ロマンス、コミック・コード、非実在青少年

 最近、議論もしてないのになぜか変なまとめサイトでコミック関係の議論の相手にでっちあげられてしまい、でっちあげた人間がこのブログでは札付きの人物なのでまあ、性懲りもないとほっておくことにした。

さて、アコログから引用http://ironjoe.blog7.fc2.com/blog-entry-292.html

 ていうか、ロマンスものコミックって、1949〜1950年に壮絶なバブル時代を迎えて(Grand Comics Databaseで「love」もしくは「romance」で検索してみると、1949、1950年に常軌を逸した数のロマンスものが創刊されてるので試してご覧なさい)、結果、この2年でバブルがはじけて、以降はジャンルとして尻すぼみになっていった感じなんで、コミックス・コードがジャンルの成長を阻んだ「直接的な原因」的に捉えるのは言い過ぎじゃないかと思うのですよ。

 かなり前に読んだのでもう詳しい内容は忘れたけど、このブログでも紹介したことのあるMichelle Nolan のLove on the Racks: A History of American Romance Comicsがこの話題に触れていたと思う。コミックコードとの関係は特に印象にはないけれどもジャンルの終焉の理由についてはふれてたのでぜひ興味のある読者は読まれた方がいいと思う。まあ、非実在青少年とは関係ないけどw

 ところでその非実在青少年だけどもともかくtwitterで数日前につぶやいたときは視点を少し変えただけでも大変な感情的反発みたいなものを招いて驚いた。まるで「反対の陣営に加わらないのは罪」みたいな感じ。別に法案に反対だとも賛成だともいってなく、違った意見書いただけで 苦笑。

 さて昨日の朝にちょっとTwitterに雑感を書いた。これへの反応は驚くほどなかった。たぶん数日前のいさかいで少し冷静になったのかも。書いてる趣旨は同じだけどw あるいは最初に「法案が糞」と書いたのでそこだけ読んで安心したのかもしれない。正直そうだとしたらそういうマインドの連中には呆れるのだが。

非実在青少年の件、法案そのものが糞なのはいいとして、むしろ反対する連中の主張がどうも気になってしょうがない。なんというかファナティックというか。まあ数日前にそれでここでも少しもめたが。「表現の自由」って考えたらたぶん「生存権の社会政策」の基礎を考えるのとほぼ並行するほど難しいはず。

 終局的には、「表現の自由」も異なるビジョン(もしくは価値判断)の問題に帰着するだろうけど、このビジョン(価値判断)は、T.ソウエルや山田雄三の丁寧な議論を想起するまでもなく(いや、想起してほしいがw)、合理的なものであり、実際には実証可能なレベルでもあるはず。

で もこの問題で複数の知人や編集者からメールがきて反対の戦列に加われ!みたいな感じだったが、どうもその無根拠に「表現の自由」を持ち出すのが釈然としなかったなあ。あとコンテンツ産業が崩壊する、という人も結構いたが。そもそもコンテンツ産業とは何かでもめてるわけだが…

 引用中にでてくるソウエルの議論はここ参照山田雄三の議論はここ参照。自分としては彼らの議論を踏まえて、その応用として「ロリコン」(非実在青少年とイコールとは思ってないけど)をめぐる「表現」に関した対立した社会的ビジョン(価値判断)の問題をみることが有益かな、といま思っている。場所が与えられれば書くけどね。

A Conflict of Visions: Ideological Origins of Political Struggles

A Conflict of Visions: Ideological Origins of Political Struggles

 あと個人的な意見なのでみなさんの賛同はいっさいいらないがw このブログでもたびたび批判している人たちが反対運動の中核なのも正直、違った視点でみといたほうがいいかも、という本能的な防衛意識を惹起するのは正直なところではある。