ブーヴレス『アナロジーの罠』に対する書評


たまたま見つけたのでメモ。ブーヴレスはムージルの研究書もいつの間にか出していたのか。中川さんとかまた訳してくれないかな。


http://dogma.free.fr/txt/JB_modestie.htm


ムージルの研究書もメモ


http://www.amazon.fr/exec/obidos/ASIN/2841620891/qid=1150051115/


ブーヴレスは以下のムージルの発言を引用して文化相対主義を批判した。


<それではなぜ梃子はアルキメデスの時代にも、そして楔は旧石器時代にも今日と同じように働いていたのだろうか。猿でさえまる静力学と材料力学を学んでいるかのように梃子と石を使うことができるのはなぜなのか。そして豹が、まるで因果性を知っているかのように、足跡から獲物の存在を推量したりできるのはなぜか。もし人が旧石器人とアルキメデスと豹を結びつける一つの共通の文化を想定したくなければ主観の外側に存在するある共通の調整装置を仮定するほかにありえない。つまりは経験、それも拡張し洗練することのできる経験であり、認識の可能性である。真理、進歩、上昇のありよう、要するに、認識の主観的なファクターと客観的なファクターのあの混合物であり、それらは分離することこそ認識論の辛抱強い分別作業となるのだが、シュペングラーはそこから身を遠ざけている。思考の自由な飛翔にとってはこの作業は邪魔になるだけだからである(宮代康丈訳『アナロジーの罠』より)>



ムージルも仕事がひと段落したら読んでみたい。