『ベッカー教授、ポズナー判事の常識破りの経済学』、脂肪税とエロマンガ規制

 御本頂戴しました。ありがとうございます。本書はノーベル経済学賞受賞者のベッカーと、連邦裁判所の判事ポズナー両氏によって運営されているブログのエントリーから興味深い題材を収録したものであり、前著『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』に次ぐ二冊目の日本版の登場である。

 今回も高齢にもかかわらず両者の現実の経済をみる眼はするどい。大学ランキング、治安の民営化、水の効率的利用、臓器市場の問題、男女の産み分け、中国におけるグーグル問題、リーマンショック以降のアメリカの経済政策や欧州の財政危機などをテンポよく分析していく手腕は感心する。日本の経済政策についても冒頭での日本語版序文でとりあげられていて、そこではやはり日本の経済政策の稚拙さが焦点になっていると思う。規制緩和や税制、社会保障の見直しも冷静に指摘されている。

 ところでベッカーは脂肪税(飽和脂肪酸を多く含む食品への課税)に対して反論を行っている。これは非実在青少年規制やエロマンガの規制などにも、援用可能な議論だと思う。ある種のマンガを読むと精神的な堕落が発生すると考えることと、本書における飽和脂肪酸を多く含んだ食品をとると肥満になるという議論は、両方ともに政府の介入の合理的な根拠を見出すのは難しい(とベッカーの議論を利用すると結論づけることができる)。

 飽和脂肪酸を多く含んだ食品への課税を考えてみよう。これはその食品の価格を上昇させ、消費量を低下させるだろう。しかしベッカーは飽和脂肪酸を多く含んだ食品をたべる楽しみを軽視すべきではないと指摘する。飽和脂肪酸を多く含んだ食品を食べる個人的な楽しみが、それを食べることによってもたらされる社会への負の効果を上回っているのではないか。

 ベッカーの反論はこの飽和脂肪酸を多く含んだ食品を楽しむ点を公的介入論者が見落としているという点をあげただけではない。さらに飽和脂肪酸を多く含んだ食品が肥満をもたらすにせよ、その肥満がはたして健康に悪いのかどうかわからない点も指摘している。

 またベッカーはさらに極端なケース(肥満が大きな病気をもたらすと仮定する場合)でさえも、公的介入を支持するとはかぎらないとする。例えば肥満で健康を損ねた人がいて、その治療に税金がつかわれる場合には一見すると脂肪税は税金節約に効果があるとみなされがちである。しかしこのような納税者の問題を除けば、公的介入の余地がない、とベッカーは断じている。

 いままでの議論をエロマンガと精神的な堕落、もしくはエロマンガと性犯罪などと置き換えてみると面白いだろう。ベッカーは脂肪税には合理的根拠がなく、人々は悪影響とそれを消費する喜びとを比較考量して飽和脂肪酸を多く含む食品を消費している、と指摘する。例えばエロマンガを読む楽しみとそれがもたらす悪影響を比較考量して、多くの人たちは読んでいると考える。ここで社会的な負の効果が存在するか、その(個人的な楽しみと比較した際の)大小関係が規制の根拠になる。

 脂肪税のケースでの納税者の負担に該当するものがあるだろうか? 日本のエロマンガ規制は明瞭な社会的な負の効果を検証することなく、いたずらにエロマンガを楽しむ行為を制約してはいないだろうか?

 ちなみにベッカーは単に肥満な人をみることに嫌悪感を抱くという類の理由は公的介入のまともな根拠にはならないと断じている。同じように、単にエロマンガを読んでいる人への嫌悪感も公的介入の根拠にはならないだろう。

ベッカー教授、ポズナー判事の常識破りの経済学

ベッカー教授、ポズナー判事の常識破りの経済学

西森路代『K-POPがアジアを制覇する』

 K-POPに焦点をあわせてはいるが、日本、韓国を中核にしたアジアのアイドル市場の変化を描くことにも注意を払っている意欲的な著作だと思う。本書が特に精彩を放っているのは前半であり、例えば日本のアイドルと韓国のアイドルを比較した箇所はとても勉強になった。例えば「フック」(人が生理的に反応してしまうようなメロディーや歌詞を意識的に多用している曲」と「ハイコンテクスト=お約束の多さ」で、日韓のアイドルを比べている。

 西森氏によれば、日本のアイドルはハイコンテクストが必要不可欠の条件だが、そこにフックもまた両立しやすい。特に日本ではハイコンテクストの中に、ファンが「育てる」という要素が入っている。韓国ではフックが必要不可欠であるが、最近では日本的なハイコンテクストをもつアイドルも登場してきた、という指摘とその実例は興味深い。

