現総裁が日本銀行職員時代にここ十数年の低金利時代における金利損失を国会で説明し、いわゆる利上げへの「地均し」のお先棒を担いだことは周知のことだろう。
そのような行動を規範とする人物が総裁であれば、同じような手法が繰返されることはある意味予知できるのではないか。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20080823ddm001020011000c.html
今回も綺麗に?マスコミとの連携によって、日本銀行発のタンス預金への注目が行われた。僕はこのようなタンス預金(現金選好保有の高まり)は、安達さんとの共著『平成大停滞と昭和恐慌』にも書いているようにデフレの深化(=日本銀行の政策ミス)によるものであるという認識である。
今回のタンス預金論文は以下だろうが、それの理論的な中味の検討は、いまの僕にはどうでもいい。
http://www.boj.or.jp/type/ronbun/rev/rev08j09.htm
問題はこの論文をどう日本銀行が今後の政策の選択肢の中で「政治的」に利用するかである。このような地味な論文にしては、あまりにマスコミがとりあげている(=日本銀行のご説明隊の活躍が目覚しいという推測の成立)のほうが、僕個人には重要である。
この論文のように高齢層が金利感応度を変化させるには、いまの日本銀行の政策態度の枠組みでは、(デフレであろうがなんだろうが)金利をかなりのピッチで上げていくことであろう。その見分けとなる基準は、日本銀行幹部たちの、おそらくベタともいっていい、株価(日経平均とかTOPIXとかあるいは日本銀行の内部での何かの株価指数か?)がある水準に来たとき、為替レートの円安水準があるベタなところにきたとき、あるいは景気がなんとなくいいですねえ、と日銀の人たちが噂話を始めたときがその条件を満たすときなのだろう。
そんなものに経済学もくそも必要ないのはいうまでもない。