櫻井優衣「恋はレモン色」リリイベラスト:不完全を完全に生きるのがアイドル

僕のtwitterの一日のラストのつぶやきに毎日登場する櫻井優衣ちゃんのファースト・シングル「恋はレモン色」の二か月に及ぶリリイベが終わりました。その最終日のおなじみ池袋サンシャインアルタ新星堂さんでのリリイベを見にいきました。

 

今年の二月に再デビューを飾って、その初日にみたときにあらためて魅せられました。そのときに何か記事でも書こうかな、と思ったのですが、単発でどこかの媒体に書いてもそれ一度だとやはりそれきりで消費されてしまい、後に続かないな、と思ったのです。なにかアイディアはないかな、と思ったのですが、考えてみたら自分のtwitterやこのブログ(はてなブログに移行して昔のダイヤリーでの読者が移行できないのを知り愕然としてますがw)をうまく使えば、多くの人たちに認知してもらえることに気が付きました。好運なことにtwitterだとどの発言も一日経てば1万五千から2万超のインプレッションを頂けるので。

 

櫻井さんはしかも昔からアイドルであること、すなわちプロ意識がとても高く、その面では安定していることや、またソロでの活動なので照準がしぼりやすいのもこの認知方法に向いてるなと思いました。これは彼女への応援なのですが、同時に僕のひとつの批評的な「実験」なのです。

 

もちろん櫻井さんを昔から追っている撮影を得意とするファンの人たちのすぐれた画像がないとこの試みは続きません。本当にありがとうございます。

 

ソロになってすぐにオリジナル曲の発表がありました。これはとてもいい展開でした。僕はアイドル経済の批評をしているのですが、特定のアイドルのリリイベの最初から最後までを追ったことは珍しく、久しぶりに二か月彼女の活動をそれなりにみてきました。まずリリイベ開始から声帯を痛めてしまいほとんど声がでなくなったことが大きな心配でした。周囲の人たちも心配しましたが、なにより普段から気にしすぎるほどの心配症の性格のようなので、櫻井さん本人の重圧はさらに大変だったでしょう。声帯は一度痛めると精神的なものも加わり、人によってはこじらせるのですが、まさに彼女はその典型でしたね。ただ個人的には、アイドルは歌だけではないし、またこの声を失ったままのリリイベは、ひとつのアイドルの「物語」としてはとても貴重です。ただ本人はそれどころではないとは思いますが。

 

リリイベラストから一週間以上経ってこのエントリーを書いているのですが、リリイベ最終日ではかなり回復してきてて(80%ぐらい?)、完全に治ることを願ってます。ただ櫻井さんのことを知らない人たちに念のために書いておきますが、声が100%でなくても彼女のアイドル性は100%のままなのです。そこはお間違いなく。

 

ちなみに声に関してはほとんど出てなかった時の動画がありますが、これをみても彼女のアイドル性がまったく声に依存してないことがわかります。アイドルは未完成というか何か完全なものから欠けたその在り方が、素晴らしさを決める基準なのです。そこがふつうのアーティストと違うのかもしれません。不完全を完全に生きることが、アイドルなのです。

 


【美少女】櫻井優衣 /  アリオ上尾 ガールズライブアワード2018

 

以下は新曲のMV。彼女らしい何度も聴けるいい曲です。

 


2018/7/24発売 恋はレモン色/櫻井優衣

 

リリイベの集合写真w。リリイベラストのときにご家族の方にご挨拶いただき、なぜか人類を超えるくらいに汗が出ましたw アイドルの親御さんからご挨拶をうけるとなぜか毎回、滝汗がw 悪い事やましいことはしてませんw

 

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