「薄商い市場」の経済学

 『電気と工事』2016年5月号掲載の元原稿(実際の掲載のものとは異なります)

 最近、『ご当地アイドルの経済学』(イースト新書)を上梓した。日本の各地にアイドルが無数にいて、おそらくその総数は5千人ぐらいと推定される(女性アイドルのみ。以下同じ)。1970年代のアイドルの平均数はおそらく数十名程度だったことを考えると異常な膨張ともいえるだろう。その全貌を詳しく把握することは、おそらく不可能に違いない。なぜなら新陳代謝も激しく、仮に100人のアイドルがいるとして、その人たちが半年後にどのくらいアイドル市場に残るかといえば、一説によれば半数にもみたない。それだけ新陳代謝も激しい「マーケット」なのだ。

 経済学でしばしば想定する理想的な市場の特質はというと、この新陳代謝の活発の度合いで測られることが多い。不特定多数の人が市場を出入りすることによって、その個々の人たちは市場の価格に対して独占的な影響力を持つことができない。また有利な市場があればそちらに人が流出していき、たちまちその市場の「有利さ」は流入した多くの人たちによって味わい尽くされ、消滅してしまう。逆に「不利益」を嫌った人たちが市場から去ってしまうことで、その市場は場合によっては消滅したり、その「不利益」を改善しようと努力したりする。いずれにせよ、市場に力をもつのは特定の個人ではなく、不特定多数の名もなき人々の「集団」といっていいだろう。この不特定多数の個人が市場を自由に出入りすることができることを「参入退出の自由」と表現している。

 「参入退出の自由」は、例えば、あるコンビニA社が店頭で売っている「スパイスが効いたチキン」が100円であり、別のコンビニB社が同じく店頭売りしている同種の「スパイスが効いたチキン」が95円だとしよう。両方の店に行く際に移動する費用(コスト)はとりあえず一円もかからないものとする。似たような商品を売っているコンビニ二社の「スパイスが効いたチキン」は、価格だけが違う。多くの人たちは例えば普段はコンビニA社のチキンを買っていたのだが、より安いB社のチキン価格を知ることでコンビニAからコンビニBに買い求める先を変更するだろう。コンビニAはそれを察知すると負けじとBとより低い価格90円でチキンを売り出すことにする。そうすると今度はBからAへの逆の動きが起こるだろう。このコンビニAとBの間を価格をみて消費者が自由に移動することで、やがて価格が落ち着く。要するに「参入退出の自由」は市場の競争を示す大切な指標ということだ。

 いままで書いた経済学の想定する理想の市場の特質をまとめると、1)消費者たちは自分の損得をはっきりと把握している(経済合理性の仮定)、2)不特定多数の人がいることで個々人が市場価格に影響力を発揮することはできない。言い換えると市場の価格は個々人からみると、市場から与えられたものになる(価格受容者=プライステイカ―)、3)参入退出の自由、4)先ほどのコンビニ間の価格の違いをすべての消費者が知っているという例に示されるような、完全情報の仮定、5)移動に伴う余計なコストがかからない、というものである。これらのすべてが同時に成立した状態が、経済学の理想とする市場であり、それは簡単にいうとムダな資源の活用がない(売れ残りや品不足などがない)状態をもたらすものである。

 さて先ほどご当地アイドル市場を含めて、日本のアイドル市場は新陳代謝が激しいと書いた。だが観察していくと、個々のアイドルたちが直面している市場は、経済学の理想とする市場の新陳代謝の激しさとは中身がことなることに気が付いた。

 例えば、「地下アイドル」とか「ライブアイドル」などといわれる存在が、先ほどの日本のアイドル約5000人の大半である。テレビや雑誌などで頻繁に目にするAKB48グループ、perfumeももいろクローバーZなどは、むしろ例外的な位置にいるアイドルである。多くのアイドルたちは、雑居ビルの地下などの数十名から大きくても数百名程度が収容されるライブ会場で、日々営業活動を行っている。しかも会場の使用料金は高いので、何組ものアイドルと会場の利用を配分してライブを行っている(対バンという)。なので同じ会場には、大勢の観客がいたとしても、ある特定のアイドルのファンの数は極端に少ない場合もある。50人ライブ会場にファン(アイドルのファンなのでドルヲタともいう)がいても、対バンに出ているアイドルの数が10組くらいいれば、一組当たりのドルヲタの数はたかだか5名程度にしかすぎないだろう。

 つまり個々のアイドルたちが直面している「市場」は極端に少ない買い手しかいないかもしれない。この買い手の数が極端に少ない市場を「薄商い市場」と呼んでいる。もちろん売り手の方も個々のアイドルひとつしか、そのアイドル独自の商品(アイドルのライブや物販など)を販売していない。この状態は、経済学が理想とする市場とはかなりかけ離れている。

 「薄商い市場」では、理想的な市場に比べると様々な資源の無駄遣い、病理的な現象が起こりやすい。個々のアイドル側からみれば、数名しかいないような自分のファンたちひとりひとりのもつ影響というのはとても大きなものになる。いまある地下アイドルが10数名くらいしか固定のファンがいないとすれば、仮にひとりがそのアイドルに飽きて他のアイドルに「推し」(=ファンになること)を変更してしまうと、全体の売り上げが1割近く減少してしまう。逆のケースもいえて、誰か一人でも彼女を押すドルヲタが増えれば、1割近く売り上げが増加してしまう。このように少数の買い手の参入退出が、個々のアイドル市場の売り上げを大きく乱高下してしまう。言い換えれば、そのドルヲタは個々のアイドルに対して「市場支配力」を持っていることになる。また薄商い市場に特有の売り上げの乱高下を「ボラテリティ」とも呼称している。

 「薄商い市場」では、特定の取引者の影響力が大きくなってしまう。特定の買い手が市場支配力を行使すれば、その買い手の顔色や趣味を考慮して、サービスが形成されてしまうだろう。これはアイドル市場でもしばしばみられる現象であり、特定のファンの顔色しかみていないため、他のファンからみると市場は閉鎖的なものに思えてしまい、「薄商い市場」は自己実現的に薄いままになってしまうだろう。これを「市場の失敗」とも呼んでいる。

 アイドル市場は全体をみると、新陳代謝が激しく、特定のファンが市場支配力を持っていないかにみえる。ところが少数のファンしかもたないアイドルからみれば、「薄商い市場」が現出していて、それが彼女たちの経済活動を大きく損ねている場合があるのだ。