最近、急激にケータイ小説を文化的・社会的現象で語る本が続々登場してきた。確かに、某大学の学生に「あしたのジョーはケータイ小説よりも話がむずかしくてつまらない」と断言されてから、僕も無視できなくなりましたよ、ケータイ小説。でも相変わらず読んだことないけども 笑。そもそもPCの世界だって、見たことも利用したこともないサービスはたくさんあるから、ケータイをブログ閲覧やニュースチェックで使う程度の僕としては(というかPCだって同じなんだけど。ほかにせいぜいブログのエントリー書く、PDF閲覧するぐらい)、別にケータイ小説を理解できないことが即時になにかまずいとは思えない。しかし評論世界はそうもいえないというわけなんでしょう。
まず速水健朗の『ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』は、70年代や80年代の郊外型少女文化のゾンビとしてケータイ文化をみている。ただしケータイ小説を中心にやたら話が大きくなりすぎているような気がする。冒頭の浜崎あゆみとケータイ小説との密接な関係がひたすら読みずらく、快著『自分探しが止まらない』の著者の論説の切れを味わうことが難しかった。まあ、ここらへんは僕が昔から浜崎あゆみの歌や造形があまり好きでないからかもしれないが。
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本田透氏の『なぜケータイ小説は売れるのか』は、速水氏の本よりもケータイ小説の時代変遷、特徴など基本的な事実をすっきりした文章で説明してくれた僕には重宝だった。本田氏の文章は好きだなあ。しかしこの本も速水氏の本を読んでも感じたことだが、なんでまた君達はケータイ小説を論じたいの? というところがまったくみえない。そんなところが、ひょっとしたらケータイ小説を無理して語ることで、おじさんたちが全能感(好意的にいえば野放図な好奇心)を発揮しているだけのように見えて、ちょっと大変そうに思える。
- 作者: 本田透
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このほかにも石原千秋『ケータイ小説は文学か』もそのようなおじさんの全能感(なんでも論評したいボク、とでもいうべき無邪気さ)の発露に、やはり思えてくるのだが*1。お姉さん代表の杉浦由美子『ケータイ小説のリアル』などほかにも店頭にあったが読んでいない。
僕はとりあえずケータイ文化財の利用が、どうレジャーの消費と関連するかを調べるために上記の本を読んだんだけれども、統計的な数字を収めている 吉田 悟美一の『ケータイ小説がウケる理由』と本田本の一部が参考になることが多かった。ケータイビジネス全体では、石野純也『モバゲータウンがすごい理由』がやはり2年以上前のデータが中心だが使える部分が多い。
*1:人のことはいえないという批判は果てしない遠くにおいておく