「白川総裁、日銀批判に反論―「日本のバーナンキ」の巻き返し」in WSJ

http://jp.wsj.com/index.php/Economy/node_189811より

全体的に日本銀行の政策について好意的のようでいて、客観的な視点から批判をしている。またどう考えても冒頭の白川総裁のスタンスは二枚舌的である。革新的な金融政策を行っているのに、なぜ先進諸国の中でただひとつデフレが継続し、また08年以降の成長率の低下が最も大きいのか? 金融政策が効果がないどころか、結果だけみれば無残な結果でしかない。その結果に真摯に対応していないのだ。

日銀もまた、政治的攻撃に直面している。1998年の改正日銀法で確立された日銀の独立性にとって脅威になるものだ。

 昨年発足した「デフレ脱却議連」には、現在、衆議院議員の4分の1近くが所属している。日銀への圧力を狙い開催された2月22日のパーティーでは、通常、他の問題では対立をみせる議員らが一堂に会した。この議連は、消費者物価上昇の実現を日銀の目標として強制力を持たせたいとしている。

 「デフレ脱却議連」事務局長を務める金子洋一参議院議員は、目標が達成できなければ辞めてもらうべきだと述べた。金子氏は白川総裁の努力を「落第点」だとし、「(白川氏は)学者として優秀かもしれないが、コミットメントをするのを嫌う」と評した。

(略)

 白川総裁は批判に対して弱腰を見せない。総裁は、こうした批判は精査に耐えないとの見方を示した。

 たとえば、日銀の措置は規模が十分でない、との批判がある。これに対して白川総裁は、日銀の保有資産は対GDP比でFRBを上回ると反論する。

 日銀の資産保有は最近、大きく増えておらず、2005年12月のピークを下回っている。しかし、過去10年間、日銀が日本経済を回復に導こうと努力する過程で、資産保有がどれほど増えたか理解されていないと総裁は述べた。

 この白川総裁の反論が総額においてもWSJの記者がいうように(過去の先例に沿えば)まだ増額が可能であろう。またそもそも「落第点」をつけている面々は、白川総裁のいうように過去の累積である保有資産とGDP比を問題にしているのではない。

 リーマンショック以降の日銀の資産保有額の変化率は異常に低いことを問題にしているのだ。白川総裁も総額・GDP比ではなく、変化率に批判が集中しているのは承知しているだろう。しかしそれを知りながら論点を回避しているということに、彼の「日本のバーナンキ」を装った積極性の中の消極性が隠れているに違いない。

 このように政策責任からなるべ逃れようとしている総裁をもつ国は不幸である。

以下はリーマンショック後の先進国の資産保有額の変化率

勝間和代『恋愛経済学』

 恋愛を経済学的センスで読み解くことを目的にした勝間さん独自の恋愛論。これはかなりな力作です。実は本書の構想は一年近く前からお聞きしていたので本書の登場は待ちに待っていたものでした。

 実は恋愛と経済学というのはかなり距離があったのです。イギリスの偉大な経済学者デニス・H・ロバートソンはかって「経済学は何を節約しているか」という問いに「愛」と答えたのです。

 しかし現代では社会制度、結婚制度、そしてセックス、セクシャリティ、人間の交流などさまざまな側面で「愛」「恋愛」の問題が経済的な合理性と関係しているのは自明でしょう。この現代社会の最大テーマともいえる恋愛市場を大胆に分析したのが勝間さんのこの本であり、実践的なアドバイスも豊富で、どんどん読ませます。
 
 冒頭、勝間さんは「恋愛の一番根底にあるのは生殖の問題である」と言い切ります。恋愛はいわば生殖機会をできるだけ最小のコストで得るかという経済問題、競争の問題として読み変えるのです。

 「実用としての恋愛とは、女性が妊娠・出産という希少な資源(リソース)をいかに相手に分け与えるかということ」(本書27頁)という勝間さんの考えはストレートかつ論議を呼ぶ刺激的なものでしょう。

 ただ勝間さんのこの経済学的視点は、例えば進化心理学的な見地と整合的です。勝間さんもそうですが、進化心理学は人間のこころをいくつかのモジュール(半製品、パーツみたいなものと理解してください)からなる複雑なものとみなしています。

