『人工知能と経済の未来』(文春新書)刊行記念トークイベント(出演:井上智洋、田中秀臣)開催しました

 本日のトークイベントにご来場いただいた皆様、ありがとうございました! 井上さん、AI研究者の権威の皆様、そして古谷さんまで討論に参加いただき恐縮です。ベルサンのみなさんにもいつも感謝しております。

 Takashi_Kimura ‏@kimura_takashiさんにまとめていただいたもの
 https://twitter.com/kimura_takashi/status/763115844683522048
 https://twitter.com/kimura_takashi/status/763117649278533632
 黒猫のミッツ ‏@m0607438さんのブログ記事
 http://m0607438.hatenablog.jp/entry/2016/08/09/231647

 kimuraさんとミッツさんにまとめていただいたのは、主に純粋機械化経済になると、人間は「消費」や「消費=生産」の領域で大幅なイノベーションを展開して、そこで食っていく可能性を示唆したものでした。古代ローマで奴隷に生産させて他方でだべることが職業(ソフィストや政治家)の分化を生み出したことの未来版。「生産=消費」では現在のドルヲタの消費行動から推測を広げました(STEREO TOKYO、ヲタヲタ、ライブ経済など)。あとフードファイター的なあり方。

 またBIのコントロールではなく、純粋機械化経済への移行過程では「公休」の増加=余暇の増加を行うことで、時間当たりの実質賃金を増加させていく手法を使う可能性が大きい。→ジョーン・ロビンソン『経済学の曲がり角』参照。

 また移行が終わって「生産」が完全に機械に置き換わっても、kimuraさんやミッツさんにまとめていただいたように、余暇を利用した消費や「消費=生産」の領域が人間に残されているのでそこでイノベーションが起き、職業の分化もみられる可能性が高い(人間はBIに依存せずにも食っていける可能性)。完全なるホモ・ルーデンス(完全なるヲタクw)の登場。

それに付け加えて、以下のことを会場ではいいました。

AIによる純粋機械化経済が指数的成長を現実にはおそらくしないだろう。シンギュラリティへの懐疑?

1)現状、生産とおもわれてるものが消費側に大幅にシフトする可能性がある。一例だが、仕事がすべて汎用AIに代替されるならば、通勤車は事実上消滅する。車はレジャーで多少は利用されるかもしれないが、多くは他者に自分の消費のありようを見せびらかすヴェブレン財的地位になっている可能性もある(現在のアンチーク車の保有と同じ)。これはこれでヲタク世界や古代ギリシャの有閑階級や中世ヨーロッパの修道僧<会場では宗教が消費財になる可能性も例示>たちのような「消費の多様化」をイノベートするかもしれない。いずれにせよ、生産から消費への大幅な経済転換が起きてしまい、それが純粋機械化経済の指数的成長率の制約になる。これはマルサスの人口法則が予測したようには、幾何級数的に人口が爆発しなかった理由の転用といえる。つまり子供を産むことが「生産」ではなく「消費」になった、そのため人口生産の幾何級数的爆発が制約された(生産としての子どもはそんなにいらなくなったということ)。類似のことが純粋機械化経済で現出する可能性が大きい。

2)さらにトークイベントの終幕でやっていたふたりの(観客おきざりの)話というのは、純粋機械化経済の指数的成長は、他方で常に指数的な貨幣成長率によって総需要を生み出さないとダメだということ(井上モデルでは総需要不足は長期的に持続しているので)。BIでもヘリコプターマネーでも指数的に成長しないといけないのでコントロールはきわめて難しい。例えば、総需要成長率(≒貨幣成長率)が少しでも総供給成長率を下回ると経済は事実上のクラッシュをしかねないこと(不安定経済=ナイフエッジ)。汎用AIの生産能力のスピードがすごすぎるが、他方で人間の消費のスピードが予算制約によって制限されているため。

1)は生産から消費への大幅シフトによる人間の生産・消費の在り方の変化という「構造的要因」、2)はその人間の消費のスピードを支えるお金のコントロールが極端に難しくなる可能性を指摘する「(井上モデルでは長期に存在する)循環的要因」。

 あと3)として、純粋機械化経済でもエントロピーの法則に服するし、時間的制約、空間的制約に直面するので、無制限な指数的成長はありえない。

ここらへんの話を先のkimuraさんとミッツさんのまとめていただいた話に加えてしゃべりました。

とても有益な時間でした。参加いただいたみなさんに再度感謝を。