日中の戦後和解は可能か


 今年度の石橋湛山賞受賞作、小菅信子氏の『戦後和解』を読みました。「戦後和解」という概念が比較的新しいものであり、それが社会の大衆化と不可分であったことなど歴史的な考察からはじまり、戦争の終結が戦争の罪の忘却に至らない理由や、「戦後和解」の事例などさまざまに示唆的な話が展開されています。


 ただ本書の後半の日中の和解の可能性なんですが、これがどうも説得力を欠けるものになっているように私には思えました。これ本当に最後の最後に日中の「戦後和解」の可能性の条件が出てくるので、「日中和解は可能なのか」という帯の文句を真に受けると肩透かしをくいます。もちろん帯の文句は編集の裁量なので著者にはほとんど関係ないことですが。その最後とは以下の文章です。

 「日本が中国との戦後和解の道を積極的に拓こうとするならば、現下の状況では、<加害>と<被害>の線引きとバランスを明確化すること抜きには困難である。A級戦犯は悪の寓意ではむらんないが、東京裁判の判決を受け入れずして、東京裁判を超克することはできない・
 他方、現在の中国にとって、<過去>をめぐって日本と妥協することで得られる利益や魅力が、取り立ててあるようには見えない。むしろ、現在の中国の体制には、<過去>に根差した日本との感情対立を政治的に利用し、自らの正統性を示すために対日憎悪や日本への偏見を再生産せざるを得ないという問題がある。こうしたことは、中国がさらに経済的に成功し、繁栄のかげの驚異的な貧富の差を解消し、その成功によって正統性を主張できるようになって、はじめて解消されるのではないだろうか。日中間にあらためて戦後和解の好機が訪れるのは、それからのことになるかもしれない」(同書211頁、太字は引用者)。
 
 確かにこの太字の認識は重要でして、国内的な経済安定が対抗的なナショナリズムを緩和する、という考えは賛成します。ただいくつかの文献から知りえる中国経済の経済格差問題はやはり深刻であって、例えば杉本信行さんの『大地の咆哮』の「中国経済の構造上の問題」などを読むと絶望的な思いを強くします。いいかえると中国の再分配政策は事実上破綻していて、前途もいまのままでは希望薄のように思えます。となると短絡的なのは承知してますがw 小菅さんの期待される好機はいつまで経ってもやってこず、すなわち「日中和解」は遥遠く、その間、一世代以上の長きにわたり「戦後和解」ならぬ中国政府の日本への対日憎悪と偏見の再生産が行われるのではないでしょうか。

大地の咆哮 元上海総領事が見た中国

大地の咆哮 元上海総領事が見た中国

 さらに注目したいのは、自国の経済政策が失敗しますと、近年の日本の例でもわかるように、対外要因の責任にするのが大流行でしたね。「世界ディスインフレ」や「中国発、インド発デフレ」などなど。それと同じように杉本氏の本にも少し書かれていましたが、外国資本の流入が中国国民の利益を簒奪しているのが、中国の再分配政策を破綻させている元凶である、という話もでてきているらしいですね。これも今後、「日中和解」ならぬ「日中嫌悪」に利用される可能性があるかもしれません。

 で、小菅本を読んで思ったのですが、小菅本でも民主的な社会が成立してこそ「戦後和解」の機運がでてくる、とのことですので、やはり中国共産党一党独裁制の存続の成否にかかわってくるように思えました。まあ、相変わらずの結論でしょうか。