菱山泉『近代経済学の歴史』とデニス・ロバートソン解釈問題(その1)

 デニス・ロバートソン(1890年ー1963年)はケインズと並ぶケンブリッジ学派の偉大な経済学者。ただしケインズが『一般理論』で彼以前の経済学を「古典派」としてまとめて批判したために、長い間その悲哀?をなめてきた。菱山のこの古典的な経済学史の本は特に、ケンブリッジ学派のピグーとロバートソンが、ケインズと同様かそれ以上にセー法則を否定する経済理論(一般的過剰生産理論)を構築したのではないか、としたところにある。個人的にロバートソンの勉強をしているので以下はそのメモ。ただし今日の日本銀行の経済政策を考える上でも興味深い論点がある。

 本書のロバートソン解釈は、第4章ケンブリッジ学派の景気循環論、第5章のロバートソンで展開されている。第4章では、ピグーとロバートソンの実物的な景気循環理論が、ケインズと同様にセー法則(供給は自らの需要を作り出す=一般的過剰生産の否定)を批判できたものとして積極的に解釈する。菱山本の白眉のひとつだろう。今回はこの第4章をまず簡単に整理する。

 景気は所得、生産、雇用(そして後にみるように物価水準)の変動によって観測される。ピグーは特に労働需要の自律的な変化に注目した。労働需要のトレンドからずれる変化は、産業投資におけるビジネスマンの利潤期待に依存する。

 労働需要の基本式は以下で表現される。

 貨幣賃金率=価格×労働の限界生産物

 この価格の予想が上昇するとビジネスマンが認識したとすると、雇用は増加する。また他方で貨幣賃金率や労働の限界生産物自体にもビジネスマンの予想が大きく影響する。さてこのようなビジネスマンの利潤期待に働きかける要因はなにか? ピグーはそれを実物的要因、特に大きな発明としてとらえた。

 さていまこの種の実物的なインパルスが経済に伝播したとしよう。このインパルスの影響が経済を拡大するか縮小するかは、ピグーもロバートソンもその産業の需要弾力性に依存すると考えた。これを二部門で例示している。経済がA部門とB部門。貨幣は捨象して、お互いの価格は互いの財の数量で表示される。例えばAは小麦、Bは鉄。1トンの鉄に対して20クォーターの小麦がその相対価格。いま小麦にインパルスが生じて、より多くの小麦がとれたとする。そうすると小麦は鉄に比較して相対的に安くなる。とことで小麦産業の需要の弾力性が1より大きければ、この小麦の価格の低下は小麦の需要量を増加する。ところで(鉄表示の小麦の価格)×(小麦の販売数量)だから、小麦をより多く取得するために鉄の生産と雇用も拡大する必要がでてくる。反対に小麦に対する需要の価格弾力性が1よりちいさければ鉄の生産と雇用は縮小する。もし需要の価格弾力性が1ならば、鉄の生産も雇用も変化しない。ピグーは需要の弾力性が1のケースはめったに起こらないと考えた。

 「ある産業に生産拡大のインパルスが発生すると、各産業相互の需要弾力性が1より大きければ、経済全体は拡大に向かう。あるいは、需要弾力性が相互に1より小さければ、かえって縮小に向かうかもしれない」

 いま仮にある産業で価格が低下するとしよう。各産業の需要弾力性が1より大きければこの価格低下は経済の拡大を促す。つまり価格の低下は経済の自動的な調整の一助をなす。ところがロバートソンによれば、各産業の需要弾力性は1より大きくはない。ロバートソンは、生産財を算出するグループと運送用役を行う産業は弾力性が1より小さいと考えた。このとき価格低下によっても経済は自律的に安定しない。

ピグー=ロバートソンは、すでにみたように部門相互の実物的需要弾力性の概念によって、このようなせー法則の基底にある根本的な想定を否定し去っている。すなわち、例えばある部門における部分的過剰生産によってその部門の相対的価値が下がる場合、他の部もによるこの部門の商品に対する需要の弾力性が1より大きければ、ほかの部門の生産ならびに雇用の拡張をひきおこすであろうが、当該商品に対する需要の弾力性が1より小さければ、反対に他の部門の縮小をみちびくことになろう。いうまでもなく、需要の弾力性が1に等しいときには、ほかの部門の生産活動は不変に止まるだろう。いずれにしても、セー法則が想定しているように、相対的に価値が高くなった部門には必然的に生産活動を拡大するような調整要因が働くというメカニズムは、容認されない」(菱山、153-4頁)。

以下は、菱山泉『近代経済学の歴史』とデニス・ロバートソン解釈問題(その2)に続く予定

近代経済学の歴史―マーシャルからケインズまで (講談社学術文庫)

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