『日本人は何を考えてきたのか 明治編 文明の扉を開く』(NHK取材班編著)

 NHKEテレのシリーズの書籍化第一弾を頂戴しました。第二弾の大正編の福田徳三と河上肇の回をいま校正しているところです。明治編は、福澤諭吉中江兆民自由民権運動家たちの肖像、田中正造南方熊楠、そして幸徳秋水堺利彦の回が収録されています。

 冒頭の福澤諭吉中江兆民の回における中江兆民のフランス側からの考察、そして最終回の幸徳秋水の研究家であるこれまたフランスの研究者クリスチーヌ・レヴィ氏の舌鋒が鋭い。第二回と第三回の回は残念ながらミスマッチだし、やや東日本大震災を無理やりというか安易に導入しすぎてしまい深みがまったくなく。人選も端的に失敗だと思った。しかしレヴィ氏は遠慮容赦なく突っ込みまくるので、彼女の著作が読みたくなった(笑。

 しかし大逆事件は、政治的な立場を超えて、単に暗黒裁判(理念を持つだけで死刑、しかもひどい冤罪である)であることは明白である。

「レヴィ その点では、日本の戦前の知識人とフランスの知識人では違いが大きいと思いますね。フランスでは、インテリという言葉自体がドレフェス事件で生まれたと言われています。日本の場合は、報道や知識人の行動を見てみると、何も言わなかったですし、運動も起こさなかった。
山泉 言えなかったんでしょうね。言おうとした人もいましたが、新聞法というのがあって、批判的な内容を載せればすぐに発売禁止にさせられた。
レヴィ でも、発売禁止になっても書こうとする人はいるでしょう、インテリというのはそういった枠を超えて、何かをやることから生まれてくる存在であり、限られた国家が決めた枠内でやるのであれば、インテリは生まれてこないと私は思うのです。まず、“やらなかった”のは確かですが、“できなかった”と言い切れるでしょうか。“やらなかった”理由を“できなかった”からと説明することは、私は問題だと思います。なぜ、当時の日本のインテリたちは、国家弾圧に置かれた人と連帯することよりも国のことを考えたのか。これは、日本の将来ともつながる問題だと思うのです」

レヴィ氏の最後の指摘はするどい。

日本人は何を考えてきたのか 明治編 文明の扉を開く

日本人は何を考えてきたのか 明治編 文明の扉を開く

上念司「歴史から考える日本の危機管理は、ここが甘い 「まさか」というシナリオ』

 上念さんの独自の「陰謀」論をネタにした経済・社会論である。相変わらずの上念節であり、一緒にトークイベントしたり、いままでの本をすべて読んでいると、その独自の進化を本書でも味わうことができるだろう。

 詳細な中身については、道端カレンさんのブログにまかしたいが、本書では一般社会で流通している、単純でもっともらしいけど、実は問題ありまくりのバイアス(本書では「素朴理論」という)が徹底的に批判されている。

 特に経済的な側面では、設計主義への批判と保守主義との対比が、上念さんの思想のありかを知るうえでも読んでおいたほうがいいだろう。また最新の話題としては、中国人民銀行の反リフレ思想を、日本銀行が利用しようともくろんでいるところ(中国からみれば日本銀行は反FRBなどの対抗勢力として政治的タッグを組める相手にうつるだろう)などが興味深い。中国が日本のデフレ継続でどのような恩恵をうけるのか、この問題についてはこの倉山満さんとの動画や、またこのエントリーを参照のこと。

 本書で一番リアルタイムな話題は、やはり衆院選挙後の情勢だろう。ここらへんの新見解をもっと読めればいいのだが、それでも大枠は書かれている。これは今後のデフレ脱却(リフレ)論争を見るうえでもキーになる。

「幸いにして自民党総裁に選ばれた安倍晋三氏は、「増税反対&日銀法改正」論者として知られています。2013年の夏までに行われる総選挙で自民党が大勝し、第二次安倍内閣が誕生すれば、この亡国プラン(デフレ下での増税…引用者注)の発動を何とかギリギリのところで防ぐことができるかもしれません。……安倍新総裁の党内人事を見る限り、親中派グループは要職で起用されており、その大半は増税論者です。総裁一人が増税に反対しても、多勢に無勢で押し切られる可能性もあります。選挙に勝利して半年もしないうちに「安倍降ろし」といういことになれば、そのリスクが顕在化します。日銀のなし崩し緩和でどん底から少し復活しただけの日本経済を、「バブル再来!」「景気回復!!」などとマスコミが煽り、「もう増税しても大丈夫じゃないの?」という空気を醸成しないとも限りません。またしてもコミンテルンの「スパイ」に騙された「バカ」な人たちは、自滅への大行進を始めてしまうのでしょうか」

