http://twitter.com/555hamakoより
頭の良い人達が理論上の事を言っても解決してない。ハイパーデフレなんだからやるべきでは?日銀とFRBの差。日米 国力の差か。
今はハイパーデフレ! ところで、さくらと言う歌をダウンロードしたいが、いっぱいあって どのさくらだか?わからん!だう!
したたかな、国策が国益を
日銀は国債を買い取って円を増やせば、一気に景気が浮上するのでは。
ハイパーデフレはデフレスパイラルだよ、だう!
http://twitter.com/555hamakoより
頭の良い人達が理論上の事を言っても解決してない。ハイパーデフレなんだからやるべきでは?日銀とFRBの差。日米 国力の差か。
今はハイパーデフレ! ところで、さくらと言う歌をダウンロードしたいが、いっぱいあって どのさくらだか?わからん!だう!
したたかな、国策が国益を
日銀は国債を買い取って円を増やせば、一気に景気が浮上するのでは。
ハイパーデフレはデフレスパイラルだよ、だう!
相変わらずの池田
http://news.livedoor.com/article/detail/4656573/
リフレ派は、目標は必ず実現できるので、中央銀行にそれを実現するよう強制せよと主張する。しかし今回の経済危機でも明らかになったように、中央銀行がデフレをインフレにすることは不可能なので、FRBなども拘束力のないinflation objectiveという言い方をしています。
「目標が必ず実現できる」なんていってないよ 笑。なんであんたはこんな極端な議論しかできないのかなあ。
「今回の経済危機でも明らかになったように、中央銀行がデフレをインフレにすることは不可能」っていつ明らかになったんだ? 遅れに遅れほとんどしてないに等しい日本銀行がデフレに落ちるのはある意味当然、とはいってるが、日本銀行が公式にデフレ脱却を曲がりなりにもいいだしたのは昨年の12月だけどね? もう明らかになったの? 常識を外れて早いあきらめですなあ、笑。しかもそれでは不足すぎるといってるのがリフレ派なわけだけど 笑。
「FRBなども拘束力のないinflation objectiveという言い方をしています」…おいおい、これだとアメリカでもデフレをインフレにできないから、FRBも「拘束力のないinflation objective」を採用している、ということになってしまうけどねw FRBはデフレに陥るリスクを回避するために考えられる政策は積極的に行う、といっているわけでその中での採用でしょう。文脈がぜんぜん違うって 笑。
おまけにこの人のデフレの定義がわからんけども(笑)、アメリカは少なくとも持続的なデフレにはなっていないはず。危機の直後にマイナスになったが、いまはプラス水準。ということはそもそもアメリカはデフレではないので池田は誤解の可能性が大きいか、あるいは一時的なマイナスだけをみるならば、いまはプラスなので池田の「デフレをインフレにできない」という主張も誤解かもね。いずれにせよ、僕には意味がとれず理解不能。
まあ、どうでもいいけどね。池田の発言を読んで満足しちゃう人たちを僕はとめないよ。笑。
(付記)でも目を覚ましたい人は以下を参照のこと
池田信夫・池尾和人(池池コンビ)の発言チェックリスト
最近、議論もしてないのになぜか変なまとめサイトでコミック関係の議論の相手にでっちあげられてしまい、でっちあげた人間がこのブログでは札付きの人物なのでまあ、性懲りもないとほっておくことにした。
さて、アコログから引用http://ironjoe.blog7.fc2.com/blog-entry-292.html
ていうか、ロマンスものコミックって、1949〜1950年に壮絶なバブル時代を迎えて(Grand Comics Databaseで「love」もしくは「romance」で検索してみると、1949、1950年に常軌を逸した数のロマンスものが創刊されてるので試してご覧なさい)、結果、この2年でバブルがはじけて、以降はジャンルとして尻すぼみになっていった感じなんで、コミックス・コードがジャンルの成長を阻んだ「直接的な原因」的に捉えるのは言い過ぎじゃないかと思うのですよ。
かなり前に読んだのでもう詳しい内容は忘れたけど、このブログでも紹介したことのあるMichelle Nolan のLove on the Racks: A History of American Romance Comicsがこの話題に触れていたと思う。コミックコードとの関係は特に印象にはないけれどもジャンルの終焉の理由についてはふれてたのでぜひ興味のある読者は読まれた方がいいと思う。まあ、非実在青少年とは関係ないけどw
ところでその非実在青少年だけどもともかくtwitterで数日前につぶやいたときは視点を少し変えただけでも大変な感情的反発みたいなものを招いて驚いた。まるで「反対の陣営に加わらないのは罪」みたいな感じ。別に法案に反対だとも賛成だともいってなく、違った意見書いただけで 苦笑。
さて昨日の朝にちょっとTwitterに雑感を書いた。これへの反応は驚くほどなかった。たぶん数日前のいさかいで少し冷静になったのかも。書いてる趣旨は同じだけどw あるいは最初に「法案が糞」と書いたのでそこだけ読んで安心したのかもしれない。正直そうだとしたらそういうマインドの連中には呆れるのだが。
非実在青少年の件、法案そのものが糞なのはいいとして、むしろ反対する連中の主張がどうも気になってしょうがない。なんというかファナティックというか。まあ数日前にそれでここでも少しもめたが。「表現の自由」って考えたらたぶん「生存権の社会政策」の基礎を考えるのとほぼ並行するほど難しいはず。
終局的には、「表現の自由」も異なるビジョン(もしくは価値判断)の問題に帰着するだろうけど、このビジョン(価値判断)は、T.ソウエルや山田雄三の丁寧な議論を想起するまでもなく(いや、想起してほしいがw)、合理的なものであり、実際には実証可能なレベルでもあるはず。
で もこの問題で複数の知人や編集者からメールがきて反対の戦列に加われ!みたいな感じだったが、どうもその無根拠に「表現の自由」を持ち出すのが釈然としなかったなあ。あとコンテンツ産業が崩壊する、という人も結構いたが。そもそもコンテンツ産業とは何かでもめてるわけだが…
引用中にでてくるソウエルの議論はここ参照、山田雄三の議論はここ参照。自分としては彼らの議論を踏まえて、その応用として「ロリコン」(非実在青少年とイコールとは思ってないけど)をめぐる「表現」に関した対立した社会的ビジョン(価値判断)の問題をみることが有益かな、といま思っている。場所が与えられれば書くけどね。
A Conflict of Visions: Ideological Origins of Political Struggles
あと個人的な意見なのでみなさんの賛同はいっさいいらないがw このブログでもたびたび批判している人たちが反対運動の中核なのも正直、違った視点でみといたほうがいいかも、という本能的な防衛意識を惹起するのは正直なところではある。