若田部昌澄「日本における構造改革ーある知性史ー」in経済学史学会(立教大学)

 久しぶりに経済学史学会に出席しました。お目当てはなんといっても若田部昌澄さんの報告です。当然ですが細部もよく練られた、現代的意義も大きい報告でした。日本における「構造改革」の思想的源流、改革そのもの、そして改革の知的な変容を、明瞭に分析した内容でした。報告要旨も英語ですがここで読めます

 例えば、「日本の構造改革新自由主義的か?」という問いはかなり問題をはらんでいると思います。日本的なドメスティックな要素が混在している、その意味では他国との知性史的な比較考察が可能ですね。

 特に日本の「構造改革」ももつ「システム」偏重の由来を、アカデミズム側の三人のキーパーソンを上げて説明したところは面白かったですね。まず青木昌彦氏、そして村上泰亮、そして現在の継承者であり統合者である
池尾和人氏への注目。

 青木昌彦:93年の「外的ショック」(共産圏の終焉、中国台頭などグローバル化)が日本的システムに「長い調整過程」をもたらしたといい認識。財政政策や金融政策の事実上の無視。「日本は経済システムである」という視点の優先。

 村上泰亮:日本経済をシステムとしてやはりとらえる。システムとしての開発主義、動学的収穫逓増、保護主義(産業政策の採用)、規制。効率的な官僚制の支持。

 池尾和人:青木流の比較制度分析(CIA)と開発主義の関連付けをする。開発主義の失敗が日本の長期停滞の原因。ビックバン型の改革の必要性。マクロ経済政策への否定。

 さらに非アカデミズムというか一般的な経済言説の場での、「日本的構造改革」の特色であるシステム偏重主義の源流として、野口悠紀雄榊原英資両氏の1977年の日銀大蔵王朝論文を、若田部さんは源流のひとつとしてあげています。

 また構造改革の運動的側面としての前川レポート、プラザ合意のもつ意味、96,7年の橋本政権の「構造改革」への注目などを指摘し、その上で、構造改革を考える上での現在での最大のキーパーソンとして竹中平蔵氏の業績にも分析を加えます。

 竹中平蔵:日本のアカデミズムのアウトサイダー、アメリカの体験(竹中が竹中になっていく)、サプライサイド経済学と合理的期待の統合、回転ドアや政策企業家の側面、そして竹中氏の経済思想のひとつの核ともいえる「アイディアはマーケットを経由しないとアイディアにならない」という考えに基づく、マスメディア戦略への態度なども面白い指摘として聞きました。さらに竹中氏の経済政策観(ショック療法に肯定的、構造改革なくして景気回復なしなど)に通底するFlexibleな態度こそが、政策策定者として成功した条件と、若田部さんは見ています。

 後半は報告が時間制限で足早なのがもったいなく延長してももっと聴きたかったのですが、構造改革というものの「あいまいゆえに一般にアピールした性格」、そして政治的スローガンとして「強すぎた」という側面の指摘もありました。

 野口旭さんのコメントでは、日本の「構造改革」論に顕著な「発展段階論」的側面への注目が再度語られました。日本の「構造改革論」では、キャッチアップには政府が必要だが、今は政府の役割は無効、という思想がある、ということです。これが若田部さんの「システム」偏重の日本的構造改革論の別様な表現でもあるのですが、もちろんこのような日本の「構造改革」論には、野口さんも若田部さんも僕も理論的・実証的にも間違いであると指摘してきたわけです。

 本日の報告は極めて面白く、自分の頭の整理にも役立ちました。

以下では同報告で参考になったいくつかの最新の文献を紹介。

Austerity: The History of a Dangerous Idea

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The Economist As Public Intellectual (History of Political Economy Annual Supplement)

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The Road from Mont Pelerin: The Making of the Neoliberal Thought Collective

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ゾンビ経済学―死に損ないの5つの経済思想

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