アイスバケツチャレンジ問題雑感

 twitterで特に今日つぶやいたものをまとめただけ。

 今回驚いたのは、アイスバケツチャレンジの依頼がきて、いじめなどで悪用されてたチェーンメール的なものを感じたことを、「パーティーに気乗りしない」程度の気持ちだろとか、「著名人に誘われたらのるんだろ?」とか、あるいは健康リスクを懸念する人に「公徳心を気取った後付け」という人がいたこと。

 よく差別されないと差別されたものの気持ちになれない、ということを指摘されるけれども、いま書いたのは、社会保障の問題や寄付の問題などで常日頃、いろんな発言や活動をしている人たちのもの。それだけに驚いた。セクハラやいじめが尽きないわけだ…。学んだな、なんか。

 氷水を拒否したり次に回さない理由をあたかも信仰告白的に述べないといけない空気。それはおかしくないだろうか? 僕個人でいえば、嫌なもの(チェーンメール的なもの)を書いてこられて不快に思ったのだが、そういう感情はまったく「正当」なものとしては認められない。「善意」には善意で応えろ的な。失望と自省だけですんでるが、いろんな意味で、考えるべき論点はあるな、と思う。