純度100%美少女と小さくても大きな歌姫のライブ(さんみゅ〜単独定期ライブ第二回目)

さんみゅ〜公式サイト:http://sunmyu.com/
さんみゅ〜公式ブログ:http://ameblo.jp/sunmyu/
前回の観覧記:「アイドル純度最高のライブ!!:さんみゅ〜単独定期ライブ

 第一回目の単独定期ライブに続いて二回目。今回は昼と夜の部を通して見ることにしました。とても感動した第一回の単独定期ライブからほぼ一月。もうあれから一月が経ったのかと驚きました。

 しかし今回もよかった! 今回は個性がまったく対照的な、「ほんわかさん」と「おこりんぼうさん」というキャラの違いも楽しみだったが、それ以上にアイドル総合性がきわめて高い山内遥(はるるん)と、衆目の一致するさんみゅ〜のボーカルの要である新原聖生(せにゃん)*1という、持ち味の対比を味わうことが、楽しみだった。

 そしてその期待は充たされた。まず前回に比べて、はるるんは、さらに美人度がアップしたのではないか、と思う。彼女の立ち姿や振る舞いが、さらに立体的になったと思う。この年齢の女性は本当に少しみない間でも女子力が上昇していくが、その典型のようだ。今回は二階席から舞台の全景をみることができたのだが、ライトに照らされた彼女は本当に綺麗で、彼女ひとりでも十分に舞台が充実してみえた。はるるんが同じ世代で、なおかつ同じ高校のクラスや大学のゼミにいなくてよかった。勉強や研究が手につかなくて落第したかも(笑)。なにげにエプロンでのゴミだし姿も奇妙なコスプレとして面白い企画であるw。セットリストで「これが愛なんだ」のカップリング曲の「駆けぬけろ青春!」を二回歌ったのには注目している。このどんだけ森田健作が好きなんだよ、というメッセージ性(青春は方向決めたら全力疾走)を活かした楽曲は、さんみゅ〜の曲目の中でも傑出したものだと思っている。しかも彼女たちがMCで激しいダンスだ、と紹介していても、はるるん(彼女のやわらかな肢体は強靭な筋肉を秘めていてとても身体能力が高そうだ。ただのほんわかさんではない)を初め、全員が余力を持って踊っているようにしか思えない。その潜在能力の高さをこの二回の歌唱で僕は印象深くした。

 いろいろいま理屈ぽいの書いたが、はるるん、の美女度に萌えた、ということを書きたかっただけかも(笑)。これが愛ドルなんだ。

 そして夜の部。さんみゅ〜の小さな歌姫新原聖生の企画だ。彼女の独唱コーナーでは、キーボード奏者のejiさんが伴奏して、この少女(14歳)のポテンシャルを活かした舞台が展開された。しかも最初の独唱が、「amazing grace」。まず歌い終わったあとに、アイドルのライブが、一流のアーティストの単独ライブに変身したかのような感動も沈黙とそれに続く拍手が続いたのが異例。聖生の才能がはっきりとみんなの前に明かされた瞬間だろう。

 この「amazing grace」には、僕も思い出がある。今年の春に、いまの岩田日銀副総裁の事実上壮行会で、歌手のsayaさんが歌った曲で、彼女の十八番でもある。さんみゅ〜の聖生とsayaさんをライブレベルで直接比較することができて、とても勉強になった。さすがにsayaさんの方が、表現力が上だが、しかし聖生もこの年齢にしてかなりのものだ。それが先ほど書いた観客の感銘にもはっきりと表れている。このまま順調に育って、いつかこのふたりの協演をファンとしてはみたい。聖生の可能性をこれからも楽しみたい。ちなみにいろんな日本の歌手のamazing graceを聞いたが、彼女のものはその中のベスト3に入る。
 
 ちなみに、歌手のsayaさんのamazing graceはこちら(せにゃんにも見てほしいw)。http://www.youtube.com/watch?v=sIgiHBby-bA

 しかし今日の前半は、アイドルとは何かを、はるるんの“美”を通して十分に堪能し、夜の後半は聖生を中心にして、さんみゅ〜の歌曲の素晴らしさを体験できた。それに自己紹介も期間限定で変わっててよかった。特にともきょんの紹介が、目から唇に変わったことが好印象w。彼女の魅力は、切れのあるダンスとその口元にあると書いてきた僕にしては、このままの自己紹介がいいなあ 笑。

 さんみゅ〜は長い間、僕が個人的に待っていた東京に根拠地があってその成長をじっくり見ていけるアイドルグループ。昔、ももクロちゃんたちでそのチャンスがあったものの、デフレ問題への取り組みの過熱化と東日本大震災(個人的にも被害)で、そのタイミングを逃した。ゆっくり応援したい。

