78年マクロ経済学に昔から立ってます

 ロバート・ゴードンが現在の主流派マクロ経済学であるDSGE(動学的一般均衡モデル)を批判して、78年時点のマクロ経済学(動学的な総需要ー総供給分析)の意義を唱えた(ここ参照)。実は僕はDSGEには一貫して懐疑的で、日本では百害あって一利なし、と思っていたわけです。

 いつだったか、DSGEではないですが、「おまえはニューケインジアンだろう?」といわれたときに「じゃない」と否定したのは、ここらへんのゴードン流の78年マクロ経済学を心の中で信じているからです*1。信じるだけでなく、それでほぼ現状の日本経済も欧米経済の分析もできるので不便を感じないからでもあります。

 日本銀行や世界の中央銀行はこのDSGEモデルを前提に議論していて、それを政策ベースに反映している、といいますが、すでに海の向こうでもこの点に関して、ゴードンを代表にしていろいろ議論もあるようです。ましてや日本銀行はそりゃ若手日銀エコノミストを大量に起用して自行の政策の弁護のためのDSGEペーパーを大量生産していますが、日本銀行がそれを前提にして政策を決定してきたという証拠はないですし、むしろその都度その都度の自分たちの組織やら外部的な政治事情に左右されている傍証の方が豊富なように思えます。それが昨日のエントリーに書いた日銀の市場「外」での市場とのコミュニケーションという歪んだ手法にも端的に表れているように思いますね。つまり他方では弁明としてのDSGEモデル作りを若手に奨励し、他方では恣意的な政策運営を行う、というのがある特定の視点からみたわが国の中央銀行の姿ではないだろうか。ただDSGEモデルを理解するのは結構なことでおやりになればいいんじゃないでしょうか(棒読み)。

 それと白川総裁の一問一答を斜めみた感じでは、彼はデフレやデフレ期待といったものは定義の問題であるとして、もっぱら金融システムの安定に集中するといっているようです。しかし内生的な貨幣供給を前提にして、先の78年流の動学的総需要・総供給分析を適用してみると、金融システムに広範なショック(負債デフレが原因で貸し渋りなど)が存在しないケースでは、金融システムの安定に中央銀行がその政策資源を割いても経済変動の不安定性を回避する上で効果が乏しいことが証明されています。

 むしろ(日本の長期停滞のほとんどの時期がそうなのですが…いわゆる不良債権問題と貸し渋りの関係ですが、この論点は野口旭さんとの『構造改革論の誤解』を参照)負債デフレで貸し渋りが深刻ではないケースでは、期待インフレ率が不安定化すること(=デフレやデフレ期待が深刻になる)がよほど経済を不安定化してしまい、そのためにインフレ期待をコントロールする政策が望ましい、という帰結もでてくるわけです。

 もちろん日本銀行がマネタリーベースを拡大するのも重要なのは言うまでもないです。

 例えば今回の世界同時不況当初で、大企業の銀行からの資金調達増加(=株や社債市場の低落の反映)と中小企業の銀行からの資金調達の減少(大企業の銀行貸出へのシフトに伴う調達コストの上昇)が問題視されていた。そのためCPの日銀購入はこの観点から正当化されるだろう。それを年内にやめるという日銀の決定は資金調達コストの高止まりが解消したという判断だろう。つまり貸し渋り状態の解消である(これも議論はあるだろう)。そしてむしろ資金需要の減少が問題だ、というのが認識なのだろう(真剣に日銀が思ってるか甚だ疑問ともいえるが)。そうなれば先の78年モデルからいえば、中央銀行の問題は、マネタリーベースを増加させること、そして期待インフレ率をコントロールする政策(インフレ目標)の導入ではないだろうか。

なお上記の78年マクロモデルについては詳細に今度の公開イベントで解説したい。もちろんDSGEに至るマクロ経済学の歴史もサーベイする予定。

*1:DSGEがニューケインジアンと実物景気循環理論=新古典派マクロ経済学の総合を果たしているという人にはこの「ニューケインジアンか?」という問いは、「DSGEを支持しているか?」という問いと同じですが。ああ、面倒くさい 笑