猪瀬直樹さんの公式ページ刷新

猪瀬直樹さんのホームページが大幅にリニューアル。読みやすくなってる。
http://www.inose.gr.jp/

表題の話題に関連して、10年前にご一緒にメールマガジンをやってたころのバックナンバーから、僕がかかわったものをに以下にご紹介。いまでも通用するのは喜んでいいのかどうか。

 ただしバックナンバーは創刊から1年ほどは保存してない。書籍になったりして吸収されているため。
『不況レジーム』を打破せよ―政府日銀の政策協調を実現するために―」(田中秀臣)

書評:宮崎哲弥著『憂国の方程式 日本、愛さぬでもなし』

構造改革不良債権問題、マクロ政策をめぐって(岩田規久男先生、岡田靖さん、小林慶一郎氏、野口旭さん、僕の珍しい座談会)第一回 第二回 第三回 第四回

猪瀬直樹著作集『日本の近代』を読む――後輩からの視点」(猪瀬直樹さん、宮崎哲弥さん、僕、内藤陽介さんとの対談。これはいま読んでも知的刺激に満ちている)第一回 第二回 第三回 第四回

以下、面白そうなところ引用

○田中● 猪瀬さん、意識してかどうか知らないけど、僕みたいな経済学的な
     バイアスから見ちゃうと、市場経済の成立とその発展という非常に
統一した視点を感じる。しかも構造改革って何かというと、たぶん三島由紀夫
が、結局不本意なかたちで終わっちゃっているんだけど、国と市場経済のあり
方のからくりを解く作業でもある。それをいかに暴いて、ある意味、祝祭空間
みたいなものをね、もう一回いまの世の中に呼び起こすような改革なんでしょ
う、おそらく。

○宮崎● ええっ、そ、そうなんですか(笑)。祝祭空間を招来するための改
     革なの?

○田中● だって、そうじゃないですか。空虚な中心は官僚に利用されてしま
     い、その官僚組織の歪みを正すのが構造改革ですから………。

○宮崎● ああ、そういうことか。知らなかった。

○田中● 結局、象徴的なもの自体を改革しなきゃいけないという問題意識が
     あるのではないかと思います。つまり、空虚な中心だったんだけど、
本当にもう中心でさえあることが困難になりつつあると猪瀬さんは書かれてい
ると思う。

○宮崎● 『ミカドの肖像』にロラン・バルトの『表徴の帝国』の話が出てき
     ますが、宮城を空虚な中心だといったのはバルトですよね。空虚な
中心であるがゆえにゼロ記号として作動し得る。それ自体は何ら意味的な価値
的な負性を帯びていないがゆえに、あらゆるものに意味を付与し、あらゆるも
のの価値を秤定できる「一般貨幣」システム。価値体系の要としての宮城、天
皇を中心とした価値秩序システムのことですね。このシステムを活用してプリ
ンスホテルのブランド神話が構成されたわけでしょ。

○田中● そうそう。

○宮崎● そうすると、田中さんのお考えだと、もはや現天皇制はいまやゼロ
     記号としても有効ではなくなったということですか?

○田中● ゼロ記号として、何か原初的な力で発動していくとか、もう一回そ
     の力を与えるという考え方は、僕は、三島由紀夫の失敗の道だと思
うんです。もし天皇家がいたるところにゼロ記号として流布しているんだとす
れば、飽和しているかどうかわかりません。むしろ天皇家はゼロ記号としては
非飽和であるようにも思える。

○宮崎● 私はもう飽和してると思いますけどねぇ。そうすると、たとえば構
     造改革によって再び市場を賦活するとしても、どうもよくわからな
いのは、そういう祝祭空間を現出させる力というのは、市場システムに内在
しているものなの? それとも超越的な外部から降臨するものなの?

○田中● うーん……。僕は空虚な中心を再構成するという改革には困難を強
     く感じてしまいます

○宮崎● いや、これは大切な点でね。「日本近代の来歴と消息」の探求が、
     猪瀬氏の仕事のメインストリームだとすれば、いま田中さんが指摘
されたことが、近代の帰趨を指し示しているような気がするんだ。