 そのこころのモジュールはさまざまな性格を持っているのですが、勝間さんも進化心理学も実用としての恋愛に、配偶者選択モジュールといわれるもの重要な役割を与えていることが特徴だと思います。ちなみに大急ぎでいいますが、勝間さんも進化心理学もこころをモジュールの集合とみなしているので、恋愛を配偶者選択モジュール以外のモジュールがかかわることもあるという可能性を排除していません。恋愛はそれだけ複雑であることもちゃんと勝間さんは抑えているわけです(ここのところはアセクシャルのケースや多様性を考慮した結婚制度の設計の必要などに明瞭です)。

 異性愛しかも生殖目的が中心ですが、それ以外の多様なこころのモジュールによる戦略(同性愛、純愛、アセクシャル)も認めていて、その上で本書ではあえて配偶者選択モジュールに焦点をあわせていると僕は理解しています。

 さて恋愛をこのようなの効用は結婚をピークに急速に減価するという法則、恋愛市場のレモン市場的性格(結婚していない人はレモン=問題のある中古車 ではないかという逆選択の可能性)、また資源=資産をより多くもった男性や女性がもてることなどが明らかにされていきます。

 また男性の恋愛戦略(ヒエラルキー重視=男尊女卑的な発想、多数の女性と性的機会を得たいと考える性向など)と女性の恋愛選戦略(卵子が快適に暮らせる環境の追求)とのミスマッチが根源にあることを勝間さんは指摘しています。これは第三章の冒頭にある「セックスというものに対して、男女の対価は不平等だ」という命題からも明らかです。

 この不平等な戦略の違いは、両方の性のもつ資源の違いでもあります。「男性の希少資源は経済的資源とか時間的資源ですが、卵子の数が限られている女性の希少資源はセックスなのです。双方の希少資源を交換するのが、一般的な結婚です」(149頁)

 この勝間さんの指摘は卓見でしょう。ちなみにこの両性の戦略の違いは興味深い現象を招きます。これは勝間さんの例ではあまりません(僕の『最後の「冬ソナ」論』で利用したもの)が、いま若い男性層、若い女性層、高齢な女性層、高齢な男性層がいるとします。進化心理学の知見では、高齢な男性は若い女性をもとめ(生殖=子孫を残す可能性が大きい)、若い女性は高齢な男性をもとめる(経済的資源が豊富なため)、若い男性は同じく若い女性を求める。この場合だと生殖としてのセックスの資源をあまりもたない高齢な女性層が恋愛市場において供給過剰になり、高齢女性の価値が下落してしまう。

 しかし高齢な女性たちにも恋愛市場で生き残る方策はあります。勝間さんが後半で強調している心のバランスを高齢女性たちとの交際によって得やすいことこれが性的パートナーに魅力に思える可能性もあるでしょう。またこれからの高齢化社会において、40代や50代の女性が経済的資源をもつことで今度は若い男性をひきつけるかもしれません。

 論争的な性格の本ですが、とても面白い考えが濃縮されていて刺激的です。最後の秋元康さんがコメントしているように「恋愛経済学も、カツマカズヨも恐るべし」だと思わせる一書でしょう。

恋愛経済学

恋愛経済学

こころのモジュールや男女の性戦略の違いなど進化心理学の入門書は以下が定番

また勝間さんの主張と整合的な進化心理学恋愛論としては以下が参考になります。

デヴィッド・M. バス 『女と男のだましあい―ヒトの性行動の進化 』と『一度なら許してしまう女 一度でも許せない男―嫉妬と性行動の進化論』。

バスは例えば次のように配偶者選択モジュールについて述べています

「オーストラリアの海岸地帯に住む人々から南アフリカズールー族に至るまで、世界中の女たちが好む男の資質は、野心、勤勉さ、知性、頼りがい、創造性、面白い性格、ユーモアのセンスといった資質、つまり資源を獲得し、地位を得るのに役立つ資質である。受胎から出産まで9カ月にわたって体内で胎児を貞てるという、女に課せられた多大な投資を考えれば、女がその代償に、投資できる男を求めるのはきわめて理にかなっている。女が豊な資源をもつ男を選べば、子どもたちは生きのび、いい暮らしをすることができるだろう(略)これとは対照的に、男は女の生殖にかかわる資質を重視する。若さや、健康、容姿、−つやのあるひふ、きらきら輝く瞳、豊かな唇、左右対称な顔立ち、ほっそりしたウェストーなどである」。

