ロスジェネの経済学に向けて

 『月刊現代』の11月号に寄稿したものの第一草稿です。したがって実際に掲載されたものと違いますし加筆修正分や誤植なども直してません。参照されるときは本誌掲載のものでお願いします。

「経済格差の解消にはデフレの解決が前提」

 ワーキングプア、ロスト・ジェネレーション、ネットカフェ難民――「経済格差」は今日の最も注目を集める経済問題といえる。6月8日に秋葉原で起きた通り魔事件は、凶行に及んだ加藤智大容疑者が派遣社員であり、彼が勤め先に不満を抱いていたことが注目された。テレビや新聞で膨大に流された情報は、この通り魔事件を日本の「格差社会」がもたらした悲劇として演出しているかのようだった。実際にこの事件を、「テロ」と表現し、加藤容疑者があたかも自らの労働環境への異議申し立てをした、とみなす人たちもいる(東浩紀高山文彦氏ら)。また政治の場でも派遣労働者法改正の動きが加速した印象をもつ人も多いだろう。もちろんそのような犯罪行為が原因になり、拙速した形で経済政策が論議されるのは好ましくない。日本の過去の歴史をみると、殺人を伴う重大事件が、「経済格差」を理由に起きたとみなされ、それが日本の政治・経済に深刻な影響を与えた例は多い。そのとき、マスコミや知識人の多くは、世論の熱狂を鎮めるよりも、残念なことに加勢してしまう場合が多かった。

 例えば、いまから70年前、時の大蔵大臣高橋是清ら数名が、青年将校の率いる反乱軍によって襲われ殺傷された。いわゆる二・二六事件である。彼ら青年将校たちが決起した理由は、「経済格差」であるといわれてきた。反乱軍の大半の出身地であった農村部の経済的停滞に怒り、この停滞の原因が高橋蔵相ら政府の政策にある、と彼らは信じたのである。このテロ以後、「経済格差」を脱するためには日本経済のいまでいう構造改革が必要であるとマスコミは喧伝した。高橋是清が主導した軍備費抑制政策は放棄され、また対外膨張政策により拍車がかかっていくことになった。この対外膨張政策の帰結がどうなったか、今日私たちのよく知るところである。

 二・二六事件のときも、今回の秋葉原通り魔事件も、ともに「経済格差」がなんらかの形で関係するとき、政治や世論は無論のこと、言論の場でも冷静な議論を忘却し勝ちである。経済格差問題はそれだけ“熱い”問題なのだ。しかし、他方で、「テロ」そのものは貧困を直接の原因として起るかといえば実はそうではない、という経済学の成果もある(アラン・クルーガー『テロの経済学』東洋経済新報社)。「テロ」そして(窃盗以外の)犯罪は、貧困を理由とするよりももっと複雑な動機を背景にしている場合が多いのである。そのため貧困を解消しても「テロ」が防げるかはきわめて怪しいだろう。

 ところで加藤容疑者は20代後半の派遣社員であった。「全国消費者実態調査」などによればここ10年ほどの間に、30歳前後の世代で急速に所得格差が進展している。加藤容疑者がまさにこの世代に属している。またこの世代の所得格差が現在の日本の経済格差の中核である、といってもほぼ異論はないだろう。この若者たちの経済格差は、90年代からの長期的な経済停滞がもたらした新卒市場の冷え込みがそもそもの原因であった。そしてこの雇用の悪化の結果、若い世代でフリーター(非正規就業)が相対的に増加したことで所得格差が拡大したのである。他方で、秋葉原通り魔事件を派遣労働の問題と重ねて論じる人たちは、暗黙のうちに「規制緩和→派遣労働増加→非正規就業増加→経済格差の深刻化」という図式を採用していることが多い。そのために彼らの多くが規制緩和を経済格差の真相とみて批判している。

 しかし、大阪大学大竹文雄教授は、非正規就業に占める派遣労働の比率が低いこと、また派遣労働が自由化されていなければさらに待遇の悪い雇用形態に甘んじるか、失業してしまいさらに経済格差は深まっただろう、と指摘している(『格差と希望』筑摩書房)。

