石牟礼道子『苦海浄土』第2部


 献本いただく多謝。


苦海浄土〈第2部〉神々の村

苦海浄土〈第2部〉神々の村


 現役の作家のうち最も運命的ともいえる磁力を発する文体をもつ石牟礼さん。下は僕が以前書いた書評(Elleの遺跡の方にもあるけどほかの文章の中に埋没してたのでここに再録。苦海浄土第二部の書評にもなっている)。ご本人からはこの書評を読まれて「経済学者」が書いたということで驚かれたみたいですが。


(書評)『石牟礼道子全集』
 石牟礼道子 藤原書店

 評者 田中秀臣

 1961年は日本人がすべて年金に加入した「国民皆保険」元年として知られている。日本の福祉国家の幕開けともいえるかもしれない。私はこの年に生を受けて、以後まさに高度成長時代の光と影と共に幼少時代を過ごしたといえる。60年代の子どもたちにとって「公害」は、夏になるとどこからともなく流れてくる光化学注意報のアナウンスの音だったり、アスファルトを幽気のごとく漂うスモッグやそれが引き起こす喘息への恐怖であったりした。授業やテレビでは、乱開発や垂れ流される廃液・排煙が社会問題化していた。当時のゴジラの敵役は「公害」の日々にふさわしいヘドロの怪物であった。そんな時代に「水俣病」という名称は、子どもの想像を超えた過酷で奇異な公害病として印象に強く残っている。もうテレビであったか映画であったかさえ記憶が定かではないが、鼻先を地面にこするように頭から激しく回転する猫の映像、かっと見開いたまままばたきもせずに虚空をみつめる少女の硬直した四肢、そして狂ったような突然の発作。これら灰色の心象がこの時代を生きた多くの人の胸に刻まれたに違いない。だが時代は、「公害」という共通体験を風化させ、かっての子どもたちをかなりくたびれた中年にしたてあげた。その風化のありようは、私たちが決して公害を、ましてや水俣をかって体験しなかったし、知りもしなかったことのなによりの証左であるともいえた。


 そしていま目前に、石牟礼道子氏のあまりにも圧倒的な全集が刊行されはじめた。まさになにものかが憑依し生み出した、という表現がふさわしい。40年という歳月をかけて完結した『苦海浄土』三部作をはじめ、初期著作集、天草の乱を題材にした『アニマの鳥』などの小説群、詩歌や新作能、そして自伝など、全17巻(ほかに別巻)は、読者に物言えぬ深い沈黙を強要するであろう。感動というよりも畏怖という沈黙を。


 「ここは奈落の底でござすばい、墜ちてきてみろ、みんな。墜ちてきるみゃ。ひとちなりととんでみろ、ここまではとぼきるみゃ。ふん、正気どもが。ペッと彼女は唾を吐く、天上へむけて。なんとここはわたしひとりの奈落世界じゃ」


 水俣チッソ工場から排出された有機水銀汚染によって、脳を神経を肉体を想像と現実が許すかぎり無残に破壊された彼と彼女が、作者にまさに憑依することで、人と人が共感するために生み出した言語を超える、常ならざる情念と怨呪の世界を築き上げた。逝ったものたち、これから逝くであろうものたちに送る鎮魂の書である。