田中秀臣「石橋湛山とリフレ」inケインズ学会公開講演会(立正大学)

本日の公開講演会のレジュメを公開します。誤字などは修正しました。

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石橋湛山とリフレ
田中秀臣上武大学ビジネス情報学部教授)

1 石橋湛山の経済思想の特徴
  人中心の経済思想。「労力が富の唯一根本の源泉」(8;264)。
  孟子「恒産なければ恒心無し」の石橋風解釈
   “安定した職業がなければ安定した心はない(失業した人には安定した心がない)。

 「不景気は人生の最悪の浪費、従って又最大の罪悪だという結論に導かれる。何となれば、不景気とは、失業操短の増加を指称する別名であり、而して失業操短は、富の唯一根本の源泉である労力、及其労力の結実たる生産設備を空しく活動せしめざることだからだ」(8;266)。

  石橋の経済政策論:人中心のための不景気(失業)対策が中心。デフレーション対策(リフレーション政策の採用)も国家財政への見方なども、この人中心の失業観が前提。

2 長期不況論、通貨政策(国際金融制度の選択、金融政策)の失敗

長期不況観

 「然るに我国は、其不景気を大正9年以来続けた。而して其間には又昭和2年の金融恐慌を起し、更に最近に於ては金解禁の恐慌を重ねつつある。我国が人口多くして貧乏なりと、近来特に高唱せらるる主な原因は、実に此の永年の不景気恐慌の為めである」(8;266-7)

 この長期不況を「自然の循環」と説く人たちに対して、石橋は「政治の誤り」「中にも最も重大なる過失は通貨政策に在った」と指摘する(8;267)。

 「通貨政策」 1)旧平価金解禁(旧平価での金本位制の選択)
        2)1)に連動した「通貨収縮政策」の採用
日本の政治家は大正9(1920)年以降、「必然強烈なるデフレーションを随伴すべき旧平価解禁を屢々企てた。而して常に財界を圧迫したのである。(略)無論我財界が斯く永年の不景気恐慌に苦められた原因には、通貨政策の誤り以外にも挙げらるるものがないとは云えぬ。殊に最近浜口内閣の旧平価金解禁を弁護する者は、強く世界の不景気と云うことを指摘する。が如何に世界の不景気が甚だしく、或は其他に如何に多くの不景気の原因が存したにしても、若し通貨政策(此場合は、云い換えれば金解禁政策)に前記の無理がなかったら、果たして我財界は今日の如く苦んだであろうか。之は必ずしも数字を以て証明するを要せぬ。常識を以て判断して十分に会得し得べき事柄だ」(8;267−8)。

石橋湛山の長期不況論(失われた13年)は、「通貨政策」(国際金融制度の選択と金融政策)の失敗を原因とする、長期的なデフレーションが伴う不景気の放置である。

姜克實「湛山は本当に「リフレ派」だったのか」(『週刊東洋経済』2015年1月31日号)での主張。
 「湛山の経済学は恐慌対策(昭和恐慌)、混乱対策(敗戦初期)からスタートし、資金繰りがうまくいかず一時的に大量失業、生産縮小となった非正常な経済情勢に対する応急手当ての性質を持つ。現在のような正常状態下の慢性的デフレ現象と違い、政策の内容、方法も違う」。

誤り:その1 上記のように石橋湛山は長期の「慢性的デフレ現象」を対象にしていた。「慢性的」に失業の高止まりと生産縮小が持続したと石橋は考えていた。昭和恐慌はその(姜克實論説いうところの)「慢性的デフレ現象」が極端に推し進められた経済危機である。
  その2 姜克實論説が、現在の日本経済を「正常状態下の慢性的デフレ現象」とする評価も正しくない。1990年以降から2012年までの<総需要不足を伴う>失業率の高止まりという「非正常」な現象(とその後の現代のリフレ政策採用後の失業率の低下、雇用環境の改善など)は、常識を以て判断して十分に会得し得る事柄である。
 石橋湛山が批判した「自然の循環」説と、姜克實論説の現代デフレ理解の類似。

3 石橋湛山による“リフレーション(リフレ)”用語の採用と政策の内容

 「リフレ」「リフレーション政策」という言葉を石橋が用い始めたのは1930年代初めの昭和恐慌期である。それ以降、自らの政策の中核を(不況を脱して人間回復を目的とする)リフレ政策として事あるごとに主張した。また悪性インフレ(ハイパーインフレーションなど)との違いを明白にし、その政策効果への公衆・政策当局者らの誤解を積極的に正した。石橋の主張は、東洋経済新報社の同僚高橋亀吉らも賛同し「派」(=当時は新平価解禁論者とも当初はいわれた人々)として結集をみた。