 では長期の経済停滞はどのように非正規就業を増加させたのか。日本のサラリーマン社会は、大きく三つの構成要素を持っている。正規従業員の層(S層)、非正規従業員の層(A層)、そして求職意欲喪失者(B層)である。この求職意欲喪失者は、不況が長びくために、思い通りの職を得ることができないものが、やがて働くことを(一時的に)あきらめて家事手伝いなどに従事する状態を指している。企業は好況のときはB層から安価な追加労働力をもとめ、不況のときはA層からB層への雇用調整(パートやバイトのリストラなど)を行うことで、正社員たちS層の安定が保たれてきた。90年代初頭まではこの三層構造が、深刻な経済格差問題を生み出すことなく維持されてきたといえよう。

 ところがS層の雇用を守る防御帯が、長期停滞の中で飛躍的に厚みを増していった。厚みを増すために利用されたのが、就職氷河期でわりを食った学生たち―現在の30歳前後の世代だったのである。もちろん正社員であるS層もリストラによって急速に規模を縮小した。中高年の失業が増加し、彼(彼女)らに経済的援助を与えられていた子供たちの就学にも悪影響が及んだ。90年代後半から02年ぐらいまで親の経済的事情で退学した学生がきわめて多かったことを、私は昨日のように思い出す。もちろん教育の断念は、子供たちの就職にいい影響を与えることはないだろう。失業者も激増し、またフリーターも激増した。同時に就職を断念した人たちであるB層も増加し、このB層の増加が「ニート」として社会問題化した。日本ではこの「ニート」を若者のやる気のなさとする風潮があるが、その本質は不況による失業問題(求職意欲喪失者の増加)である。

 若年層の格差拡大が不況を原因とするものだとしてもまだ議論すべき点がある。それは不況にどのように対応するか、という処方箋の問題である。例えば大竹文雄氏は労働市場の構造問題が不況の悪化に決定的な役割をもったと考えている。大竹氏によれば既得権者(既存正社員)がリストラに抵抗し、そのため交渉力が相対的に弱い新卒採用者の減少を生み出してしまったと指摘している。そして採用されなかった多くの若者は、アルバイト、パート、派遣社員などになった。大竹氏は、既存正社員の既得権を削減することで中途採用を増加させ、非正規就業の層(A層)の縮小を説いている。これは正社員の座を、既存正社員と企業の外部にいる若い世代とがとりあう一種の椅子取りゲームといえる(このゲームを「構造改革」とも表現できる)。椅子の数が一定であれば、A層は減らないばかりか、椅子の取り合いによって深刻な対立感情が伴ってしまう。

 では、椅子の数を増やすにはどうしたらいいだろうか? 日本の現状はいまだ10数年続く長期停滞の中にあるといっていい。現時点では、好調である新卒や中途採用の市場もいつまた悪化するかわからない。そうなれば就職氷河期が繰返されてしまうかもしれない。もちろん椅子取りゲームの椅子の数は減りこそすれ、増えることはないだろう。中途採用が一部のメーカーなどで増加しているだけに、日本の景気悪化を防ぐことが、最もストレートな経済格差の解消法であることは疑いない。

 日本の長期停滞はデフレによる人々の所得の低下に原因がある。テレビや新聞、そして街角の声でも軒並み「インフレ」のかけ声が大きい。その中でデフレを説くのはかなり勇気のいることに思われがちだ。しかし日本がデフレであることは国際的には支持されている。国際標準では、コアコアCPI(石油関連・生鮮食料品などを除く消費者物価指数)で物価の動向を判断している。しかし日本では長くこのコアコアCPIは、官僚や日本銀行の怠慢によって無視されてきた。もうひとつGDPデフレータという私たちの経済格差に関わる重要な物価指数があるが、これもまた日本では不当に軽視されている。

しかし私たちの所得はいっこうに伸びず、経済格差の実感は強まるばかりだ。これは私たちの所得がデフレ状態に直面しているためなのである。実はこのことは日本だけではない。ガソリン高・食料品高に同じく直面しているアメリカも、実体をみるとデフレ傾向に拍車がかかっている。ポール・クルーグマンは最近の『ニューヨーク・タイムズ』のコラムの中で、インフレよりもデフレの危機を警戒している。低所得者層の所得が一段と低下し、それが格差の増大に繋がることを懸念しているのだ。

 以上までを考えると、日本の経済格差を解消する最優先の政策が、デフレ(人々の所得の低下)を食い止める財政と金融の積極的な経済政策の組合せであることは多言を要しないであろう。