星岳雄氏のゾンビ農業論、八代尚宏氏の農協論、若田部昌澄&栗原裕一郎氏らTPPとコメの話

 星教授(カリフォルニア大学)が日経ビジネスオンラインで日本の農業について語っていた。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120824/235976/
(農業関係は会員登録しなくても読める)

星:建設不動産、農業などです。建設不動産は、建築許可などの手続きが煩雑すぎるし、不動産取引の手数料が国際比較をすると高すぎます。また、日本の農業には多くの問題があります。とりわけ農地利用に関して問題があります。明治学院大学神門善久教授が指摘しているように、まず農地の状況を全国的に精査することから始めなければならないでしょう。農地の使途をしっかり明らかにして、保護すべき農地を保護し、転換すべきところは転換する必要があるということです。価格が上がるのを待つために放置されているだけの農地も多いですから。また、これも神門教授が以前から指摘している点ですが、農業を保護するためにかかるコストは、その農業の付加価値と大体同じか、むしろ大きくなっている。だから日本の農業は価値を生み出してないと言える。もちろん個別には価値を生み出している農地もあって、やる気のある農家が生産的な農業をしているでしょう。だからこそ農地が、やる気のない人からやる気のある人に転用されることが重要なのです。今それが起こらないのは、他人に農地として売るより、他の業者が買ってくれた方が高いことから、オプション価値(将来に売るという選択肢をとっておく価値)が生じるからです。神門教授はこうした人たちを「偽装農家」と言っています。「ゾンビ農家」といってもよいでしょう。農業をやる気はないのに、将来の売却のために農地を持っている人たちです。

 この記事に数字を補えば、いまの日本の農業が年間に生み出す付加価値は7.5兆円ほど。これを保護するためのコストは2種類。まずは農業予算が2.7兆円ほど。これは財政補助金。さらに海外に対して価格保護を行っていて、それがだいたい2.8兆円ほど(計算の仕方は日本の農産物価格は国際価格の約1.6倍なので7.5兆円を1.6で割ったものを、7.5兆円から引く)。これだけで約5.5兆円。さらにまだある。輸入についても関税収入が過小だ。これが推計では3兆円近く妥当な額に比べて不足している。これも足すと日本の農産物は総計8.5兆円以上のなんらかの「補助金」で保護されていて、付加価値の7.5兆円を大きく上回っている可能性がある。つまり日本の農産物は事実上、作れば作るだけ日本の経済に負荷を与えていることにもなりかねない。僕は神門氏の著述はまだ拝読していないが、いま僕が書いたものはふつうの経済学者ならば単純に計算できるもののはず。日本の農産物が常識でも理不尽なほど保護されているのは明白だ。

(インタビューアー…田中付記)農地の規制に関しては国際基督教大学八代尚宏客員教授も本誌のインタビュー(「TPP、制度改革…、“平清盛”的「国富論」が日本を救う)で、「耕作放棄地は歴然たる農地法違反」であるからと、農地法を厳格適用するべきだと指摘していました。

星:神門教授は、今は自由にさせすぎているから崩壊しているという面を重視しています。それに加えて問題なのはゾンビ農家も含めたあらゆる農家が保護されていることです。日本の農業は生産性が低いので、保護を撤廃して国際競争にさらされたらたちまち崩壊してしまい、日本の食糧のほとんどを外国に頼らなければならなくなる、という議論がありますが、これは全く逆です。生産性が低いから保護が必要なのではなく、競争がないから生産性が伸びないのです。実際、国際競争にさらされた結果、崩壊どころか大きく発展することになった農産物があります。牛肉とオレンジです。

 この農家への競争は重要である。昨日もTwitterで金子洋一さんと対話したが、金子さんは以下のようにつぶやいている。https://twitter.com/Y_Kaneko/status/241087196365463552

輸入自由化の一方で、例えば年間1兆円でも大規模化する意志のある農家限定で配れば、日本の農業は大発展するでしょう。ただし、数年間限定ですが。 RT @hidetomitanaka: 農家にこの三兆円を直接補償でいれると一戸当たり年間120万円近くですね。その方が農家も喜ぶでしょ

 僕も基本的に賛成であり、星氏の主張とも連動できるだろう。また僕は金子さんのように大規模化する意思のある農家限定のほかにも、多様な農産物の生産にシフトする際の補償を組み込むことも考えるべきだと思う。この点はあとで若田部昌澄さんの発言を援用するので見られたい。