女と男のだましあい―ヒトの性行動の進化

女と男のだましあい―ヒトの性行動の進化

一度なら許してしまう女 一度でも許せない男―嫉妬と性行動の進化論

一度なら許してしまう女 一度でも許せない男―嫉妬と性行動の進化論

また日本の進化生物学の第一人者が訳したより包括的な恋愛の進化心理学の名著は下のもの

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)

浜田宏一イェール大学教授「経済学の現実を無視する菅内閣と日本銀行が国を滅ぼす」聞き手:高橋洋一 第1回 

 リンク先はここhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/2180

 すでにネットでは公開していまだ数時間しかたっていないが大評判のこの対談。僕も初めて確認したことがいくつかある。どちらかというとジャーナリスティックな面になるだろうか。

 まず複数の証言がすでにあった福井前日銀総裁が就任前から政府とデフレ脱却の約束を交わしていたことに関連して、以下の高橋さんの証言だと、その実施を事実上政府側から監視していたのが、当時の竹中平蔵経済財政担当大臣であるということ。確かに印象的には改造後、竹中氏が離れた後、与謝野大臣になってからデフレ脱却に関しては政府内論争(成長論争)も生じるなどかなり停滞した。事実上、日本のデフレの継続に承認を与えたのが、与謝野氏であり、また実施したのは福井日銀であった。とくに量的緩和解除時に国会などでゼロ金利のマイナスを訴えていた白川方明日銀総裁の証言も忘れるべきではない。つまりいまのデフレ継続は、民主党政権内で同じポストにいる与謝野氏、日銀総裁になった白川氏、そして20年間の「失われた20年」の節目節目の危機において財務(大蔵)大臣などをつとめた「円高=デフレ」論者であつ藤井官房副長官という、デフレ三人組によってデフレコントロールされている可能性が否定できない。

 そんなことを裏付ける高橋さんの発言である。

高橋: 竹中さんが経済財政担当大臣のときは、福井総裁とよく会って日銀と議論していました。

 日本銀行の決定について政府の窓口は財務省と経済財政担当大臣なんですね。そこでもし日本銀行の態度が政府の意に反していれば、例えば政策決定会合のときに議決延期請求権を使って決定にストップをかけることもできるんです。竹中さんは議決延期請求権も真剣に検討していましたからね。

 だから竹中さんが経済財政担当大臣のときには日銀も比較的よくやっていたんですけど、竹中さんが離れたら福井さんはもう全然・・・。

 あとこれはかなりの変化球だが、与謝野氏と日銀元理事との関係が示唆されていて刺激的である(笑

高橋: 与謝野さんが日銀を擁護するのは、とても近い関係の方がいるからかもしれません。

浜田: そうなんですか?

高橋: 日銀の理事でした。現在、その人はトヨタファイナンスに天下っていますが。

 そういう関係もあってか、与謝野さんはもともと日本銀行に対してものすごく好意的ですよ。「好意的」というより、「日本銀行のことについてとやかく言うな」という感じでした。

 

