ポール・クルーグマン『危機突破の経済学

 献本いただきました。ありがとうございます。

 クルーグマンが日本の政策当局に「謝罪」とか、インタゲを放棄したとか嘘もいいかげんにしろ、と思っていたたんですが、もうそろそろこれで決着でしょう。しかしなんでそういう嘘をついてまでインタゲやクルーグマンをはじめとする日本の政策の失敗を指摘する面々への誹謗中傷が、ブログどころではなく、書籍ベースや新聞などでも展開されるのか? 本当にこの日本的な風土は奇奇怪怪といっていいでしょうね。英語が読めないとか聞き取れないとか、いろいろあるにせよ。

 さて本題です。本書は解説の若田部昌澄さんの言葉にもあるように小冊子ながら「80分間世界経済一周」の旅を約束してくれるすぐれものである。しかも他の本ではあまり論じられていない、アメリカの「基軸通貨」議論や、日本の東アジアの共通通貨圏構想なども検討していて、その過程でのクルーグマンがまだまだ考えをいろいろ思案しているその過程が見聞できる点が非常に興味をそそられた。

第一部は日本編である。日本がなぜ先進国の中で最も不況が深いのか? それは「失われた10年」から本格的に脱出していなかったこと(脱出しないまま日本銀行金利を引き上げたからであること)、そして日本が内需が回復しないまま貿易に依存した経済環境にあったこと、の二点が、今般の世界同時不況のショックにとりわけ日本が大きく落ち込んだ理由を見出している。

 クルーグマンの世界同時不況は、政策の失敗であり、その主犯はグリーンスパンということになる。つまりグリーンスパンがバブルに至った過剰な投機の規制(影の銀行システムへの規制)を行わなかったことが原因である、という指摘である。クルーグマンはバブルは絶えず起こるものであり、問題はそれを対処可能な範囲に押しとどめることであり、それはミクロ的な規制による、と考えているように思われる。

 さて簡単にいうとクルーグマンは日本がデフレに再突入し、「失われた25年」になることを最悪予測している。そのためインフレターゲットの採用をすすめている。人々の将来的な予想インフレ率を例えば4%に設定することで、予想実質金利を引き下げ(クルーグマンはマイナス水準を指定)、それで投資や消費の拡大をすすめるわけである。

 しかしこのインフレターゲットが本当に実現可能なのか? でクルーグマンが悩んでしまうと書いている。ここで早まって、インタゲにはそれを実現する手段がない、などとはいわないように。そういう手段の困難性というよりも、本書で注目されているのは、日本銀行が次の10年間で4%のインフレを許容できる中銀なのか、? という点に絞られている。

 もともろ日本がこんなに深い不況になったのは、日本銀行がゼロ金利の解除を本当にデフレから脱却できたかどうだかわからない水準で決めたことにあった。クルーグマンもまたこの日本銀行の変わらない態度をみるかぎり、はたしてインタゲを採用しても公衆がそれを信頼するのか? つまりインタゲといいながらも「嘘」であり、中途半端なインフレ率を設定したり、あるいは長期のインフレ目標の維持を放棄するのではないか(景気が多少よくなれば緩和をやめる)、という点に日本の政策の困難性をみていると思われる。

 これに対するクルーグマンの積極的な提案はない。しかし別にクルーグマンに頼る必要はない。なぜなら十分に日本の政策論議でもあるいは政治の場でも日本銀行法の改正や、また財務省(政府)とのアコードが提案されてきた。そして問題はこの提案をどう実現していくかにある。

 さて日本や中国などの東アジア共通通貨構想であるが、そもそもこの提案はドルの「基軸通貨」の位置の下落という議論の裏返し。しかしクルーグマンは「基軸通貨」というものの便益は高々、ドルの価値を1%のさらに何分の一しか高めるのに貢献していない(基軸通貨ゆえにドル資産を保有するなど)と断言している。これは正しいだろう。そして東アジアの共通通貨論もまた参加する国家があまりにも多様なために調整コストが膨大でわりにあわない、とばっさり。ここらへんの議論は小宮隆太郎氏と森嶋通夫の論争における小宮氏の指摘と同じである(この論争については拙著『経済政策を歴史に学ぶ」に書いたので参照されたし)。

 アメリカ経済については、やはりオバマ政権の経済政策への期待が大きいのがわかる。ところでクルーグマンが成長産業としてヘルスケア産業に期待しているのがわかった。クルーグマンはアメリカ国民一人当たりの支出やその伸び率に注目している。クルーグマン自身この産業が非効率的な認識はあるようで、それがテクノロジーの進展で効率化されるという判断なんだろうか? まあ、それは僕には不可知であるようにしか思えないわけだが。むしろ日本のその分野への支出がそれほど大きくないのがむしろ僕にはなぜかほっとしてしまう(だって無駄なお金の使い方をするところにガンガンお金を使ってしまうのは長期的にまずいでしょう)。もちろん程度問題もあるけれども、わざわざ無駄なお金の使い方をするところにガンガンお金を注ぐ必要性は、深刻な不況のときでも慎重にすべきでしょう。そもそもわざわざそんなことをしなくても失業保険の整備(額の水準引き上げよりも対象の拡大など)、恒久的な減税、超金融緩和政策、社会資本整備、基礎教育への投資拡大など、やることあるわけで。それでも効果がなければ小野善康さんと飲んだときの放談でお互いに同意したけれども(笑)、北海道を一大レジャーランドにするぐらい考えてもいいわけです。となんかクルーグマンのここらへんの記述に妙に熱くなった 笑

 さてクルーグマンはもし日本の政策当事者になったらインタゲ導入、財政政策は大型のは難しいので、非伝統的金融政策(住宅ローン、CPの購入など)をすすめる。物価連動債もインフレになったらいい指標になるよ、と述べている。

 最後に、クルーグマンは経済学者とは多かれ少なかれケインズと同じように「文明を救う者」という位置づけをしているように思える。クルーグマンほどの人物がいうならば、と多くの人は納得するだろう。でも別にこれノーベル賞をとらなくてもいいわけです。例えば僕も「文明を救う」などとは思ってませんが(突っ込みたかった人、安心して 笑)、クルーグマンがその代替的な行為として書いているのが、ハイエクのような「スランプはつねに好況に対して払う代償である」という考え方を批判すること。ハイエク流のこの考え方は感情にアピールし、過去の過ちを清算するというモラル的な側面もある。しかしクルーグマンはこれを「二日酔い理論」として批判し、経済学者はリセッションを食い止めることを人にインスパイアできることを述べている。これぐらいは僕もやっていきたい。ちなみにクルーグマンは若い経済学者はもっと地道なことをやって他の人が見失っているデータや事実を把握すべきともいっててこれもわかる。自分を振り返ると、経済思想史研究はそのフィールドであり、それは現実の経済に関係なさそうでいて実はある、と思って僕もいままでやってきたわけだけど。まあ、死ぬまでやりたいと思う。やはりクルーグマンも書いているようにそういう地味な仕事での「ひらめき」を得ることはすごく楽しいから。

 しかしこんな小冊子なのに充実の内容で、非常に面白かった。途中、妙にエキサイトしたし 笑


危機突破の経済学 (Voice select)

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