 また何もこれをすぐに明日からやれというのでもない。段階的に数年かけて、最長10年以上でもいい。またその間(というか何物にもまして最優先で)、経済規模を増やす総需要促進政策も重要だ。

 ただしこの政策の方向はつねに既得権とそれを支持する政治家またはそれに乗じている御用評論家たちによってネットのレベルまで誹謗中傷にさらされてきた。正直、感情的な議論やナショナリズムの混在にはこりごりだ。

 農協については、八代尚宏教授が次のように指摘している(http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20120411/230852/?P=4)。

農協は日本の農村における事実上の独占資本のようなものです。ごく最近まで、農業関係はもとより金融・保険業に至るまで多くの事業を独占していた。また、1地区1農協で、農家は特定の農協としか取引できない。外国の農協は、日本の生協のように、互いに地区を超えて競争があるのが本来の姿ですが、日本では完全に競争を排除する体制になっている。農協法における農協は、本来、零細農家が集まって企業と競争するという趣旨で独占禁止法の適用除外となっています。しかし、そこで想定されているのは単位農協で、その全国的な組織である全中は、事実上の巨大企業です。今は変わりましたけれども、かつては銀行や保険会社は農村にほとんど入れませんでした。今農協と対抗できるのは大規模専業農家ぐらいです。どこの国も農業保護はしていますが、それは主として専業農家の保護です。日本のように生産性の高い専業農家に大幅な減反を強いて痛めつけるような農業政策の国はないでしょう。誰のための農業保護かが問われる必要があります。農協は優秀な人材を抱え込み、農民から集めた莫大なお金を農業に使わずに他の部門に投資しているから、農林中金はもっとも健全な銀行でいられる。農協が零細農家相手のビジネスにとどまるのではなく、全国のネットワークを生かして、農地を集積し、生産性の高い大規模農業を展開したり、食料の安定供給のために、海外への直接投資を積極的にすれば一番いいのですが。

 この減反政策については、若田部昌澄さんと栗原裕一郎さんの『本当の経済の話をしよう』に関連する記述があるのでそれもみておこう。

若田部 コメには現在、778%の関税がかけられている。TPPでこの関税が撤廃されたら、安価な外国産米がどっと入ってきて、日本のコメは駆逐されてしまうというのが反TPPの人たちのロジックだ。しかし国産米(短粒種)やジャポニカ米(中粒種)は、コメとは言うものの別の食べ物に近い。1993年のコメ不足のときにタイ米が輸入されたけど、みんなあまり食べなかったでしょ。競合するとしたら、短粒種であるカリフォルニア米やオーストラリア米、エジプト米などで、日本米でも質のあまり高くないものはこれらにシェアを奪われるかもしれないね。でも、農水省が言う『国産米はブランド米を除いた9割が外米にとって代わられてしまう」なんて事態はちょっと想像しにくい。

栗原 カリフォルニア米って現在10キロ3000円前後くらいですが、関税が取り払われると、これが350円くらいで出回ることになって日本のコメ壊滅!とかワイドショーでやってましたが。

若田部 TPPでは関税を撤廃するけれど、おそらく時間をおいた段階的なものになる。アメリカの米も需要が増えるので値段は上がる。だから米の価格が10キロ350円にすぐなるとは思わないけれど、仮にそうなるとしても、日本人が食べるコメの量すべてを輸入で賄うことはできない。それと日本はコメを生産制限しているからね。日本政府は減反政策で生産力の4割を削減している。それをやめたらけっこう価格は下がるとおもうよ

栗原 略

若田部 とはいえ、ブランド米ではないコメをつくっている農業のなかには、外米が入ってくることで打撃を受けるところも出てくるだろう。そこは補償で対応すればいい。TPPは補償について制限をしていないからね。関税の完全撤廃までには10年以上の猶予があるから、その間に競争力のない農家は、コメから別の農作物へシフトすることもできる

 上の引用はTPPに絞っているが、別にTPPでなくとも他の貿易自由化・規制緩和の手段でもいい。要するに日本の農業があまりに過剰に保護されている実態をどうにかすることが、国民にもまた当の農業にも良い方向ではないか、と考えているのだ。

 農業についてはまた何度かここでもとりあげたい。

本当の経済の話をしよう (ちくま新書)

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日本の食と農 危機の本質 (シリーズ 日本の〈現代〉)

日本の食と農 危機の本質 (シリーズ 日本の〈現代〉)