伝説の教授に学べ! 本当の経済学がわかる本

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雇用不況とデフレ

半年ほど前に雑誌に掲載された論説の草稿。書いている事態には基本的に修正はない。

雇用不況とデフレ

 今年のノーベル経済学賞は、ピーター・ダイヤモンド他二名に対して与えられた。ダイヤモンドらが受賞した理由は、「サーチ理論」の貢献による。ダイヤモンドらの受賞を祝して、ポール・クルーグマンはさっそくニューヨークタイムズのブログに「サーチ理論から学べること」をサイトにアップした。まずクルーグマンは、サーチ理論というのは、特に労働市場を念頭に置くとわかりやすいという。実際にダイヤモンドらの業績は、主に労働市場に対してあてはめたものだ。通常の経済学では、賃金の高低に応じて、労働需要と労働供給が一致することで「完全雇用」が成立する、めでたしめでたし、となると説明されている。だが、この経済学の戯画はあまりにも労働市場を単純化している。実際には労働市場には、いろんなタイプの人材を欲している雇い手と、またいろんなタイプの人材がいる。この異質な人々がうまく市場でお互いの希望通りの働き手、働き口を見出すにはかなりの時間がかかるだろう。人材の売り手と買い手がマッチするまで、売り手側はあえて「失業」した状態を選ぶかもしれない。これがサーチ理論から出てくる「構造的失業」の説明である。「完全雇用」というと就職希望者がすべて雇用された状態を表現しているように思われるが、経済の場で議論されている「完全雇用」には絶えずこの種の「構造的失業」が伴うのが普通である。

 もちろんこの構造的失業も人材を無駄にしている点では問題である。なので構造的失業の対策には、「雇用のミスマッチ」の解消がしばしば重要だといわれている。例えば、就職情報の提供やカウンセリング、さらに希望に適う人材に変身するための職業訓練なども、重要な政策になるだろう。この構造的失業の発生も解決もともに長い時間のかかる問題といえる。

 だが、他方で、リーマンショックのような短期的にものすごい経済ショックが生じると、それによって消費や投資が一気に冷え込み、既存の社員たちのリストラや新規採用の縮小などが生じるだろう。この場合に生じる失業は、構造的失業と区別して循環的失業(需要不足の失業)と呼ばれている。

 クルーグマンはダイヤモンドの業績に、この構造的失業と循環的失業がそれぞれどのくらい一国の経済の中でウエイトをしめるのかを示す「ベバリッジ曲線」があることを書いている。クルーグマンは米国経済の2000年第四半期から09年第四半期までのベバリッジ曲線を提示して、欠員率が減少し、失業率が増加することがわかるとした。簡単にいえば、企業は不況のために人材をそれほどほしがらず、むしろリストラに励んでいるのだ。これは米国経済が構造的失業よりも循環的失業に苦しんでいることを示すものである。クルーグマンがあげたのが、図表1だ。

 ところでクルーグマンをまねて、同時期の日本経済のベバリッジ曲線を図2で示してみた。ちょうど日本のベバリッジ曲線は時計の動きと逆回りの曲線を描いていることがわかる。これは米国と同様に、ここ最近の不況は構造的失業ではなく、循環的な失業が問題であることを示しているといっていいだろう。もちろん構造的失業がまったく問題ではない、といっているのではない。現状の5%台の完全失業率の高まりの大半が、消費や投資の冷え込みなどの循環的な要因によるものであり、いきなり日本経済の雇用のミスマッチの度合いが増えたわけではない、ということをいいたいのだ。

 もし循環的失業がベバリッジ曲線に示されたように、最近の失業の高まりの大半を説明するならば、その対策は、職業紹介や職業教育などに重点を置くのは間違いだということになる。循環的失業の対策は、需要不足を解消するためのマクロ経済政策(財政政策と金融政策)に求めることがデフォルトだろう。そして日本も、もちろん米国もマクロ経済政策こそがいま求められる最優先の雇用対策なのだ。

 実際にオバマ政権は、地方のインフラ整備を雇用創出のために行うことを表明し、総額4.2兆円規模の財政政策を計画している。また同時に金融政策では、10%に迫る高い失業率とデフレ傾向にある経済を解消するために、いわゆる「インフレターゲット政策」の採用をFRBが検討していると伝えられている。インフレターゲット政策とは、デフレを回避し、経済が「完全雇用」に到るように、物価水準をコントロールする政策をいう。

 このようにダイヤモンドの業績であるベバリッジ曲線から導き出される雇用対策にまさに適合する形で、米国は政府と中央銀行が連携して、雇用不況に対処していることがわかるだろう。

 さて対する日本である。日本の雇用不況もまた、米国と同じように循環的失業がその真因であることは、ベバリッジ曲線などから推測できることである。5%の完全失業率のうち、いくつかの推計をもとにすると、おそらく2%以上が循環的失業であり、今回の失業率の高まりのほとんどすべてを説明し尽くす。当然に雇用不況の一番バッターは、強力な財政政策と金融政策の連携であるはずだ。しかしこれが日本ではうまくいっていない。

