浜矩子『グローバル恐慌』

 本書が数多ある世界金融危機本と異なる点は、グローバル貯蓄過剰(新興国や日本などの資金余剰が米国市場に流入しそれが消費や投資をファイナスした)が、アメリカ経済にバブルを形成し、そして破裂させ、今日の「恐慌」を招いた、とするものである。したがって円キャリートレードを生み出したことで、日本はこのグローバルバブルの犯人のひとりであり、その責任を問われるものである、ということである。

 しかしこの浜氏の主張は端的に間違いである。なぜならグローバル貯蓄過剰で、確かにアメリカは日本や世界の多くの国から消費や投資のためのお金をファイナンスしたであろう。しかしそれ自体はアメリカの経済にとっていいことだった。問題はそのお金を適切な形で利用しなかったアメリカの金融産業や規制当局の問題であり、お金の流入元である日本や新興国は何の責任を負うものではない。そのような責任論はなんら経済学的な理路に基づくものではなく妥当ではない。

 同様のことを『世界』(2009年1月号)で、河合正弘氏が以下のように述べている。

「たしかにアジアは過剰貯蓄で、アメリカは過剰投資をしていた。しかし、そのことは、アジアがアメリカ(やヨーロッパ)のバブルに責任があるという議論にはならないんんですよね。というのは、それを好き勝手に消費して、住宅バブルをつくったのはアメリカであり、そうしない選択肢もあったのに、それをやらなかった。いかに外にお金があろうと、それをきちんとした形で使わなくてはいけないというのが金融の基本だと思うのです。海外資金の借り手は、みずからの返済能力に照らして、円キャリートレードにしても為替リスク等を十分に考えて借りなくてはいけない。だから、アメリカやヨーロッパのバブルの責任を日本やアジアの責任にするのは全くおかしい議論だと思います」(185-6)。

 またそもその円キャリートレードがバブルを招いたという因果関係そのものにも疑問が提起されています。代表的には、高橋洋一氏の『この金融政策が日本を救う』での議論です。高橋さんはそこで「世界経済がバブルになるほどの多くの資金を円キャリーが供給しいてた説」は疑わしいとしています。まず円キャリーの規模がOECDの400兆円からIMFの20兆円まで数字があまりにも漠然としていること。仮に400兆円だと現在の損失は100兆円あるはずで、現状の世界の損失が130兆円(いまは150兆円でしょうか? この数字自体漠然としていますが)であり、日本の判明している損失はその1割にすぎないから、あまりにも円キャリーの規模が多く推定されている、としています。実体の判然としない円キャリーをバブルの原因としていること自体が一種の予断だ、ということなのでしょう。

 浜氏の『グローバル恐慌』の要点への評価はこれぐらいでいいかと思われます。

グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに (岩波新書)

グローバル恐慌―金融暴走時代の果てに (岩波新書)