なぜリフレが必要か?
1)
デフレによる「債権債務の大失衡」からなる「金融の破綻」を救済するため→負債デフレによるバランスシート悪化の復旧。
2)
デフレによる生産の停滞、「人も設備も無益に休止」している状態の救済のため。

 「不景気が根源的に何から起るかの問題は暫く措いて、既に不景気の起って後の現象から観察すれば、不景気は即ち「物価の総下落」に他ならぬと云うことが出来る。物価の総下落は「通貨価値の騰貴」だ。従って其の不景気を駆逐するには、通貨価値の騰貴を抑え、乃至下落せしめて、物価を元に戻すことが必要だと考えるのは、蓋し論理の自然である」(9;260)。

「不景気が根源的に何から起るかの問題」→政策スタンス(政治の選んだ政策レジーム)。石橋湛山によれば前述した「通貨政策」という政治スタンスが不景気の根源的問題。不景気から「根源的に」脱却するには、誤った「通貨政策」からの政策転換が必要。→今日でいうところの政策レジーム転換。

 石橋は「通貨政策」の失敗を、前記したように1)金本位制の採用(当初は旧平価金解禁への批判、後に金本位制復帰そのものへの批判に移行)、2)デフレ維持の金融政策のスタンスのふたつとみなしていた。

1)を放棄しただけでは不十分。1)と2)両方の政策スタンスの放棄と、リフレ政策の採用という「<二段階の>政策レジームの転換」が必要だと石橋は考えた。1932(昭和7)年冒頭では、前年の金輸出再禁止によるリフレ効果はわずかだと指摘。高橋是清蔵相と面談しての感触を記事に(8;433-4)。高橋はリフレを否定せず、その方法を思案している、というのが石橋の好意的ともいえる解釈だった。
 石橋は、政府・日銀が「も少し大胆にオープン・マーケット・オペレーションをやって、日本銀行に公債を買い上げさせる、或は為替の上値を抑える政府事業を興す、という方策」をすすめる(8;439)。

 石橋は、リフレの手段で三方策(金利引き下げ、公開市場操作、公共事業)を提起。ただし公共事業は規模や内容で適切なものが行われる可能性が低いことを指摘。しかも二番目の公開市場操作(=日銀の公債買い入れ増加)が併用されなければ通貨の供給量は増えず、またインフレは起きないと指摘。→金融政策がリフレの必要条件。財政政策は補完的地位。

さらに「インフレ予想」への転換とその重視。そもそも政策スタンスの変更自体が、財界、企業家のデフレ予想からインフレ予想への転換を促し、投資活動を活発化させ、「社会の購買力」の不足を解消する、と石橋は指摘(8;426-7)。

 日本銀行が公債買い上げによって通貨を膨張させる政策スタンスを「頑強」に継続していけば、人々のインフレ予想が形成されていき、たとえば金利の面をみれば短期金利、そして長期金利を引き下げ、投資は増加する。投資が増加すれば、財や労働市場の状況を改善していく。
「而して企業が起れば、物資労力の需要は亦必然的に起り、インフレーションに依り増発せられた通貨は、ここに完全に購買力として作用する。物価の騰貴するは亦必然だ。インフレーション主張者(リフレ派…引用者注)は、此効果を獲得するまで、頑強にインフレーション(政策…引用者注)を続くべしと説くのである。インフレーション(政策…引用者注)に若し物価騰貴を招来する力なしと論ずる者あらば、それは今日の特殊事情に依る初期の障碍―即ち前記せる如く暫く其効果の発揮が妨げらるる状態―を見て、軽率なる判断をするものである。インフレーションが、結局、而して其初期に於て感ずるよりは恐らく意外に急速に、物価騰貴を誘導すべきは、理の当然にして、何等疑惑を挟む余地はない」(8;458)。
 石橋の用語法:「インフレーション」は政策名称、「物価騰貴」が現実のインフレ。

 世界恐慌の原因も各国のデフレ政策の採用にある(金本位制の足かせ)。解決策はリフレ政策(8;240-254)。

 石橋湛山は物価水準目標政策を採用。
 「私は其目標を、予てから昭和三年乃至昭和四年上半期の程度に我卸売物価の平均を回復すると云うことに於いております」(8;252)。

石橋のリフレ政策と現代リフレ派のリフレ政策との対比
1)
政策のレジーム転換重視で同じ
アベノミクスは政策レジーム転換という解釈。政権の意識も同じ。
2)
リフレ政策の手段も共通(→以降は現状の政府・日銀の政策オプション)
短期金利の操作(インフレ期待上昇→実質金利低下経路の重視)→イールドカーブコントロール
「通貨膨張」目指す公開市場操作→質的・量的金融緩和の採用。実質的には石橋が勧めた日銀の公債直接買い取りと同じ政策も採用。ただし明示的(?)には否定している。
公共事業→アベノミクスの第二の矢だが、2013年は増加。以後は減少スタンス。
物価水準目標政策 → インフレ目標政策