 女性アイドルに傾斜している僕の好みからいうと、東方神起についての本書の記述は知らないことが多く参考になった。多様な話題が縦横無尽に展開しているので読んでいて飽きないが、あえていえば第4章の文化論的なところはやはり全体から浮き出ていて読みずらかった。また参考文献をまとめているところは立派だが、ここも注文したいことがある。まず刊行年が未記載であること、雑誌中の記事は慣例的には「」で括り、単行本の『』括りと分けるのが望ましいだろう。それといくつかの論点がかぶり、また先行する著作(例えばありていにいって僕の本 笑)が登場しないのは少し残念なことである。

K-POPがアジアを制覇する

K-POPがアジアを制覇する

岩田規久男『デフレと超円高』

 今週水曜日(3月2日)に行われた『デフレと超円高』刊行を記念した講演会は盛況であり、また刺激的な内容であった。例えば第二部の岩田規久男先生と若田部昌澄さん、鈴木亘さんの三人に、飯田泰之さんが司会をつとめた鼎談は興味深い内容だったろう。

 例えば、そこではベストセラーになった藻谷浩介氏の『デフレの正体』をめぐって簡単な議論も行われた。藻谷氏による人口減少デフレ説にはいままで1)人口変化率と物価とは無相関、2)藻谷氏はデフレを単なる個別価格としてとらえていて定義ミス という本質的な批判が加えられていた。

 これらの批判に加えて、今回の鼎談では、3)人口減少は総供給の減少をもたらし、むしろインフレ要因ではないか、4)人口減少が総需要を減らすのではなく、潤沢な社会保障制度のおかげで貯蓄を吐き出し消費することを高齢者層がしないために総需要が低下するかもしれない、という社会保障制度効果 などが紹介された。これらの論点は今後面白い検討対象になるだろう。最も僕はすでに1)と2)で勝負あったわけで、おそらく多くの人はあの本の根幹部分ではなく、そのほかの枝葉末節部分の説得性に酔いしれているのかもしれない。

 さて『デフレと超円高』であるが、その講演会でも後半の鼎談でも話題になった財政再建とのからみにこのエントリーはしぼろうと思う。

 本書では、まず「財政破綻」を「政府債務残高のGDP比の上昇が止まらない」ものとして定義している。これが止まらないケースは、1)基礎的収支のGDP比、2)名目金利と名目成長率の差 に依存する(ドーマー命題)。後者は前者が一定のとき、名目金利>名目成長率のときに政府債務残高・GDP比は発散、名目金利<名目成長率のときに収束する。

 日本は現状でこのドーマー命題からいうと、名目成長率はゼロ、名目利子率(コールレートではない、どの指標か議論があるが10年物国債金利とする)も低いので、まさに「財政破綻」の懸念が大きいことになる。

 もちろん基礎的収支が黒字であれば名目金利>名目成長率でも発散しないが、いま基礎的収支も赤字である。

 さてでは「財政破綻」回避の処方箋はふたつである。基礎的収支の黒字化、もしくは名目金利<名目成長率にすることである。前者を実現するには、歳出削減か増税である。または両者。しかし岩田先生は不況のときにこれを行えば景気が悪化してかえって税収が減ると指摘している。これは鼎談参加者全員の総意であったろう。

 いま名目成長率を上昇させる政策をとると、1)名目金利も上昇するが名目成長率ほど上がらない、2)名目成長率が増加すれば税収が増え、それによって基礎的収支が改善される、という関係が推測できるという。

 岩田先生はインフレ目標として3%±1をあげている。特にしばらくは4%が好ましいというリフレ過程を支持している。そうすると税収はおそらく毎年2%ほど増加する。鈴木亘氏はこれから社会保障関係などが1.4%ほど増加していくいとするが、それを十分に補えるほどだ(この数値ちょっと記憶あいまい。誰か覚えてたらTwitterで示唆歓迎)。

 つまりインフレ目標による名目成長率の増加(年率4〜5%)によって財政再建のかなりな部分が補える可能性があるというのだ。

 さらにもしこれでも財政再建に不確実性が伴うのならば、名目成長率を引き上げて景気を回復するとともに、政府は歳出削減と増税の作業工程にコミットしてもいい、と岩田先生は書いている。これで財政規律が保たれ、「悪い金利上昇」など日銀の長期国債の大量購入のデメリットが縮減されると指摘している。

 もちろん当たり前だが、ともかく名目成長率を上げることが最優先であり、財政再建の前提であること言うを俟たない。

デフレと超円高 (講談社現代新書)

デフレと超円高 (講談社現代新書)