 次回は11月16日。詳細はこちら

*1:twitterで名前を間違えた〜〜ww すまなんだ

小泉今日子のエッセイのニヒリズム(TOKYO FM東京秘密書店より)

 TOKYO FMの「東京秘密書店」で話した、小泉今日子のエッセイについて。彼女の作品を一度まとめて話してみたいと思っていたので、番組のpodcastを利用して抜き書きしました。なおpodcastにはリンク先をご覧になればわかりますが、小泉今日子のエッセイ以外にも経済書などに言及していますので、利用できるうちにぜひお聴きください。

http://www.tfm.co.jp/bookstore/index.php?itemid=71767&catid=1757

以下は小泉今日子のエッセイについて語った部分。

 私がアイドル本で最近一番注目しているのは、「あまちゃん」でも非常に再注目された小泉今日子さんのエッセイ集です。特に2010年に出された『原宿百景』というエッセイがとても面白くて、アイドルというと明るいイメージがあるんですが、彼女のエッセイの場合は、暗いんですよね。どのくらいの暗さかというと、この『原宿百景』の帯に作家のよしもとばななさんが推薦文を寄せているんですが、「キョンキョンのあまりの文のうまさと、あまりの暗さに驚く。底知れない美しい暗さだ」と。まさにこのエッセイの特徴を言い表していると思うのですが、この『原宿百景』に代表される彼女のエッセイは、日常の彼女の身の周りで起こったことを書いてはいるんですが、多くはアイドル以前に厚木で暮らしていたんですが、その厚木というある種閉鎖的で独特な空間と、東京の原宿というところを対比させて、明と暗、それぞれに明と暗があるんですが、それを対比させることで、それぞれの地域の深さを表現している。その地域の深さを表すなかで、その厚木や原宿で暮らしている彼女の身内であるとか、友人、知人、その生と死、出会いや別れ、そういったものを第三者的な視点で書くんですよ。過度に感情移入しちゃうじゃなく、まさに他人事のように淡々と書くんですよ。僕は彼女のエッセイをよんで、ちょっとなにかこうドイツに昔いた哲学者のニーチェ、そのニヒリズム的な感じを思い出したんですよね。なにものも確立した価値は信じないというか、価値の相対性というかね。ちょっと難しい話かもしれませんが、確固とした基準はなくて、自分自身さえも移ろっている。そして生と死というのは絶えず自分の身の回りにあると。書き手のモノの見方というものを非常に相対的に考えているかきてなんですね。それがただ単に元アイドル、いまはかなり活発に活動する女優ですが、そういうアイドル・女優という枠をとっぱらって、小泉今日子の視点というものに、読者の感性を(直接に)ひきつけるという魅力をもっているんじゃないかな、と思いますね。手前味噌ですが、いま「あまちゃん」についての本を何人かの方々と書いてまして、そこで小泉今日子を調べる過程で、そのエッセイが書き手としての素晴らしさに気づきました。実は彼女のエッセイのデビュー作が『微笑物語 ちょっぴり照れた16歳』と、16歳のときに書いたものですが、そこにもさっき言ったような自分の家族の話であるとか、厚木の話とか、そういったものが書いてあるんですが、これは当時のアイドルだということを意識して、非常に明るく書いてはあるんですが、素材はもうすべて揃ってるんですね。それが年を重ねるにつれて、やはり人生の年輪を加えただけ、深く刻み込んだエッセイ集をいっぱい書いていると。本当に面白くてですね、『小泉今日子の半径100m』ですとか、『パンダのanan』ですとか、ひょっとしたら将来、小泉今日子著作集とか全集がでるとか出てもおかしくないくらいの、現代のトップレベルの書き手のひとりですね。まあ、女優の中にはですね、高峰秀子さんであるとかさまざまな優れたエッセイストを輩出しましたが、彼女はその女優エッセイストの山脈の高い峰のひとつにすでになっていると思います。

以下を僕が朗読しました。

「十八歳の時、リッチくんは突然に消えた。車の中で発見されたリッチくんはとてもキレイな顔をしていたという。日暮れの闇に消えてしまいそうだったリッチくんは本当に消えてしまった。たった一人で排気ガスを吸って、ずいぶん時は流れたけれど、リッチくんのお墓に行くといつまでも新しいお花と煙草がお供えしてある。リッチくんはあたし達の青春の記念碑になってくれた。だからあたし達は大人になれた。リッチくん、三軒先より空の上の方がよっぽど近い気がするよ。変なの」(小泉今日子『原宿百景』より)

原宿百景 (SWITCH LIBRARY)

原宿百景 (SWITCH LIBRARY)

小泉今日子の半径100m

小泉今日子の半径100m

パンダのan an

パンダのan an

番組中で言及した「あまちゃん」本。寄稿しています。
あまちゃんメモリーズ    文藝春秋×PLANETS

あまちゃんメモリーズ 文藝春秋×PLANETS