上記論説を寄稿しました。よろしく一読のほどお願いいたします
『Voice 』( PHP研究所 )
http://www.php.co.jp/magazine/voice
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上記論説を寄稿しました。よろしく一読のほどお願いいたします
『Voice 』( PHP研究所 )
http://www.php.co.jp/magazine/voice
潜在GDPにまで現実のGDPが達してないから、「供給側の改革はするな」とか「供給側の改革をするとむしろ潜在GDPは低下する」という専門家がいて驚く。それは単なる「供給側の改革を否定したい思惑」だけがでている偏見でしかない。政策の割り当てが違うだけあり、供給側の改革が「悪」ではない。
小泉ー竹中構造改革を否定したい政治的偏見が先行している人たちは、「供給側の改革」自体を悪者にしたてて悦に入っている。それは「構造改革なくして景気回復なし」とした悪しき構造改革主義と、ちょうど表裏一体をなす反供給側改革主義とでもいうべき議論だ。
現実のGDPが潜在的GDPに達しないのであれば、その総需要不足の状況に対応するのは財政政策や金融政策。ただそれだけ。もし供給側の改革でこの「ギャップ」に対処できると思うのならばそれはおかしい。だが、供給側の改革をこの状況で「まったくしない」というのはあまりにも異様な発言だ。ある経済評論家は「デフレが続く中では構造改革は停止」とテレビでかって発言して驚いたことがある。
詳しくは、我々の『構造改革論の誤解』や野口旭さんの新刊『世界は危機を克服する』をよんでほしいのだが、例示をしてみると、警察と大学の先生でもいい。やることは別。犯罪がおきる。それを解決したり予防するのは警察。大学の先生の講義は、警察の活動とはとりあえず無縁に、毎日行われている。大学の講義がきっかけで不幸にも犯罪が起きたり、あるいは犯罪が防げたりするかもしれない。前者でも対処するのは警察。
10数年みてきたある種の思考パターンがあつて、さっきみたいに政策の割り当てが重要とかくと、あたかも「構造改革」全面賛成、「供給側の改革」全面賛成、と読み替える人がいるw 僕が書いたのはあくまで割り当てだけ。その「供給側の改革」自体が具体的にどんなものか検討する話はまた別問題である。
数年前にこんなエントリーを書いていたことをふと思い出した。
世襲議員をどんな理由で規制するのか?http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi20090417#p1
世襲議員批判というのは民主党政権にかわる前あたりにブームだった。それで民主党が人気を得た部分も多い。そのとき少し思考実験をしたのだが、世襲自体に問題があるようには思えなかった。むしろ世襲自体にな政治的コストを削減する動きがある。ただの一般名称に近い世襲議員批判はイメージ批判に近い。
もちろん「何を具体的に世襲」したかが問題にはなるだろう。だが、それは世襲議員ではなくても、バックに利害組織ー労組、宗教団体、企業などーがある政治家にも等しく類似の問題が発生するだろう。世襲議員の「世襲」だけに絞る批判というのは、まあ、自民党批判としてはもつともお手軽の印象批判。
世襲がいけない=政治資源の継承はまずい、と断定するならば、同じように特定縁故社会や特定組織、特定宗教団体、特定イデオロギーすべてからの政治的資源の継承も規制しないと「公平」ではない。そしてそれは単にこの世襲批判が、中味すかすかの印象批判でしかないことを立証するに十分だ。
世襲批判よりも「何が世襲されたときに国民の生活にとってまずいのか」という視点としては、以下のエントリーで言及した原田泰さんの論説がまとまっている。
政治の流通革命http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi20080810#p3
原田さんの最近著『ベーシックインカム』もこの議論の延長である。
ベーシック・インカム - 国家は貧困問題を解決できるか (中公新書)