昭和天皇と経済政策

昔、『プレジデント』に掲載した書評。

昭和天皇
ハーバート・ビックス/吉田裕監修/岡部牧夫・川島高峰
講談社 上下巻ともに2300円+税

 日本の20世紀前半における政治的決定のメカニズムは何か。そのメカニズムに最終的に「責任」を負うのは誰であったか。著者が解明すべき問題はほぼこれに尽きている。そして答えも明瞭だ。昭和天皇とその周囲の宮中グループが政治的決定権を掌握しており、それゆえ最終的な政策の「責任」は昭和天皇にあった。
本書はこの問いと答えを実証的に論じた、翻訳で上下700頁に達する重厚な著作であり、一読すれば日本の20世紀の歴史を簡潔に知ることができるだろう。
特に本書で周到に記述されているのは、昭和天皇の思想的な内面である。政策決定のほぼすべての「責任」を負う人物はどのような人格と思想的な背景を有していたか、そして彼の政策遂行上の「目的」はなんであったのか、が詳細に明らかにされている。
昭和天皇の記録はいまだ大半が未公開のまま宮内庁によって秘蔵されている。そのような一次資料の制約にもかかわらず、著者は侍従や政治家、そして昭和天皇に「ご進講」を行った教授たちなどの日記・回顧録・証言などを広汎に収集してそれをもとに昭和天皇の「思想的な内面」を描き出そうと試みている。もちろん本書は思想史的な研究を目指しているのではない。あくまで政策決定の「責任」を負えるひとりの独立した人格としての天皇を描き、彼の政策決定上の最優先課題を問うことが第一の目的である。
幼年時代から摂政時代、訪欧体験、やがて若き「君主」として君臨するまでの過程は本書の白眉である。著者は、昭和天皇にとって最優先とすべき価値とは、なによりも皇室の継続や安寧であったと断じている。
天皇は本質的には、皇室を守り、強固なものとし、投票によって選出された職業政治家が政策形成に対して持つ影響力を徹底的に低下させ、そして危機の対処に必要な改革だけを認める立場にあった。なぜならば、天皇はみずからを国家と同一視」(上巻259頁)していた。そのため政策の決定において内閣や国会はまま軽視され、熱狂的な国家主義の台頭と軍部の介入をゆるす結果になった。
さらに昭和天皇は祖父である明治天皇の神格化されたイメージを引き継ぎ、国家的なプロバガンダを伴いながら、「大元帥」として軍部にまで影響力をおよぼそうとする。天皇はすべての情報を掌握したうえで中国進出から日米開戦までの判断を下すが、結局は敗戦という「政策の失敗」に終わった。
ビックスは占領時代から戦後にあって、昭和天皇がこの「政策の失敗」の「責任」をとらないことを痛烈に批判している。「内省なきその人生」という戦後の章題が著者の意図をすべて語っているだろう。
本書の主張は非常に明快だが、ある意味で単線的である。また典拠のはっきりしない個所も多く、著者とは見解の違う解釈への引用も少ない。評者の専門からでも注文がある。金融の専門家である山崎覚次郎から「ご進講」をうけるが、他の科目である憲法歴史学にくらべて天皇への影響がなかった、それが1929年の昭和恐慌時に緊縮財政政策の認可という経済学の基本を理解していない行為にあらわれている、とビックスは書いている。しかし、山崎こそまさに金本位制への復帰のために不況下の緊縮政策を主張した代表人物のひとりであった。その意味では天皇の認可は山崎のよき弟子としての行為ともとれる余地がある。
いっそう重要だが、金本位制への復帰願望こそが日本の経済社会の方角をあやまらせた「決定的な岐路」であったという認識がビックスにはないことだ。最近の世界恐慌期の研究水準からいえば不満が残る。当然、ビックスは書いていないが、日本の戦前を「失われた」ものにした金本位制の離脱・復帰という過程はすべて昭和天皇の「責任」ではなく、官僚たちの一片の政令で可能になったのである。昭和天皇の政策決定の総体を描くにしてはこの経済問題の軽視は大きな欠陥に見える。単純な図式はわかりやすい。しかし大局を無視した単純化は許されない。