 民主党政権が雇用不況の対策の柱にしているのは、雇用調整助成金制度の拡充である。これはもともと自民党政権の政策を継承したものである。この雇用調整助成金は、簡単にいうとリストラ対象者が実際にリストラに直面することをある一定期間回避することを目的に採用された制度である。企業は急なリストラを行う代わりに、休業や教育訓練などを選択し、その間、リストラ対象者は自分の技能をスキルアップしたり、場合によれば新しい職場探しをするかもしれない。企業の方はその期間中、休業や教育訓練などの形態に応じて政府から助成金をもらうという仕組みである。この制度はその仕組みの特徴からいって雇用のミスマッチ解消に主眼が置かれてる政策であることは明白だろう。しかしそれでも不況からの一時的な防御帯にはなりうる。なんといっても解雇はないわけだから、失業の抑制効果にはなるだろう。その抑制効果は、はっきりはしないのだが、ある試算に基づけば、0.7%ぐらいではないかと考えられる。つまりこの雇用調整助成金がない場合は、いまの完全失業率は6%近く、過去最高の失業率まで上昇したかもしれない。しかし何度もいうが、実際にこの助成金制度が本来、雇用のミスマッチ対策であることが、まさに今回の雇用不況にとっては「ミスマッチ」なのである。雇用不況そのもの解消に役立たないので、この助成金の期限が切れたり、予算ではカバーできないほどの失業の高まりが生じたときには、企業はこの「潜在的な失業者」をリストラすることが合理的な活動になってしまう。もちろんスキルをアップしたり、中には転職先を幸運にも見つけることができる人もいるだろう。しかし雇用不況自体が、循環的な要因であるかぎり、この助成金制度は根本的な解決策にはなりえない。

 また民主党では、税制をいじって正社員採用には補助金を与えたり減税を実施することを考案しているようだ。しかしこれも雇用不況の対策ではない。あくまで一時的な正社員増加でしかなく、雇用全体が本格的に増加するわけではない。

 また金融政策を見てみよう。FRBの積極的な金融政策に比較して、日本銀行の金融政策は極めて力不足である。おそらくこの雑誌には、上念司や高橋洋一らが寄稿しているので、彼らがこの日本銀行の金融政策の不十分さに言及してくれているはずなので、読者はぜひ熟読してほしい。日本の金融政策が不十分なために、デフレが止まらず、そのために円高の進行もとまらない。円高とデフレを伴う不況は、国内の消費や投資を低迷させるだけではなく、日本の企業が海外に拠点を求めてしまい、いわゆる「産業の空洞化」を併発する。この産業の空洞化によって、日本の労働者は働き口を失ってしまうだろう。また国内でなんとか職を得ている人たちの所得も低下し、また非正規雇用の待遇もさらに悪化し、日本の経済格差を深刻なものにしてしまうだろう。

 このように循環的失業の増加がいまの雇用不況の真相であるにも関わらず、民主党政権の雇用対策は一時的な効果はあるものの、的外れなものである。むしろ循環的な問題を解決するならば、いわゆる「ばらまき」という世間からの批判に抗してでも、家計への直接的な現金の支給を行ったほうが、よほど雇用不況の解消に効果的である。

 また金融政策では、FRBが検討しているようなインフレターゲット政策を日本銀行は採用すべきである。同時に、現状行っているさまざまな資産の購入もさらに増額し、特に長期国債の買いオペ枠を増額していくことが重要である。例えば政府と協定を結び、日本銀行が20兆円規模の長期国債を引き受けることで、政府がそれを財源にして、オバマ政権が実行しようとしているタイプの社会インフラ整備を行うことも有効な雇用不況の解決策であろう。日本では旧来型の社会資本整備で社会的な有用性が高いにもかかわらず行われていないものがかなりある。それを実行することは、従来の「穴を掘って埋める」ような公共投資とは異なるものだ。

 民主党の「無策」が、今回の雇用不況の深まりに貢献していることも事実である。また日本銀行の責任も政府よりもむしろ大きい。しかし、民主党の中にも循環的失業の解消を目指す、デフレ脱却議連のような政策集団も活発に行動している。民主党には有能で国民のことを真剣に考える人材が豊富にいるのも事実だ。僕はそういう人たちにいまは期待したい。

