物語経済学についての雑感

 タイラー・コーエンの経済学は、最近、独自の進化をみせている。特にリーマンショック後の米国経済の落ち込みによって、人々の文化消費のあり方が変化したという。この点は拙著『AKB48の経済学』でも詳細にふれた。

 コーエンはノーベル経済学賞を受賞したトマス・シェリングの論文「消費器官としてのこころ」をベースに、リーマンショック以後の人々は、ネットのさまざまな経路(TwitterFacebook、ブログなど)を通じて、「こころの消費」により傾斜し出したという。

 例えば、ブログを通じて人々は自分の日々の「物語」を生産し、またそれを自ら消費しているという。このような個々の「物語」は、コーエンのいうような個人レベルだけではおさまらないだろう。他者のブログなどと繋がる(リンクする)ことで、さらに大きな「物語」のネットワークを構築するだろう。
 
 この物語の経済学は、コーエンによれば、従来の希少性の学問である経済学の伝統に真っ向から挑戦するものだという。例えば、従来の経済学では、経済的な選択はすべて希少性の原理(最小のコストで最大の利益を得ること)によって支配されていた。

 それに対して「こころの消費」は希少性で物事を選択するのではない。例えば、フォーカル・ポイントという議論がある。これは「渋谷で待ち合わせしよう」とするときに、人々は渋谷のハチ公前やモワイ像の前を多くは選ぶだろう。これは希少性によるのではない。

 同じように人々は自らの人生を「物語る」ときも、特に希少性の原理によることなく、いくつかの物語のポイントを人は強調するだろう。それがその人のアイデンティティ=自己の物語を形成する特徴でもある。

 このような従来の経済学からの逸脱を射程にいれている物語の経済学は野心的である。例えば今年度、早稲田大学での講義では、村上春樹の物語の経済学を位相図を用いながら論じた。これもコーエンやシェリングの業績に依存している。

 コーエンとシェリングの違いを物語の経済学ベースで考えてみると、人間の多様性のどこに力点をおくかの違いになると思う。議論の焦点はすべて限界的な選択にかかわるものにする(以下ことわらないかぎり同じ)。つまりいま水道水から組んだコップ一杯の水がある。

 私達は日常的に多くの水分を補給し、またその補給の仕方も多様だろう。いまはその水分の補給のあり方全般の選択の話をしているのではなく、ここでいう限界的な選択とは、まさにいま蛇口をひねりいれてきたコップ一杯の水道水を飲むかどうかの選択の話。水道水の放射性ヨウ素は基準値をわずかに超える。

 ここで僕は自分の内面で葛藤する。私Aは「多少超えてても大丈夫。というか慎重すぎるのバカみたいだ、ごくごく飲もうぜ」、私Bは「これで安心して飲んでしまうといつまでも飲み続けてしまいそうだし、それに長期的な効果なんて実は誰もわからないのではないの? 飲まないでおこう」という、ふたつの私

 前者は短視眼的な私であり情熱的で本能?に自由だとしよう。後者は長期的な視野をもち自己抑制が効いている私だ。コーエンもシェリングもこの内面の「私」の葛藤を問題にしていている。シェリングは前者を後者で調整することに人々の望ましさを見出している。コーエンは必ずしもそうではない。

 コーエンの方は「自由」が「抑制」に優るときの人々の厚生の増加を否定しない。基準値を超えててもケセラセラ、とりあえず味は変わらないし、のどが渇いたから飲む。飲めばおいしい=厚生の増加。しかもみんな飲まないから水道水はどんどん安くなり使い放題になるというちゃっかりした計算もしたりw

 この差異を、さきほどの物語の経済学の次元に置き換えてみよう。例えば日本のブログでは、「自己流経済学」や「専門家よりオレの方が経済に詳しいのだぞ」というものが多い。これは明らかに「自由」」が「自制」に優っているw 

 コーエンではこのような「自己流経済学」がその人の厚生を改善する効果を認めるだろう。シェリングはおそらく違う。「そんなバカなこと書く前に教科書読め」というかもしれないし、もっと自制せよとたしなめるかもしれない。

 コーエンの物語の消費=生産では、「抑制」と「自由」が自在にその力関係を変えて、それぞれの消費=生産者の厚生を増加する可能性をみているといえる。ここでは希少性の原理もそうだが、科学的な真偽の基準も意味をなさない。物語の次元とはそういうものだ、というのがコーエンの指摘だろう

 このような「物語経済学」はおそらく今後の経済学で重要な発展をとげるだろう。例えば、マクロ経済学においてもジョージ・A・アカロフとロバート・J・シラーの共著『アニマルスピリット』では物語が景気循環にもつ意義が解説されている。

 個人的にはフォーカルポイントと物語、アイデンティテイの関連をより深く究明していきたい。

 コーエンの物語経済学のエッセンんスは以下の『情報喰いの時代』にある。

The Age of the Infovore: Succeeding in the Information Economy

The Age of the Infovore: Succeeding in the Information Economy

 シェリングのフォーカルポイントについての議論は以下の本に。

岩田規久男先生「震災からの経済復興ーいま何をすべきか」

 『経済復興──大震災後の再建のために』(仮題、ちくま新書)からの第1章をもとにしたエッセイが筑摩書店のウェブで読めます。すでに岩田先生が大震災について至急取り組んでいるのは聞いていたのですが、まさかもう脱稿されたとは。正直、驚きです。まもなく手にとることができるのは楽しみです。

http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/sp_shinsai/index.html

 拝読して、ご主張にまったく賛成です。すでにデフレ脱却論者たちが共通して抱いている政策提言を集約的に提起したものになっていて、さらに広範囲で詳細な点もフォローされています。