現代のリフレ派の共通理解。長短期金利操作、量的緩和(ヘリマネ含む)、インフレ目標&物価水準目標政策などを支持。公共事業については金融政策との併用は効果があるが、供給制約など難点を指摘。

姜克實論説の誤り:その3)石橋湛山と現在は「政策の内容、方法も違う」と姜克實論説は指摘しているが、上記のように、現実の政策もまた現代のリフレ派とも、石橋湛山のリフレ政策は「内容も方法」も類似性がきわめて強い。

4 石橋湛山の論敵:「財政危機」「財政緊縮」論、清算主義

 石橋湛山の経済学の誤解の例(財政政策面)。
姜克實論説「湛山は本当に「リフレ派」だったのか」(『週刊東洋経済』2015年1月31日号)では、石橋湛山の経済学と現代リフレ派との差異をして、特に「国家の借金(公債)の数量、程度の差」と、また「公債論の目的の違い」の二点を指摘している。

「1930年代の高橋是清財政期に展開された湛山の積極財政論は、均衡財政の常識から脱皮した最初の試みであり、「積極」といっても、借金は慎重に行われた。公債の償却、償還の可能性を絶えず見計らって発行数量を調整し、生産を元の軌道に誘導したらすぐに償還するというやり方である。つまり、短期間で消化できる公債、返済できる借金しか認めない特徴があり、便宜的にこれを「一サイクルの借金(公債)」と表現しよう」(姜克實前掲論文より)。

 姜克實論説ではこのワンサイクル公債論があたかも石橋の主張かのように評されているが、そのような主張を石橋の発言の中に認めるのは困難。
石橋の財政論の原則は、1)公債発行は財政のあり方を決める基準ではない、2)財政支出の基準を決めるのは国民経済の生産力と民間の投資・消費のバランスである。後者が前者に不足するときは、財政支出を増加すべき。
「近頃の我国の財政論には、二つの大きな欠点が見出される。其一は、余りに公債発行問題のみに気を奪われ、為に財政そのもの、或は財政全体の検討を閑却していることである」(10;211)。
総需要不足が解消され、インフレが生じれば財政は抑制(増税など)し、リフレは手じまいするというのが石橋の主張である。石橋がインフレ警戒を唱えたのは昭和12(1937)年冒頭の頃。
石橋の昭和7(1932)年のレジーム転換後の高橋財政については、前半はほぼ手放しの絶賛。ところが後半(昭和10(1935)年後半)からは、石橋は高橋を「自己矛盾」「行き詰ったのは、公債でも、財政でもなく、蔵相の頭である」と批判している。
石橋の高橋是清批判は、前記の財政論の原則を是清は昭和11年度予算において見失っているとするものだ。
「公債の発行は、かねがね記者の説く如く、国民の生産力との関係に於て、其過不足は論ぜられるべきものである。昭和7年度から最近まで見た如く、公債に依る財政膨張が国民の生産力を動員し活躍せしめる作用を営む限り、公債発行は決して悪性インフレを導くものでも、財政を破綻に誘うものでもない」(9;394)。

石橋はこの意味で公債の発行余地があると述べている。しかし高橋是清の当時のスタンスは公債過剰発行論だった。
 つまり昭和11年度予算の段階では、是清は公債過剰発行論者=財政緊縮論者として、石橋の前に現れることになる。もちろん他方で石橋湛山は、当時の予算編成における大蔵と軍部の財政「思想」の対立をみている。大蔵は是清に代表される緊縮モード、軍部は拡張モードだ。しかし両者は、先ほどの財政論の基本原則を欠いた「思想」であることでは同じである、というのが石橋湛山の批判の要所である。

ちなみに姜克實論説の石橋湛山の公債論の解釈は、石橋本人の発言に矛盾し、また根拠が提示されていない。さらに同論説では、「これに対して慢性不況下に行われるアベノミクスの借金は、短期間償還、消化の認識は最初からなく、すでに未曾有の財政危機の上にさらに新たなる借金を上乗せするという方法で進められている」とあるが、これは現状の財政状況についての認識の誤りにすぎない(田中(2016)参照)。

姜克實論説では、1)公債論の目的が石橋湛山と現在のリフレ派は異なるという、2)前者は生産部分を起こすために使う。後者は「借金」の「明確な政策志向が確認できない」とする。姜克實論説では、「不生産公債」は石橋湛山にとっては不可であり、彼の時代では軍事費、「現在ならば社会保障費、地方交付税の支出などがそれにあてはまると思われる」とする。3)その上で、現在のアベノミクスの「借金」は、公共事業と科学振興は12%で、残りは国債費、福祉・社会保障、地方交付に消えてしまい、「このような用途で返せない借金を膨らませていくやり方は、生産を起こす湛山のリフレ論からみれば本末転倒である」と批判している。

