桑田学『経済的思考の転回』

 たまたま立ち読みして本書の中で20世紀前半の科学者であり、独特な経済論を提示したフレデリック・ソディの業績を丁寧に扱っているので手にとりました。オットー・ノイラートの「地質学的主体」という独特の観念を中心にした彼のエコロジー経済学の解説、そしてノイラートの前後の経済思想の歴史を展望して19世紀から今日までの<経済>という枠組みの見直しを狙う意欲的な著作です。

 先週末に経済理論史研究会に行くまで迂闊にも知らなかったのですが、本書と吉野裕介氏の『ハイエクの経済思想』は若い世代に与えられる経済学史学会の奨励賞を受賞した注目作品のようでした。

 新古典派経済学に代表されるような形式的合理性と、様々な自然的環境との相互作用の中での主体の在り方を問う「実質的合理性」との対比と後者への比重という、経済学と経済思想を批判的に再構築しようという狙いもこめられた意欲的な著作です。ただ個人的にこの種の試みは、「人間主義的経済学」を自分なりに研究していく過程で、何度も乗り越えがたい問題性に行きついた気がしています。

 例えば本書では経済的統治が中心的テーマですが、これを先ほどの多様な自然的環境という情報、そこでの様々な主体の意見の集約メカニズムとしてとらえると、本書にはその集約メカニズムのもつ問題性についてきわめてナイーブなものしかないように感じました。例えば、この種の試みは自然的世界を超えて超自然的世界、霊性主義的なものにむずびつきやすい性格をもっています。典型的には神智学的なシュタイナーの経済学、シューマッハーの「経済学」など。いわば霊的なものを合理的にコントロールするという領域にクロスし、そこで(カルト的ともいえる)宗教領域と切り結んでいく可能性と問題性を有していると思います。そして多くの<地質学的主体>はこの種の霊的な合理的「動員」の中で、大きく支持を広げると同時に、まさにカルト的な隘路に陥るというのが例えば、大田俊寛さんの『現代オカルトの根源』などで話題になっている論点だと思います。その点の問題について研究会でもうまく伝わったかどうかわかりませんが指摘しました。

 とはいえ、エコロジカルな経済思想史の流れを知る上で重要な貢献だと思います。