石破茂氏の「インフレ目標でハイパーインフレ懸念」論

 石破茂議員が自民党総裁選に出るのではないか、というニュースをみて、彼のデフレ問題へのスタンスを調べてみることにしました。

 表題の件ははじめネットの冗談かと思ったのですが、ロイターでのインタビューに2年ほど前に答えたときのものなんですね。

http://jp.reuters.com/article/JPbusinessmarket/idJPJAPAN-16327220100716

 ──みんなの党が日銀法改正を含めたデフレ脱却法案を提出するが。

 「わたしはああいう考え方をとらない。マネーのバラマキは効果的かもしれないが、1年限りで終わるものでなく、2年、3年、4年と続ける必要があり、そのときハイパーインフレにならないという自信がない。麻薬を打つと元気になるが中毒になる前に止めるからいい、という話にならないか。(デフレ脱却法案への反対は)党としてまとまっている。うまくいくかもしれないが、ギャンブルではないのだから(政策として採れない)」

 ──自民党内にもリフレ派の議員がいる。

 「(リフレ派論客の)自民党山本幸三氏やみんなの党渡辺喜美代表とかのもっともらしい話が、実は違うということを理論的に明らかにしないといけない。今その作業をやっている。どちらかというと産業政策に近い内容。塩崎さんが中心にまとめている」

 インフレ目標がただ単にお金を無制限に何年もばらまく政策であると盲信しているのが面白いところです。またその代案が、日本銀行がずっと主力においている産業政策的なものですか。産業政策は日本ではだいたい衰退産業保護の別名か、ただの官僚たちのお気に入りの分野への無駄打ちか、あるいはいまの日本銀行のように「資金需要がないので伸びない分野」の別名です。最後はデフレ期待が蔓延しているのであたりまえですが。

 ちなみにどの国でもインフレ目標を導入してハイパーインフレになった国はありません。

 ただこのインタビューは二年前で、FRBインフレ目標を採用している現在、石破氏の見解も変わっていると思いますし、どうも前後を読んでも経済政策に確固たる方針があるようにも思えず、むしろそのときの政治的な利害でとる政策が変わっているだけのように思えます。上だとみんなの党対策でしょうか。

最近のブログを読んだのですが、ごくありきたりの政策主張が並ぶだけです。この手の人は麻生首相のときもそうですが、最初に何を経済政策でいうかでほぼ勝負は決まります(麻生首相の時は財政政策だけ、福田首相はなにもなしなど)。今現在だと日銀との連携をいっているので月並みですが、その範囲での認識はあるのでしょう。大胆な経済政策の転換は望めなく、おそらく彼が勝負をかけるのは別の政策でしょう。そしてそれのために経済政策がなおざりに(だいたいの人はそういうつもりはないでしょうが)なることでしょうね。期待はあんまりできないということです。可能性としては経済政策の助言者が優れている人をひきあてればですが、だいたいのこのタイプの政治家さんは昔からの官僚か官僚出身者のアドバイスしか聴かないで育ってきてるのではないかと懸念しています。その官僚の代表が経済政策では、財務官僚や日本銀行です。

石破茂ブログより:http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-af2b.html 

我々は、消費税率引き上げが可能となる環境とは何か、そのためには供給サイドの改革と、政府・日銀の更なる連携の強化による適切な金融緩和、各種規制緩和の具体策を提示するとともに、負担力に応じた社会保障の改革などを具体的に提示する必要があります。
 その他エネルギー政策、TPPの必須前提条件農政改革、日本にできることは日本が行うことを基本とする安全保障政策などを、解散・総選挙を訴えるからにはもうそろそろ纏める時期となっています。

なお、政府のいう産業政策の内実については、長谷川幸洋さんの以下の『日本国の正体』での発言が適切でしょう。

霞が関が「新政策」を立案するとする。日本の産業をざっと見渡して、なにがこれから発展するかを考える。先に「民間以上に、政府が有望産業を見極める正しい情報をもっていると考える根拠な乏しい」と述べたように、「政府が正しく判断できる」という前提自体が怪しいのだが、説明を続けよう。例えば、政府が有望と見る産業は少し前までは4つあった。「情報通信(IT)]「環境」「バイオ」「ナノ」である。これらの産業はいずれも新時代を先取りしていて、そこが伸びれば、日本経済にも輝かしい未来が待っていると考えられた。すると、官僚はそうした産業の業界団体をつくる。「政府としては、みなさんの産業を支援する。ついては、みなさんが業界団体をつくって、政府に要望を出してほしい。そうすれば、そこを窓口に相談したい」というように。業界団体ができると、財団法人や社団法人化を目指す。あるいは任意団体でもかまわない。そこで「できれば、我が省のOBを専務理事で迎えてもらえればありがたい」ともちかける。うまく成功すれば、天下りポストが一つ増える。これが「専務理事政策」だ。話はこれだけでは終わらない。次は基準認証づくりが控えている。「みなさんの産業分野は新しく、統一した規格がない。そこで基準認証制度をつくって統一規格にすれば、相互に利用しやすく、産業全体としても発展する」ともちかける。うまくいって基準認証ができれば、規格試験を実施し、試験料を徴収する。毎年決まった試験料が入るようになれば、しめたものだ。これが専務理事の人件費に化けたりする。ここまで「新産業の育成」に成功すれば、舞台回しして官僚は「金メダル」をとったも同然だ。「局長までは間違いなし」の出世の階段の切符を握ったと言える」。

