文化的相対主義による専門知批判の日本的淵源


 以前、hicksianさんのところで話題になった文化的相対主義について最近ちょっと文章を書いたので、そこからの抜粋。全体は野口旭さんたちとの論文集に収録予定。


「 笠と三木との邂逅は、笠のデビュー作『シュペングラーの歴史主義的立場』(1928)に『帝国大学新聞』に三木が書評を寄せたことに始まる。笠のこの処女作は、当時ブームとなっていたオスヴァルト・シュペングラーの著作『西洋の没落』で展開されていた文化的相対主義マルクス主義の立場から批判する内容のものであった。笠が処女作の中で簡潔にまとめたように、シュペングラーは経済制度を各文化圏固有の性格によって規定されるものとみなした。

 「資本主義は、之を止めて考えると英国であり、英国社会であるが、その動く相にては、いまや世界を暴威を振るいつつ進み行く「貨幣独裁の時代」である、経済時代である。同様に、社会主義は、これを静止せひめて見れば独逸であり、独逸国家でありる。これを動においてみれば、ケーザリズム時代へ進み行く道程の時代であり、経済時代から政治時代への推移である」(笠(1928/1969)163頁)。
 笠の著作はシュペングラーの文化的相対主義の特徴を描き出すことに成功はしているものの、笠自身がシュペングラーをいかに乗り越えていくかはやや曖昧であった。ただシュペングラーのマルクス主義批判が的を得ていないことを指摘するにとどめている。この笠のマルクス主義からのシュペングラー批判をより簡潔に整理したのが、三木の書評である。まず三木はシュペングラーの主張を日本の現状によりひきつけて以下のように書いている。

 「シュペングラーの歴史的考察の中心をなす相対主義的、懐疑主義的思想の流行は、彼らの生活に希望をかけることの出来ぬ、彼等の生活の指導精神を失ってしまったインテリゲンチャの無気力と頽廃との状態を説明する。
 今やわが国のインテリゲンチャも同じ状態におかれている。甚だしい失業、賃金の低下、等等の現象は彼等から生活に対する充満した希望を奪い去る。そこから来る生活の頽廃は、彼等の特権に属していたところの彼等の理論的意識を鈍らせる。彼等は自己の没落を凝視する勇気なくことさらにこれを回避するために理論に遁れようとする―シュペングラーも理論を排斥した―指導精神の欠乏こそ今のわが国における大多数のインテリゲンチャの状態ではなかろうか。相対主義懐疑主義、この自己の姿を見るためにシュペングラーを読むことは無駄ではないだろう」。

 三木は、シュペングラーと同様に文化的相対主義に理解を示し、他方でインテリゲンチャ(知識人)が指導精神に欠け、実践を喪失した理論の巣穴に入り込んでいる、と批判している。この三木のシュペングラー解釈はあとでみるように、今日の代表的な日本的制度派経済学者にも採用されている。三木は、シュペングラーの文化的相対主義を批判的に乗り越えるために、笠と同様にマルクス主義の成果を取り込むことを強調する。

 「インテリゲンチャプロレタリアートと結びつき、そのために働くことによって希望を恢復することが出来る。
 シュペングラーはプロレタリアートのうちに人類歴史の未来を望むことを得なかったが故に、歴史的相対主義に陥らざるを得なかった。歴史的相対主義の克服はマルクス主義によってなされているのである。マルクス主義はまことにシュペングラー批判の意義を有するのである。
 かくて我々は笠信太郎氏においてシュペングラーのよき叙述者を見出した」。

 従来の知識人への不満(文化的相対主義への零落)を笠と三木は共有し、それをこの書評の段階ではともにマルクス主義的な知識人のあり方にその打開の途を求めている。この三木と笠の知識人論での
共通性は、昭和研究会での活動を通して、日本の「再編成」を「全人的テクノクラート」という知識人類型で行うべき、という主張にいたる」