○田中● そうですねえ。ちょっと話をずらすと三島由紀夫の『文化防衛論』、
     これもなかなかおもしろいんですよ、橋川文三に批判されてますけ
ど。その批判も猪瀬さんの『ペルソナ』に書かれていて、三島はナショナリズ
ムというのを全体性と再帰性と主体性と三つの観点でとらえているんです。全
体性というのは、さっきの延長で言えば、いたるところにゼロ記号としての天
皇がいるという感じなんです。身体レベル、感情レベルでね。再帰性というの
は、ともかく繰り返す。これは複製的なニュアンスなんですね。近代以前だと
謡曲の『蝉丸』とか、『万葉集』であるとか『古事記』であるとか、それらの
写本もかぎられてますよね。ごく一部の範囲にしか伝わらないし、口承文学と
いってもごく小さいサークルのなかでしか流布しない。それが近代以降になる
と、再帰性は、印刷技術の発展を受け入れることによって爆発的に確保されて
いく。

 三島由紀夫の失敗は、残された主体性だと思うんですね。もう一度、中心と
周縁の関係をリシャッフルするような形で、つまり、コスモロジカルなものが
またバァーッと出てきて、中心と周縁というふうに民衆の欲望みたいなものを
抑えていたこの象徴的なものの枠組みを壊しちゃう。おそらく三島由紀夫は、
そういった方向を目指したように思えます。

 しかし実際には、現在はあまりにも象徴界が量的に大量なんで、三島由紀夫
の力でもってしても、祝祭空間、つまり、コスモロジカルなものをボーンと持っ
てきて象徴的な世界を流していくような形には、たぶんならないんでしょうね。
結局彼の市ケ谷自衛隊の演説も、ヘリコプターの爆音とか自衛隊員の野次で
消されてしまった。三島由紀夫の失敗の意味は重要な示唆に富むと思います。
やはり、あまりにもコスモロジカルなもの、民衆の欲望というものに期待をか
けたような改革は制約があるんじゃないかなと、僕は思うんです。

○宮崎● その点については、『唱歌誕生』と『黒船の世紀』の二作が参考に
     なる。つまり、「故郷」とか「戦争」といった民衆の表象がいかに
して成立したか、ということが描かれているわけですね。田中さんがつとに批
判されている「構造改革」像もそうだけど、そういうものはうまくタイミング
を計れば、かなり意図的に「作り込める」可能性があるんじゃないの?

○田中● それは『欲望のメディア』で触れられていますが、戦争が終わって
     天皇終戦玉音放送を流すわけですね。初めてそこで多くの人が
天皇の生の声を聞いたわけです。言い方を変えれば、戦前は実物の天皇を見せ
ないことで天皇制が本当に機能していた。

○宮崎● うんうん。

○田中● 戦後というのは、玉音放送で話して、生の天皇が出てきて民衆の共
     同体的な感情に訴えたかというと、そうじゃなくて、逆に天皇の声
自身が象徴的に商品化されていく。それがこの『欲望のメディア』のベースに
ある考え方じゃないかなと思うんですよ。だから『唱歌誕生』とか『黒船の世
紀』のベースにも、僕は――僕の読みですけどね――、戦後的な象徴としての
天皇じゃなくて、コスモロジカルな世界と象徴的な世界というこの分け方での、
象徴的な世界としての天皇論が一貫して流れてる。故郷というのもじつは近代
以降に象徴化された故郷でしかないと思いますよ。

○宮崎● その通りですよ。だけど三島はまさに象徴としての天皇依代とし
     て、実体的な力──祝祭空間を現出させる──を呼び出そうとした
んじゃないの。同じように小泉純一郎もほんの束の間、依代になったことがあっ
た。だからこそ90%という空前の支持率があったわけでしょ。私達は、小泉に
降りた「構造改革」の神に一瞬、目を焼かれたんだよ。その「改革」は経済学
的にみれば矛盾だらけ、間違いだらけだったかもしれないけど、「ユニオン・
サクレ」が振起したことだけは間違いない。

で、僕は創刊の2001年4月からの編集のお手伝いをこの02年の7月で終わり。あとはたまに投稿することはあったけど。

「ステルス型危機へのプレリュードか、再生への扉が開くのか?」
「世代対立の経済学:試論」

ちなみに01年の創刊からバックナンバーに掲載されたないものは以下の書籍にだいたいは吸収されている。ほとんどの本の内容がいまでも通用するには素朴に驚く。いったい日本のこの停滞はなんなんだろうか?

一気にわかる!空港の内幕―日本病のカルテ

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日本病のカルテ 一気にわかる!住宅金融公庫廃止論

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日本病のカルテ 一気にわかる!デフレ危機

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一気にわかる!特殊法人民営化―日本病のカルテ

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