 このデフレ脱却=産業政策的なもの、を二年前から「本音」で石破氏が持ち続けているとちょっと希望がもてない方に僕には思えますね。いまの微恩風な政策態度もそうですけど。

なお、一般的な産業政策の説明は以下のエントリーを参照。

産業政策とは何か(岩田規久男・飯田泰之『ゼミナール経済政策入門からのメモ)

カール・ポランニー『市場社会と人間の自由』

 訳者の若森みどりさんにだいぶ前に頂戴したけどようやく読む。ポランニーを読むのは毎回、ちょっとエイやと気合いをいれないと読めない。ひとつには相性というものがあるんだろうけど。

 本書はともかく難しい。ポランニーの未完の草稿や短文、また『大転換』の重要な最終章「複雑な社会における自由」、またルソー論や自由と技術をめぐる講演原稿などが収録されている。ポランニーを専門にやっている人間ならまだしも初心者にはハードルが高いので、まずは編訳者の解説を先に読むことをすすめたい。できれば本書の主題とかなりかぶっている『経済の文明史』も読んておいたほうがいいだろう。さらに若森みどりさんの『カール・ポランニー』は必読。おそらくこれらの読書経験を積んだうえで本書を読んだ方がいいのかもしれない。

 市場社会というのはインチキである。じゃあ、現実はどうなのかといえば「複雑」(権力や規制とかごちゃごちゃしている)。自分の行った選択がどんな帰結をもたらすかなんてわからない。わからないからおしまいじゃない。その選択の帰結にも責任をもつことが大切。ポランニーはこれを「責任を担うことを通しての自由」といっている。選択の帰結がある程度見通せるような透明な共同体を構築するのも大切だよね。

というのが僕が読み込んだポランニー。

 そして技術の地位(技術的効率性)は、この「複雑な社会」をさらに不安定にしてしまう。技術って自由への脅威。例えば原子力の利用を間違えると人びとの「責任を担うことを通しての自由」を破壊してしまうよね。そもそも原子力の甚大な汚染の前には個人の責任の問題を超えてしまっている。でも原子力も人間は利用してしまうかもしれない。技術的な効率性をほどほどに制御するには費用がかかる。この費用を分担するには、市場社会ではなく(そもそもそんなのインチキだし)、計画的な制御を中心とした社会が必要になってくる。

 こんな感じだろうか。詳しくは若森みどりさんと僕との対談(ここここ)も読まれたい。

市場社会と人間の自由―社会哲学論選

市場社会と人間の自由―社会哲学論選

  • 作者: カールポランニー,Karl Polanyi,若森みどり,植村邦彦,若森章孝
  • 出版社/メーカー: 大月書店
  • 発売日: 2012/05/01
  • メディア: 単行本
  • クリック: 2回
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松尾匡『新しい左翼入門』

 日本の左翼の歴史と現状の課題を面白く読ませる。本書では、左翼運動にあるふたつの社会改革の態度ー「嘉顕の道」(上から目線)と「銑次の道」(大衆のコンニャロー路線)ーを対比させ、それぞれの成果とまた陥った必然的な失敗のパターンを、いくつかの左翼内部の論争を通じて描いている。

とりあえずこのふたつの道が陥る「悪い所」は、松尾さんによると以下に。

「嘉顕の道」(上から目線)……現場の個々人の暮らしや労働事情からかい離して、理論や方針を外から有無をいわさず押し付けて、現場の個々人に抑圧をもたらす

「銑次の道」(大衆のコンニャロー路線)……他集団のことを配慮に入れず、外部に害となる集団エゴ行動をとったり、伝統的因習に無反省でメンバーを抑圧したり、小ボスによる私物化が発生したりする。