ここでの「コミンテルン」は歴史上のコミンテルンではない(そう読めてしまうところは少し問題ではある 笑)。むしろここでの「コミンテルン」とは、デフレを継続することがいいと理解している銀行や国債のマーケット関係者などかもしれない。もちろん日銀や財務省増税派たちだろう。日本の国益よりも自分たちの仕事まわりでしか日本を理解できない硬直的な思想の人たちだ。本書は「陰謀論」をネタに、かなり無茶ぶりな点もあるものの、相変わらずの大胆さで硬直した脳髄を刺激するだろう。

歴史から考える 日本の危機管理は、ここが甘い 「まさか」というシナリオ (光文社新書)

歴史から考える 日本の危機管理は、ここが甘い 「まさか」というシナリオ (光文社新書)

ジョン・クイギン(山形浩生訳)『ゾンビ経済学』

 リーマンショックにより従来の経済政策や経済学会で主流を占めていた5つの経済思想がまったくダメだということが証明され、死亡宣告が出されたのにもかかわらず、やつらはゾンビのようによみがえってきた、というのが本書の大枠である。その5つのゾンビ的経済思想とは、1.大中庸時代(1985年に始まる時期は、前代未聞のマクロ経済安定の時期だという発想)、2.効率的市場仮説、3.動学的確率的一般均衡、4.トリクルダウン仮説(金持ちにとって有益な政策は、最終的には万人の役に立つ)、5.民営化(いま政府が行っているあらゆる機能は、民間企業のほうがうまくこなすという発想)である。これら5つの経済思想は、ひとまとめに「市場自由主義」と本書ではくくられている。

 本書はこれら5つの経済思想=市場自由主義に対して、リーマンショックの教訓から混合経済の仕組みを主張している。それは人々が直面する社会的なリスクを福祉国家が適切に担う仕組みを構築することだ。

「大中庸時代の失敗は。政府の政策にとって広範んま意味合いを持つ。大中庸時代の終わりが持つ重要な含意は、大いなるリスク移転を逆転させるべきだ、というものだ。そのためには、社会民主主義的な福祉国家を構成する、社会的・集合的リスク管理制度を再び強化するしかない」。

 ここでいう社会的・集合的リスク管理制度の実例として、クイギンがあげものとしては、ナローバンキング制度だ。つまり投資銀行のような金融イノベーションによって社会全体をリスクに直面させる業態(株式投資ヘッジファンドなど)を銀行に認めるべきではない。銀行は古典的な貸出業務などに絞り、十分に国家が保護すべきだ。他方で公共的に保証されない金融機関(ヘッジファンドなど)とは厳密に所有関係を含めて切り離すべきだろう、という。

 望まれる方向の経済理論も従来の批判的なものよりも具体像が示されている。ケインズ的な要素(混合経済的側面)を主軸にして、そこに人間の行動が限定的合理性をもつものであることを積極的に導入することなどである。

 本書の提起する、民間部門と公共部門の適切なバランスに立つ混合経済のあり方は、いままでも議論されてきた。経済思想史的な蓄積も多い。それらの遺産を生かすべきときが来たということなのだろう(このブログでも四六時中いっている政策の割り当て論もそのような混合経済論の成果である)。

ゾンビ経済学―死に損ないの5つの経済思想

ゾンビ経済学―死に損ないの5つの経済思想

古谷ツネヒラ『竹島に行ってみた! マスコミがあえて報道しない竹島の真実』

 御本頂戴しました。ありがとうございます。古谷さんが竹島に行く前の晩に一緒に食事したんですが、韓国にいくといっていたので、まさか日本領土である竹島に行くとは想像外でした。笑。本書を読めば、韓国は竹島を観光地化という名目のもとに、自国民に対する領土意識の高まりを図るための政治的宣伝の場をして工作しているのは明白ですね。国家のプロパガンダの一例としても興味深いルポとなっています。その竹島の韓国の政治的な利用価値からもこれから何度も、韓国の政治家たちは竹島を使って自国からの関心を日本への対抗として逸らすのに利用するのでしょう。それにいちいち反応していると馬鹿らしいので、馬鹿は相手にせずで、国際的な世論の場で気長に日本も宣伝をしていくのが正しい道でしょう。ともあれ、竹島がどんなところであり、韓国の政治宣伝の実例を現時点で描いたいい著作です。古谷さんと立場の異なる人でも一読の価値はあるでしょう。

竹島に行ってみた!マスコミがあえて報道しない竹島の真実 (SEIRINDO BOOKS)

竹島に行ってみた!マスコミがあえて報道しない竹島の真実 (SEIRINDO BOOKS)