飯田コメントがいうように効率性を高め、また「正義」をもたらすかどうか実はかなり難しい問題がある(少なくとも論争点が存在する)というのがむしろ自明なのではないだろうか?


 ここでの具体例では、解雇権濫用法理による解雇の困難を除去せよ、ということだろう。また正社員・非社員ともに現行の年金や社会保険などを認めないと解釈することが可能であろう。前者の方向は僕はわりと支持しやすい(それでも突っ込む議論はあるのかもしれないがよく知らない)が、後者は「明確」かどうかはなはだ疑問であり、「正義」の中身で議論があり、また効率性を本当にもたらすのか、論争になろう(「これ以上下げることが出来ない」部分を解消する、ことが効率性を損なう可能性に言及した論文は枚挙に暇が無い)。つまり明確でもなんでもないように思えるのだが。