悪いことの「総合」は簡単だが、いい方向でこれらを「総合」するのは難しい。

 本書で特に印象に残ったところをいくつか

1.前半の堺利彦の位置づけがやはり面白い。おおざっぱな社会的な不正に対する「正義」みたいな感情で社会改革を目指していた堺らの態度の方が、ロシア革命の成果をうけて「マルクス主義vsアナーキズム」という不寛容な立場すすむ頃(現在も基本的にそう)に比べて「正しかった」というのが松尾さんの見立て。堺の位置に、個人の多様性(センらのいうアイデンティティの複数性)を受容する態度を見出しているのかもしれない。

2.戦前の労働者自主管理企業の歴史についてのスケッチ。おそらく啓蒙書では最初の業績でしょうね。賀川豊彦の思想や活動の功罪をバランスよく活写していて面白い。

3.戦後は、いってることはたまに正しいが、やることはだいたい間違ったり傲慢な共産党の問題性。

4.3,11を経過して、わかったことは丸山真男の『無責任体系」の論点をまったく日本は乗り越えてないこと。これについては激しく同意。日本銀行財務省問題を考えたときや、一部の政治家と話すときにもひしひしと感じてきたこと。座右には『日本の思想』と岩田規久男先生の丸山の福澤論に影響されている『福澤諭吉に学ぶ 思考の技術』は政策論争をやる人間は必携。

5.竹内好の失敗…複数のアイデンティティを結果として認めず、「その国にはその国独自の…」論が、悪しき文化相対主義や、いまの排外主義的な態度につながる可能性の指摘。

 やはり本書でいう「嘉顕の道」(上から目線)と「銑次の道」(大衆のコンニャロー路線)というふたつの道の陥る失敗パターンは似ている。簡単にいうと社会目的がどーでもよくなり、組織エゴや個人エゴしか通用しない不寛容になる。ではどうしたらいいか、本書でも少し語られているが僕はこれを松尾さんの別な論文のまとめや、彼との対談でもふれたのでそれを参照にしてほしい。

新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)

新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)

生活保護問題対策全国会議編『間違いだらけの生活保護バッシング』

 河本準一氏の母親の生活保護受給が政治家やマスコミ、そしてネットでも厳しいバッシングをまねいた。僕は知らなかったのだが、テレビでは生活保護受給者を見張れ、みたいな番組もあったのだろうか?

 本書はこの一連のバッシングへの丁寧な反論を用意している。生活保護バッシングする人たちの多くは、生活保護制度そのものの意義や、またその基礎になる思想(生存権)には無関心な人が多いだろう。それはTwitterなどでふれる経験からもわかる。なのでこの読みやすい小冊子がそういうバッシングする人たちにうまく届くかどうかはわからない。

 ネットでもこの編者となる団体のホームページはあり、本書の核になる部分はQ&A形式でも読むことができる。
http://seikatuhogotaisaku.blog.fc2.com/blog-category-2.html

 例えば本書では、今回の一連の報道の特徴を、1)民法上の扶養義務がどんなものであり、それがなぜ生活保護制度で保護の要件にされてないかの理解がなく、河本氏の道義問題を「不正受給」の問題にすりかえている、とする。これは正しい指摘だろう。2)「不正受給」は金額ベースで全体の0.4%であること、また捕捉率がきわめて低い状況(2〜3割)であるのに、生活保護制度自体に依存する「正直者がバカを見る」状況が一般化している、という感情的な議論の横行だ。

 本書ではもともとこのバッシングを主導した世耕弘成議員、片山さつき議員が自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」の座長とメンバーであり、今年の4月の生活保護給付水準10%削減などの提案をうけての政治的なアクションであったこと、そしてこの自民党の行動に首相、厚労大臣など政権与党も即応したことを指摘する。いわば政治的な生贄として、一部の道義的問題が、制度そのものの「財政緊縮」のたねに利用されたというわけである。

 本書は生活保護制度のまずは標準的な知識を与えようと構成されていて、その狙いはだいたいは達成していると思う。もちろん経済学的な観点からは物足りなさもある。特に最低賃金制度との関連などだ。ここらへんは論点として残るだろうし、現状の生活保護制度の捕捉率がなぜ低いのか、それは裏返しでいえば日本にはワーキングプアが多いこと、また「貧困」という概念の練り直しが必要であることも意味していると思う。それは先日紹介した『現代思想』の一連の論考やまたいくつかの専門論文を読んでいかなくてはいけないだろう。