ナシーム・タレブ『まぐれ』(望月衛訳)

 望月さんから献本いただく、ありがとうございます。

 本書は物事のランダム性がまま投資の世界などで誤解されることを面白く、また既存の経済学への突っ込みを交えながら書かれています。いま第8章まで読んだところですが、これは噂どおりの名作ですね。


 例えばカルロス氏のエピソードは、下手なトレーダーが短期中期では非常に好成績をあげることで生き残りやすくまた実力と評価されるが、それは「まぐれ」=ランダム性にすぎない、という指摘は興味深いですね。


 二重の生存バイアス(まぐれの成功の過大評価、最近の成功を保証した成功が未来も続くという信念)が、なんの客観性も持っていないことが何度もエピソードを代えて紹介されています。


 この種の二重の生存バイアスの指摘は、本当に重要で、社会保障の基礎である生存権についてもそれを国民に等しく認めるとかえって競争のない社会にしてしまう、という反論があります。そのもっとも強力な主張がマルサス風の自然淘汰仮説です。弱者が淘汰され、強者が生き残るほうが社会にとっていいというイデオロギーですが、これに対する生存権の代表的な見解としては、もし仮にマルサス風の主張が正しいとしても誰が生存に優れているかなどわからない(まぐれを完全に識別するのは不可能)から、最低限の生存を社会の成員に等しく認める方がまぐれの問題を回避できるので望ましい、という見方です。


 本書には歴史からの教訓への著者なりの卓見も。
「私は歴史に学ばない人が多すぎると書いた。でも。問題なのは、私たちが最近の短い歴史からあまりに多くのことを汲み取ろうとすることなのだ。たとえば、「こんなことはこれまでまったくなかった」なんで言ったりするけれど、そういうときの「これまで」とは、歴史一般のことではない(ある分野で一度も起きていないことでも、他の分野ではそのうち起きるケースは多い)。つまり、歴史の教えるところでは、これまで起きたことのないことでも起きるときには起きるのだ。歴史を見れば、狭い意味での時系列データからわからないことがたくさんわかる。見るものが幅広ければ幅広いほど、いいことが学べる。言い換えると、なんとなく過去の事実を見るだけの安易な実証主義は避けるべきだと歴史が教えてくれる」(140頁)。

 まあ、そうでしょう。例えばですが、この一文が一人歩きして、トンデモな人たちに、リフレ派の歴史研究はまさにこの批判があてはまる、などとネットの戯言を聞かないことを祈ります。タレブ氏がいっているように、歴史研究はそんなに安易な実証なきたわごととは違いますから(言い換えると勝負するなら代替的な歴史解釈を実証的に提出するしかないことになります。トンデモ批判者はそういう作業をしないでしょう)。


 本書は投資の問題だけではなく、社会保障などより広い経済問題に適用できる考えのヒントを提供していると思います。