デフレ脱却国民会議 公開シンポジウム開催のお知らせ

すでにメディア、国会議員の皆様には告知させていただいておりますが、デフレ脱却国民会議 公開シンポジウムを開催いたします。

日時 平成22年8月31日(火) 15 時〜16 時30 分
衆議院第二議員会館 多目的ホール
パネリスト
勝間 和代(経済評論家 デフレ脱却国民会議呼びかけ人)
松原 仁(民主党デフレ脱却議員連盟 会長)
浅尾 慶一郎(みんなの党 政調会長
山本 幸三(自由民主党政務調査会副会長(財務金融担当)

順不同につきご容赦ください。敬称は略させていただきました。

多くの国会議員の皆様のご出席をお待ちしております。お問い合わせはすでにお手元にあるかと思います申し込み用紙を用紙に記載してあります事務局あてにお送りいただくか、またはお持ちでない場合は、事務局(上念司さんのTwitterなど)、または私宛(プロフィール欄にメルアドがあります)でお問い合わせください。よろしくお願いします。

当日はUstreamなどでの実況もあるのでしょうか? まだわかりませんが確認してみたいと思います。

なぜ若い人たちは「失われた世代」になってしまうのか?

 今朝、めざましテレビ(だったと思う。テレビみない人なので)をつけながらパンをこねこねしていたが、そこで読売新聞の調査ということで新卒の就職内定率が昨年に引き続きかなり減少していることを伝えていた。私見では本格的に調査すればさらに減少しているのではなかと思う。同時に、テレビでも指摘していたが、就職が困難なために大学院進学、留学生なら帰国、就職意思の表示さえもためらう人、家事手伝い、アルバイトなどで、実体の就職率はさらに低下しているように思える。

 新卒市場と同時に既卒市場など若い人たちの雇用状況はきわめて悪化している。報道にもあるように長期失業も累増していてるが、いわゆる「失われた世代」を含む15歳から34歳までの年齢層の長期失業の増加が顕著である。

 長期失業者数などは統計局のここを参照のこと。

 ところでなぜ「失われた世代」が生まれるのか。理由は長期停滞にあるのはいうまでもないが、その基本的なメカニズムについて、いままで何回かふれてきた。以下では2001年から書いてきた著作を引きながら、その「原論」的な部分について説明していきたい。
 
 『構造改革論の誤解』(野口旭・田中共著、2001年、東洋経済新報社)には、長期にわたる総需要不足の停滞が、潜在成長率の低下をもたらした可能性が言及されている。日本の各種の推計による90年代の日本の潜在成長率は、せいぜい2%ほど(現在は推計によってはもっと低い可能性もある)である

このような潜在成長率の低下のひとつの理由は、異例な長期不況によって新たな設備投資、研究投資が抑制され、それが生産性の上昇を低下させたからである。そうだとすれば長期にわたる総需要の不足は、単に「現実の成長率」だけではなく、潜在成長率をも引き下げたことにある。

 以上の推論が正しいとすれば、マクロ政策(日本銀行の積極的な金融緩和とそれに協調的な政府の対応)によって適切な成長率が維持されれば、潜在成長率自体もそれによって高められていくことになる、と「構造改革論の誤解」ではこの推論を提起した。

 それと雇用の面からより踏み込んで書いたのが、『経済論戦の読み方』(2004年、講談社現代新書)。当初はマクロ経済政策の失敗による「短期的」な失業であったものが、この失敗を放置することで、長期失業率の増加という「構造化した現象」として生起したものと考えられる。

 以下は『経済論戦の読み方』から一部を修正して引用する。

この長期失業の累増現象は、90年代後半から見られたものである。
 このことはいままで触れた、(1)不況レジームの継続の可能性による失業率の下げ止まりにくわえて、(2)構造的にも失業が改善しにくい状況を生み出し、長期的に日本の生産性低下をもたらす可能性を示唆している。
 長期間に失業が継続する理由としては、労働者の交渉力が上昇することによって、内部労働者(インサイダー)が雇用リスクを減らす一方で、新卒者や求職希望者などの外部労働者(アウトサイダー)が労働市場において交渉力に欠ける事態をもたらすことがあげられる。また長期に失業が続くと、日本のように企業内訓練で人材を育成する風土では特に技術の習得の遅れや陳腐化などが生じやすく、そのことがさらに長期の失業を招きかねない。このような現象は、当初はマクロ経済政策の失敗による「短期的」な失業であったものが、この失敗を放置することで、長期失業率の増加という「構造化した現象」として生起したものと考えられる。オリヴィエ・ブランチャードとローレンス・サマーズはこの現象を「履歴効果」(ヒステレシス効果)と呼んだ。
 日本では長期失業者の多くを若年労働者が占めており、このことが失業率の改善の下げ止まりや、また人的資本の損失による長期的な生産性の低下となってやがて問題化することが懸念されている。
 つまり理論的には「短期的な問題」であるはずのマクロ経済政策の失敗による失業率の増加が、その政策の失敗(デフレとデフレ期待の存続=円高シンドロームの定着)が長期間にわたって放置されたため、「短期的な問題」が構造化し、長期失業の累増とその解消の困難という「長期的問題」に変容する可能性があるということだ。
 このマクロ経済政策の失敗は、すでに繰り返し指摘したように、今日までも基本的に継続している。 

 このように生産性の低下、長期失業が、長期停滞(マクロ経済政策の失敗)により、またそのことが若い人たちの雇用の悪化、生活の悪化を通じて、社会に「構造化された貧困」を生み出すのではないか、というのが上記の趣旨である。

 僕はその問題を二―トや非正規労働にも焦点をあてて、『日本型サラリーマンは復活する』、『経済政策を歴史に学ぶ』、『雇用大崩壊』などで書いてきた。しかしなぜか雇用問題そして若者の貧困について、その核心であるはずのマクロ経済政策の不適切な運用に関心をあてる人はいまだに少数派である。それは残念なことだ。その問題を解決しないことには、「失われた世代」がやがて社会全体を覆い、「失われた国民」になってしまうことを不可避にしてしまうだろう。その時はこのままではすぐ目前である。