片岡剛士『日本の「失われた20年」 デフレを超える経済政策に向けて』紹介文

 第四回河上肇賞本賞受賞作をもとに全面改稿した大作の刊行が来週に控えている。直近の事態を実証・理論両面からきちんと分析した本格的なマクロ経済論の登場であり期待が高まる。

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 というわけで今回は著者が小冊子「機」に書かれた自著についての紹介文の一部を以下に引用する。

 「疑問」に答えるためには、一九九〇年代の長期停滞はなぜ生じ、二〇〇二年以降の景気回復がどのような経緯を辿って生じたのかを明らかにする必要がある。そして統計資料を観察すると、二〇〇二年以降も一九九〇年代の長期停滞を克服できなかった現実が明らかになる。つまり、長期停滞は未だ終わっておらず、日経平均株価が最高値を付けた一九八九年一二月末から数えて二〇年が経過した日本経済は「失われた二〇年」を経験したと言えるのである。

■日本の経済政策の「失われた二〇年」
 「失われた二〇年」に終始一貫して影響を及ぼしているものは何か。それは物価上昇率の停滞であり、一九九〇年代後半以降生じているデフレである。デフレは消費や投資といった内需の停滞につながり、雇用環境を悪化させ、更に為替を通じて輸出にも影響する。デフレが持続しているのは、一九九〇年代後半以降の日本の経済政策がデフレ脱却に失敗しているためである。確かに二〇〇一年に日本銀行量的緩和政策を導入し、二〇〇三年から二〇〇四年にかけて財務省が行った円売りドル買い介入が基点となって、日本経済は回復へと転じた。しかしこれは、デフレからの完全回復を伴っておらず、先に述べた「実感の無い」景気回復をもたらして現在の深刻な不況へとつながっていく。そしていまだ日本の経済政策はデフレの払拭に正面から取り組んでいない。
 一方、世界金融危機震源地であった米国は、日本の失敗の経験を生かして急速かつ深刻な信用危機を沈静化し、将来デフレが続くとの予想を払拭して、資産価格の回復や実体経済の回復という形で着実に景気回復への道を歩んでいる。紆余曲折はあるだろうが、米国が日本と同じ道を辿る可能性は低い。新たな一〇年の始まりを迎えた段階において日本経済に求められているのは、デフレを超える経済政策を策定し、実行することに尽きるのではないか。
 眼前に広がっているように見える「陰鬱な未来」を払拭するには、経済政策の「失われた二〇年」から脱却することが必要なのである。