書評:『テロの経済学』

 先週の『週刊東洋経済』に掲載されたものを再録。そういえば近いうちに日経ビジネスのネット版で書評始めます。

『テロの経済学』(アラン・クルーガー、東洋経済新報社

 90年代から世紀をまたいで今日まで、世界は不幸なことだが「テロの時代」にあるといえるだろう。日本でのオウム真理教による地下鉄サリン事件アルカイダによる9.11テロなど世界各地で頻発するテロによって私たちの生活は大きな影響を被ってきた。だが私たちはテロのもたらす衝撃的な事件性に惑わされてしまい、テロやテロリストたちについてその真相を客観的に検証してきたとはいえない。
本書は、「人はなぜテロリストになるのか」というテロリズムの核心を、統計的データの裏づけをもとに鮮明に描き出すことに成功している。経済的な豊かさと教育を改善していけば、テロリストが育つのを防ぐことができる、というのがよく聞かれる通説であったという。例えば、ブッシュ政権によるアフガニスタンイラクへの「テロとの戦争」は、そのようなイデオロギーを下にして実行された。
しかし本書では、テロリストたちの教育水準が非常に高く、また出身階層も裕福であることを示している。テロリストたちは貧しさと教育が不足しているからテロに走ったのではない、実に様々な誘因(組織への使命感、政治的・宗教的信条など)によって行為に及んだのである。テロを防止する上で、経済的な豊かさと教育の充実はほとんど効果がない、ことに本書は注目している。くわえてテロリストたちの出身をみてみると、経済的には中所得国が多く貧しい国は例外であった。
またテロが犯罪ではなく、投票行動に似ていると指摘している点は特に重要である。高所得で教育水準の高い人たちの方が、そうでない人たちよりも投票にすすんで行くという。それは選挙に参加して得ることのできる便益が費用に比して大きいとみなしているからである。そしてテロも同様の理由で起きる。
 本書の分析を踏まえると、一国がどのような体制になるかを描きだすことも可能ではないだろうか? 教育(人的資本)がより高まれば、それだけより多くの人々が、政治参加(デモクラシー)の便益を得る、というよく知られた政治学の命題がある。しかし他方で人的資本の高まりは、テロリズムを容易に生み出すことにも繋がりかねない。そうなると一国が豊かになっていく過程で、より安定したデモクラシーの体制に至るか、あるいはテロリズムにさらされやすいより不安定な体制になってしまうのか、という問題に直面するのではないだろうか?
この選択をわけるものはなんであろうか。それは報道の自由、集会の自由そして人々の市民的自由や政治的権利が抑圧されないことである、というのが本書の示す最も重要なメッセージである。

テロの経済学

テロの経済学