民主党が政権とると景気悪化

 何かと読みがいのある『Voice』6月号。(名前は出てないけど)池田信夫批判もあるでよ。というネット向けの秋波をここで書くよりも重要度が高いのが、政権交代論議。最近は選挙の争点が「世襲」問題というなんともみみっちい問題になってしまい、拡大をやめない失業問題や不況の深化が政策の争点に実質的な意味でなってないのはなんともはやである。どうして政策の論点にならないかというと、対抗勢力であるべき民主党の経済政策が与党のものと類似しているか、その劣化コピー程度であることが原因である。


 与党の経済政策も問題があるが、民主党のものは露骨に金融政策の積極的な援用をけん制しているだけ性質が悪い。すでに民主党の経済政策についてはこのブログでも何度も繰り返し批判してきた。また若田部昌澄さんの刺激的な題名のついた論説もある。今回の『Voice』では安達誠司さんが「景気回復を潰す政権交代」を書いてこの政党の経済政策のゆがみと凡庸さを批判している。


 民主党の緊急経済対策の特徴は、安達さんのまとめ(一部田中が付加)よると、1)緊縮財政方針の堅持(新規国債発行になるべくたよらない)、2)産業政策の導入(政府自らが有望な産業を選択、これに対して集中的に財政援助を実施)、3)金融引き締め路線(金融政策に対して言及なし、しかも非伝統的金融政策への否定的な文言をわざわざ導入し、利上げに親和的) という3つの特徴をもつ。


 1)は政府部門の非効率性を削減して、それで余ったお金を政府から民間の家計(特に低所得者層)に所得移転する方法である。しかし安達さんは、この低所得者層が公務員(とその関係者)よりも限界消費性向が高いことという仮定に依存していること(これは実証的に支持できない)、さらに低所得者層が貯蓄性向を高めれば政府部門の非効率性の改善自体がむしろ景気を落ち込ませるという面に注目している。しかもそもそもこの種の政府の非効率性のリストラ(とそれによる家計への所得移転)が規模として、約25〜30兆円の需給ギャップを解消するのか疑問である。


 今月の『Voice』には、民主党の経済政策の立案に大きな影響をもつ大塚耕平氏の論説「内需大改革を民主党は断行!」も掲載されている。これはまさに安達論説の批判の対象そのものである。大塚氏は4年間で56兆円の予算規模を想定しいていて、それは政府部門の非効率性の見直し=歳出見直し、予算の組み替えで対応するとしている。たとえば初年度は8.4兆円を想定しているようだ。上に書いたようにこの所得移転をうけた民間の家計の限界消費性向が公務員たちよりも高いという保証はない。あったとしてもほんの数千億円ほどの違いであろう。つまりその程度しか景気改善に役立たない。つまり基本的な発想が同じ数の椅子を取り合う形でしかないのだ。問題は安達さんも指摘しているが、まさに新規の椅子=需要をつけたすことなのである。


 ところで民主党は、日本国内の有望産業を見つけ出し、それらに対する財政支援(グリーンイノベーション機構の設置、環境・エネルギー開発促進、次世代科学技術を支える人材の育成など)の産業政策を支持している。しかし、これはまた不思議なことである。というか民主党の経済政策の分裂気質を十分に表現している。


 この号の宮崎哲弥・若田部昌澄・飯田泰之座談会での指摘にもあるように、産業政策が失敗してきたのは実証的にけりがついたといえる話である。つまりこの種の政府の資金の使い方は、政府の非効率を生み出す可能性がものすごく大きいのだ。つまり民主党は一方では政府部門の非効率性をとなえ、他方では非効率性を作り出すことに血道をあげる政策を提起していることになる。なんじゃこりゃ、とちゃぶ台をひっくりかえしたい気持ちはおさえよう。


 竹森俊平氏がいったと思うが、グリーンなんとかとか地球にやさしいということをいえば、倫理的にみんなが安心するだけでこの種の政策が好まれているだけなのである。もちろん民主党が非効率な政府投資でもお金がまわるからやる!というならば(長期に禍根を残すが)短期的にはいいかもしれない。で、あれば1)の方の政府のリストラもやめたほうがいいことになる。


 さてこのまた裂き現象をさらに加速化しているのが、民主党の金融政策への無視である。はっきりいえば、民主党内の日本銀行マフィアというべき連中が、政策を設計しているかぎり、この政党の政策はろくなものにはならないだろう。新規需要の創造=椅子取りゲームの椅子を増やすことができないので、結局、同じ数の椅子をどう奪い合うかのゼロサムでしかなくなる。


 特にアメリカ、イギリスで現在行われている非伝統的な金融政策を、3月6日に発表した民主党の「国民生活を守る緊急資金繰り対策」では否定していることだ。しかもその対案でだされたものが、官僚の作文のようで何をいっているのどんなユニークな効果があるのか意味がわからない(安達氏も同様の指摘をしている)ものであることだ。


 「民主党の金融政策の考え方は、これまで政策の失敗を繰り返してきた日本銀行のスタンスを無批判的に追随したものだと思われる。これはなぜだろうか。筆者にはその理由はわからない」

 
 たぶんそれは民主党が経済政策立案への資金投入をけちり、い一部のスタッフと有力議員に丸投げした結果だろう。そうでもないと「政府保証付国債貸借レポ」のような本石町の連中が飲み会で思いついたような案(名称だけかえた中小企業への信用保証と同じもの)がでてくるはずはない。この政権の経済政策の決定過程は病んでいるような気がする。


  ところで民主党内でも経済政策論争はもっと盛んにできるはずだったのではないか? しかしそれが一部の人間がコントロールしている状態になっているのは、小沢代表の政治資金問題によって、そんな余裕がどこなにふっとんでしまったということなんだろう。


 なお安達さんの論説には昭和恐慌期に引き締め政策を実行した民政党と、いまの民主党の政策の類似性が指摘されていて非常に興味深いので読まれたい。