速水優元日銀総裁が死去

 ご冥福をお祈りします。

 僕の速水氏への評価は、以下に引用(『経済論戦の読み方』講談社新書)した一文にもあるように、適切な金融政策に終始消極的であり、それが日本の停滞を確実に長期化させたというものでしょう。そして速水総裁時代に採用された量的緩和政策の導入前後も、速水氏が積極的にそれらの政策をけん引したというよりも、不承不承不本意な形で採用し、その不満が総裁発言にも終始みられたことでしょう。そのことがまた金融政策の信頼性を著しく損なわせました。また速水氏の経済思想の根底には、「強い円」=円高デフレ志向が濃厚であり、またそれと同時に不況対策としての金融政策を用いることよりも、別種なものにとらわれているように思えたものです。

以下、拙著*1から引用

通貨当局としての日本銀行の政策目的の中に、本来の意味の構造改革であれ、ましてや「構造改革主義」が含まれるのは納得がいかないことである。同様の指摘をアダム・ポーゼンがしている(「デフレ金融政策の政治経済学」三木谷良一+ポーゼン編著『日本の金融危機』2000年、東洋経済新報社)。ポーゼンは日銀総裁はじめとした日銀の幹部たちが構造改革を政策目的にいれていて、事実上のデフレ政策(積極的な金融緩和の放棄)をして日本経済の「創造的破壊」を目指していると批判にしている。例えば以下の速水優日銀総裁の発言には、その意味での「構造改革主義」が端的に述べられていた。
 「構造改革は、日本経済の成長や生産性の向上を阻害してきた原因にメスを入れ、民需を活性化させようとするものです。こうした構造改革は、国民が選択した道であるとともに、中長期的には、日本経済が持続的な成長軌道への復帰を果たしていくためにも必要不可欠です。しかし、構造改革財政再建を進めていく過程で、一時的に成長率の低下が避けられないとすれば、その間は、物価に下落圧力がかかり続けることも避けられません。単に物価を上げることが目的であれば、財政支出を大幅に拡大させて短期的にモノやサービスの需給を逼迫させるという方法が考えられますが、それが構造改革の理念と整合的ではないことは明らかです結局、構造改革の「痛み」を和らげる正攻法は、逆説的な言い方ではありますが、改革を着実に進めること、同時にその方針について経済主体や市場の信認を得ることではないかと思います」(速水優中央銀行の独立性と金融政策』2004年、東洋経済新報社、250頁)。
 構造改革主義を明瞭に述べており、またデフレ阻止については金融政策の役割を無視している点でも注目すべき発言である。
 デフレを放置したままの構造改革は 略、よりいっそうのデフレ・ギャップの拡大をもたらす可能性が高い。

 速水日銀の時代は僕には事実上まだ終わっているようには思えず(白川総裁こそゼロ金利解除の主導者でしたし)、速水氏にはもっと健在であられて、この日本経済の成り行きへの責任と注視をお願いしたかったと思いました。その意味でも非常に残念なことです。

*1:草稿ですので新書の表現とは異なるかもです