高橋亀吉&森垣淑『昭和金融恐慌史』と震災の経済史

 昨日の未明にTwitterで書いたことを整理して掲載。

 さて高橋亀吉と森垣淑『昭和金融恐慌史』(講談社学術文庫)は、容易に入手可能なので読んでいただきたいが、そこには関東大震災の与えた影響が克明に描かれている。日本経済への打撃は、(原発問題自体の推移がよく判断しかねるが)関東大震災のショックがいかに強烈だったかがわかる。

 日本経済は第一次世界大戦の「バブル」から本格的に回復することなく、自らの政策の失敗と国際的な経済環境の悪化により「二重の打撃」を受けている状態にあった*1。そこに関東大震災が猛烈なショックとなってあらわれた。高橋のあげたデータではその損失は45億円、当時の国家財政規模20億円を軽く上回る。

 ちょっと研究室(群馬で崩壊中)にいかないと正確なデータがないが、高橋らの著作によれば震災の復興のための公債発行は11億円(当時の財政規模の50%超)、外債発行(5億5千万円)、また(今風の比喩でいえば子供手当などのムダな支出を削って)預金部資金から五千万円強が支出された。

 また関東大震災以前から、日本経済は「二重の打撃」」を経験していて、世界経済が復活傾向にあるなかでひとり乗り遅れていた、とする高橋らの分析は、今回の東日本大震災以前の日本のおかれた状況とても類似している。

 高橋らの解説で興味深いのは、為替レートの関東大震災後の乱高下である。いまの日本の状況にとって興味深い。関東大震災直後では、現在の日本とは異なり円は急落した。しかし震災後、20か月たってから今度は暴騰しはじめる。これは投機的な円買い圧力によるものだが、その真因は日本銀行のスタンスだ。

 当時の政府、財界、日本銀行とも金本位制への復帰を旧平価で行うべきであると考えていた。これは事実上、日本銀行のスタンスをデフレ的なものにし、また政府は(震災の回復がひと段落したと判断しー誤りだが)緊縮政策へのスタンスを採用した。これが将来的な円高期待を惹起し、投機的な円高を誘発した。

 実際に効いていたのは、日本銀行のデフレ的スタンスであり、それは当時ではイコール旧平価への復帰だった。高橋らの著作から引用しておこう。

「わが朝野がすでに旧平価金解禁を目指していることは厳たる事実であった。そして円為替相場は、投機的に刻々と高騰の大勢にあり、当時の形勢からいえば、誰が目にも早晩旧平価にまで回復することは必至の情勢であった。そうである限り、常に将来の見通しによって活動する財界としては旧平価解禁を現実の問題として勘定せざるを得ない。略 とくに、円為替相場が、ニューヨークおよび上海筋の投機によって頻々と上下しながら高騰し、その高騰が金解禁断行を促進強要するという当時の実情の下においてはそうである」。

 日本銀行のデフレターゲットともいえる緊縮スタンスが、投機筋の思惑を招き、それが趨勢的には円高を招きながらも、頻繁に上下動を繰り返す。この上下動(趨勢は円高)を抑えるために、旧平価(必然的にデフレを伴う)のアンカーが自己実現的に求められたことがわかる。

 いまの日本では国際的な協調介入が行われた。円高を伴う投機的な為替レートの上下動をおさえる為替の安定化。このときの「為替の安定化」は、戦前と同じように過度な円高水準である1ドル80円を事実上のアンカーとしてもうけられているようである。協調介入がかりに成功してもそれは過度な円高をともなうデフレをアンカーにしたものとなる。また協調介入自体の効果もまだ不明といっていい。なぜなら日本銀行のスタンスも政府のスタンスも緊縮的、デフレ的なものであることから、それが趨勢的な円高を予測させて投機筋の動きを招く可能性があるだろう

 さて高橋たちの本に戻ろう。高橋たちの本に引用されているが、当時、結城豊太郎は以下のように書いていると高橋らは引用している。

 「要するに、震災後清浦内閣成立から昭和2年金融恐慌に至るまでの四年間歴代内閣が一貫してとった為替政策はその動機の何であるかにかかわらず結果は為替相場のつり上げということに帰したのであるから、その影響として一般物価は常に低位に置かれました。すなわち一般金融市場からも為替相場の方からも強く物価に影響したのである。かつ為替相場の低落ということが一種の国辱であるかのごとき心理作用が常時政治家の頭に絶無でなかったこと、また輸入業者とくに紡績業者が率先為替相場の騰貴を希望して運動を開始したことなどもかかる機運を導くのに力があった。しかしこの為替激騰の影響については物価の急落事情が昭和ニ年の金融恐慌を惹起した一般的現象であることも、今日から見れば覆うべからざる事実となったのであります……」。

 結城が指摘したような円安を国辱とでも誤解している政治家、企業家は容易に何人もいまの日本でも指摘することができる。

 高橋たちの本から、関東大震災以降の教訓をまとめよう。

1)日本経済が震災以前からすでに弱体化=デフレ不況化していた事実をみること、
2)復興政策は公債発行で資金を調達し、安易に規模を縮小せず、また中途半端に緊縮政策に移行すべきではない、
3)日本銀行のデフレ=円高政策が騰貴を招き、また危機を誘発する。

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昭和金融恐慌史 (講談社学術文庫)

昭和金融恐慌史 (講談社学術文庫)

*1:この高橋&森垣の「二重の打撃」はひとつは日本経済の構造問題が日本銀行などの企業救済により先送りされたという点と国際的な戦時経済から平時経済への転換に日本が乗り遅れたといく構造問題的視点が色濃くあり、その意味では、日本が東日本震災前に直面していた「二重の不況」とは異なる。この「二重の不況」については、田中の『デフレ不況』を参照されたい