八木紀一郎「社会科学としての経済学 Political Economyの擁護』in『河上肇記念会会報』111号

 今回の『河上肇記念会会報』には引き続き河上肇の夭折した長男河上政男の日記が収録されていて当時の若者の心情がよくわかる。この河上政男の日記はまとめて誰か注釈をきちんとつけて出版するといいのではないか?

 他には八木紀一郎先生の論説が、例の学術会議のおける経済学の「参照基準」問題をテーマにしていて、「政治経済学」を擁護する立場から興味深い内容を展開している。ただ新古典派経済学の手法を「そのようなものを社会科学といえるのか」というのは言い過ぎであろう。八木先生の重要視している「制度・文化・利害関係と勢力関係」などの課題も新古典派的な手法で取り組んでいる人たちも多いからだ。

 ところで八木先生のいうPolitical Economyの特徴は、

1)社会的再生産の視点。「生産・交換・消費が時間的な過程のなかで行われ、それにより経済主体と彼らの取り結ぶ諸関係が変化をはらみながらも持続する。経済主体はこの再生産の関係のなかに位置」

2)1)の中で「階級」という集合的概念が重要性をもつ。八木先生は現代でも「階級」概念の有効性を提起。「また、再生産の理論の観点からすれば、「階級」を差異をもった個体の集団、つまり「個体群」populationとみなすことによって現代的な進化的なダイナミクスと結びつけることができるだろう」

3)市場経済、資本主義経済は「差異のある価値観、不平等な経済的・文化的な資産、変動する政治的勢力関係のもとにある社会の経済である。その影響力によって、決して口に出して語られることのない政策目標が追求されることすら珍しくない」。この最後の「口に出して語られることのない政策目標」については、八木先生はカレツキの「政治的景気循環論」の議論、ボールズ&ゴードンの1980年代のスタグレーションは企業の支配体制維持に必要だったという主張、クルーグマンの『格差はつくられた』での、白人保守派が人種差別をかかえた国として支配を維持するために格差拡大を目論んでいることなどを参照している。これらは確かに興味深い論点ではあるが、どうなんだろうか? 考えてみたい。

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