『日本経済思想史研究』第19号

『日本経済思想史研究』第19号が手元に届く。

今号には、昨年行った学会報告「日本の厚生経済学の歴史ーアイデンティティ、制度、危機ー」の報告要旨が掲載されている。これは近々、論文にまとめる予定でいるが、日本の厚生経済学の展望論文でもある。

 

当日のコメントで非常に有意義だったのが、池尾愛子会員からのジェンダー厚生経済学の関係、そしてパレートの日本への導入についての観点だった。前者は福田徳三や河上肇の女子労働論とも関連して別な論説も書いたことがあるが、今回の展望には含めてなかったので、他の関連事項ともあわせて今後さらに考えてみたい。

 

以下は掲載された報告要旨そのもの。学会で配布した報告レジュメとは違い、きわめて簡略化したものになっているのでご注意を。

 

報告要旨
日本の厚生経済学の歴史―アイデンティティ、制度、危機―
田中秀臣

日本の厚生経済学の歴史は、1920年代の福田徳三の貢献から始まる。本報告は、福田徳三の厚生経済学の遺産のうち主に三点に絞り、それがのちの日本の厚生経済学の中でどのように受容・発展そして忘却されてきたかを明らかにする。
 福田徳三の厚生経済学の遺産で注目する三点は以下である。
(1)アイデンティティの問題:福田は性差、年齢差、健康の度合い、民族、特定の技術を持った労働者など多様なアイデンティティ厚生経済学の中に組み込み、また国家と「社会」との緊張関係を強く意識していた。さら階級的視座への批判(=特定のアイデンティティ優先への批判)が特徴でもあった。
(2)制度選択の問題:資本主義か共産主義社会主義)かという対立軸を意識しながら、福田は市場の中にある共産主義原則(経済的弱者のニード(必要)を充足すること)を、市場の設計としては把握した。
(3)経済危機に対する立場は構造改革主義的で、また清算主義的な特徴を持っていた。
 福田の教え子たちを「福田学派」と呼称すれば、メタエコノミックス的な姿勢が強い。特に資本主義と社会主義の対立から、超資本主義的な発想(一種の混合経済)に至る論者が多かった。山田雄三小泉信三中山伊知郎らがその典型である。
 また福田の教え子ではなく、もっぱら海外の厚生経済学の動向(特にライオネル・ロビンズの序数的厚生主義の継承)を契機として生まれた非・福田学派とでもいうべき一群の経済学者たちがいる。代表的には安井琢磨、熊谷尚夫、大石泰彦、木村健康らである。
 非“福田学派”の戦後の厚生経済学の貢献は、主に海外での成果を積極的に導入・発展することにあり、やがて日本の学会の中核を占めていく。彼らの貢献には、福田徳三の貢献は明示的には引き継がれていない。対して、小泉、中山、山田らの厚生経済学的は、福田の問題意識を引き継ぎながらも次第に厚生経済学の日本の展開の中心からは外れていった。