上記の1)については石橋の公債論が総需要不足の解消を基準としていて、現代のリフレ派と異なるものではない。また安倍政権もデフレ脱却の成果で財政危機を乗り越える旨を表明している。消費増税の失敗の反省もあり。2)3)について。福祉・社会保障は人を中心とする生産に寄与する。子供の貧困の解消を一例でみよ。地方交付税は使途が限定されていないので、生産的に利用するか(総需要不足の解消による生産力の発展に貢献するか)否かは、地方自治体の政策の枠組みに依存するだろう。

姜克實論説では、湛山思想の意義は、その思想と哲学にあり、経済政策ではない、という。「湛山の時代には、恐慌からの脱出、戦争の回避が課題であり、現代社会のような福祉、社会保障、公害などの問題がまだ現れていない。(略)安易な政策の転用ではなく思想の継承こそが必要なのではないだろうか」とする。
しかし現代は恐慌からの脱出、戦争の回避が重要であることは変わらない。また石橋湛山の時代(明治、大正、昭和前期)でも福祉・社会保障の問題は政策論争の課題(福田徳三の生存権の社会政策などの貢献)であったし、また公害の問題(足尾銅山など)も存在してそれが経済政策や思想・哲学に影響を与えた。

清算主義論との論争(福田徳三、河上肇)。→、岩田編(2004)、田中・安達(2003)を参照。

5 リフレ過程における実質賃金の動向

 「1.不景気から好景気に転換する場合には労働者にしてもサラリーメンにしても、個々人の賃金俸給は用意に増加せぬ。だから従来継続して業を持ち、収入を得ている者からは、収入は殖えぬに拘らず物価だけが高くなると観察せられる。二.けれども斯様な時期には、個々人の賃金は殖えずとも、少なくとも就業者は増加する。故に勤労階級全体としては収入が増える、購買力が増す。三.而して斯様に大衆全体の購買力が増えばこそ、其個々人には幸不幸の差はあるが、一般物価(ここで問題の物価は、云うまでもなく生活用品の価格だ)の継起的騰貴も起り得るのである」(9;454)。

「私の信じるところでは、インフレに依って起こされようと、何に依って起こされようと、一般物価の騰貴が継続し、所謂景気が好化する折には、勤労階級全体の金銭収入は無論増えるがそれに依って買い得る商品の実量も亦殖える。但し其何れが多く殖えるかと云えば、それは前者であって、後者の殖え方は前者の殖え方よりも少ない。ここには別の問題が起こって来る。がそれにしても彼等の消費し得る商品量は増すのだから、積極的に(マルクス派の有澤がいうように…田中注記)大衆生活を困窮化すると云う事はない」(9;455−6)。

終わりに 「安易な政策の転用」とは何か? 

 今日の石橋湛山研究の代表者のひとりである姜克實教授の論説は、石橋湛山の経済学を現代に適用すればどんなことが言えるかを四点あげている。すべてに反論ができるが、ここではひとつだけに絞っておく。

「国民全体の奮起を促し、断固として財政整理に着手する。……さらに財政状況が改善されるまで、公債における「非生産」の部分―軍事費、社会保障費、地方交付―を縮小して政府債務の整理に振り向ける努力も考えられよう」。

石橋湛山は不況での緊縮政策へはきわめて批判的であり、また清算主義(福田徳三、河上肇ら)と論争を繰り広げた。この精神は現代リフレ派にも継承されている。姜克實教授のような「政府債務」の縮小、財政整理を現時点で行うことは、人中心の政策ではなく、むしろ「経済政策で人を殺す」ものになるだろう。

一例:スタックラー&バス『経済政策で人は死ぬか?』の議論
  不況下での財政緊縮が、失業率を上昇させ、自殺者数を増加させる。
  現代日本のリフレ派も同様の指摘を10数年続けた(野口・田中(2001)、田中(2002)など)。
  
参考文献

石橋湛山全集』第8,9、10巻、東洋経済新報社

岩田規久男編著(2004)『昭和恐慌の研究』東洋経済新報社
姜克實(2015)「湛山は本当に「リフレ派」だったのか」(『週刊東洋経済』2015年1月31日号)。
ディビッド・スタックラー&サンジェイ・バス(2013/2014)『経済政策で人は死ぬか?』草思社
田中秀臣(2002)『日本型サラリーマンは復活する』NHK出版
田中秀臣(2016)「「財政危機」のウソと大災害」
http://www.newsweekjapan.jp/tanaka/2016/04/post-2.php
野口旭・田中秀臣(2001)『構造改革論の誤解』東洋経済新報社