図表1

図表2

いわゆる「スタグフレーション」仮説雑感

 Twitterに書いたものを少し修正したもの

 浜田宏一先生と岡田靖さんの共著論文を利用して、例えば岩田規久男先生のように日本の輸出産業の国際競争力を交易条件÷実質実効為替レートとする(岩田規久男『国際金融論入門 新版』参照)。交易条件はリーマンショック後一時改善したが、いま現在は緩やかに悪化している。

 08年前半に石油が急騰して交易条件が急激に悪化したほどではないが、これからリビア要因など不確実性が大きい。実質実効為替レート指数は(日本だけデフレ趨勢というバイアスを無視すれば)、この水準も上昇傾向にある(直近はやや低下)。その水準はリーマンショック発生当初と同じくらい。

 交易条件の緩やかな悪化+実質実効為替レート指数の上昇 といういわゆる「過度な円高」がかさなることで、日本の輸出企業や輸入関連企業の収益性が大きく低下していく。

 これからだが、実質実効為替レート指数はやや下がったが(水準自体は先に書いたようにリーマンショック後の急激な円高と同じくらい)、交易条件にはリビア要因など悪化にむけての不確定性が大きい。

 この環境の中で、日本にできることは、実質実効為替レート指数をさらに押し下げていくことが必要で、それはデフレから脱出することとイコールである。交易条件の悪化懸念があるならば、日本にできるのは金融政策をより積極的に適用することで、日本の「国際競争力」を向上させておくことが望ましい。

 日本の「国際競争力」が高まれば、輸出産業、輸入関連産業はより多くの国内からの雇用を確保することになる。例えば「過度な円高」を是正するだけで、おそらく失業率は3%台前半まで低下するだろう。そして若年層の失業率を大幅に改善することができる。

 上記の我々の見解をとりあえずおさえておいてほしい。その上で最近ちょっと目にするようになった「スタグフレーション」(インフレと停滞)仮説について考える。

 例えばいま二種類の「スタグフレーション」論があるようだ。ひとつは資源価格高騰で「インフレ」になって同時に高失業率のまま経済は停滞しているというものである。これはいわばインフレデフレをどう定義しているかという問題(CPIをコアでみるかコアコアでみるかという程度)であり、露骨に「インフレ=悪」というイメージ操作をともなっている。

 もうひとつは、池尾和人氏のhttp://news.livedoor.com/article/detail/5355556/にあるように、社会保障制度や政治的要因で高齢者が実質所得の低下を受け入れずにその現状維持を求めるという構造的なスタグフレーション仮説である。

 この池尾氏の構造仮説では、例えば今後、リビア要因などで資源価格が高騰し、交易条件が悪化し続ければ、われわれは現状からその生活水準の悪化を甘受しなければならず、それに抵抗することは(抵抗できない層を犠牲にすることで)インフレと停滞をもたらすということになる。

 この構造的スタグフレーションを回避するには、当面はすべての層が耐えることが必要であり、またより本格的な対処方法は老人の抵抗を支持する社会保障制度や政治状況の変更である。例えば年金は実質的に低下を甘受するようにし、高齢層を支持する政党が地盤沈下をおこすことなどが抜本対策だ

 それに対し、我々の方はどうだろうか? 確かに交易条件がどんどん悪化すればわれわれの生活はより貧しくなる。しかし現状では日本のマクロ経済政策を実行すれば、われわれの生活の悪化をかなり防ぐことができる。金融政策により「過度の円高」を予防することで、若者の雇用が回復し、また国内経済もよりましになるだろう。

 この金融政策の積極的な援用をしないまま、交易条件の持続的な悪化+円高の推移を甘受してしまい、構造的な改革(さきほどの老人を保護する社会保障改革や政治制度の変化)に注目を集めてしまうことは、わざわざ改善の余地を自ら放棄することに等しい。

 日本銀行のスタンスを変化させることだけで得るものは僕らの想像以上に大きく、また変化させないことによる損失は想像以上の大きい。それが交易条件の悪化が予想を超えて進行したとしてもあてはまることである。