日本銀行のいいかげんなデフレ論議

 日本銀行が12月1日の政策決定会合の内容を公表した。特に注目したいのは次の文章である。

http://www.boj.or.jp/type/release/teiki/giji/g091201.pdf

多くの委員は、わが国経済は持ち直している
ものの、来年度の半ば頃までは回復ペースが緩やかなものに止まる
と見込まれる中で、このところの国際金融面の動きや為替市場の不
安定な動きが企業マインド等を通じて実体経済活動に悪影響を及ぼ
すリスクが加わってきているとの認識を示した。ある委員は、最近
のデフレを巡る議論の拡がりが、家計や企業のマインド面に悪影響
を及ぼし、実体経済に対する下押し圧力が強まる可能性も懸念され
ると付け加えた。
こうした情勢判断を踏まえ、委員は、日本経済がデフレから脱却
し、物価安定のもとでの持続的成長経路に復帰することを支援する
ため、金融政策面からの追加措置が必要であるとの意見を共有した。
 

 面白いのは全委員がいつの間にか「デフレ」であるという現状認識を共有していることである。討議された証拠さえも上記の文章にはない。報道的には、一部の頭のいかれたとしか思えない委員の「デフレ論議が悪影響を及ぼしている」という発言があまりにも奇矯なのでとり上げているようだが*1、僕にはこのろくに議論もすることもなくデフレを全委員が認識していることに驚きを隠すことができない。こうまでインチキだったとはね。

 実際に呆れてしまうのだが、この12月1日の会合のたかだか10日ほど前の会合では、「デフレ」を言うか言わないか、「細心の注意を払う」という日本銀行の「従来の立場」を中心に、あれやこれや意見がでて、まったくまとまっていなかったわけだが。


http://www.boj.or.jp/type/release/teiki/giji/g091120.pdf

委員は、物価に関する情勢判断の情報発信の仕方を巡って議論を
行った。ある委員は、展望レポートで2011 年度まで物価下落が続く
という見通しを示したあと、予想されたとおり、「デフレ」に関す
る議論が高まってきたと述べた。多くの委員は、これまで日本銀行
が説明してきたとおり、「デフレ」という言葉が使われる場合には、
財・サービス価格の持続的な下落、厳しい景気の状況、資産価格の
下落など、様々な定義で用いられており、論者によって異なるため、
日本銀行が「デフレ」という言葉を使用する時は、細心の注意を払
う必要があるとの見方を示した。もっとも、何人かの委員は、こう
した説明は正しいものの、このような言い方をすることによって、
日本銀行は「デフレ」という言葉をあえて避けているとの印象を与
えている可能性があると述べた。その上で、ある委員は、「持続的
な物価下落」を「デフレ」と定義するのであれば、そうした物価動
向の評価は、日本銀行が展望レポートで示した見方と異なっていな
いという点を対外的にも説明していく必要があると述べた。また、
別の委員は、「デフレ」について情報発信する際には、それ自体が
マインドに悪影響を与えることのないよう留意する必要があると付
け加えた。

 いったいこの人たちの政策判断の基準はどこにあるのだろうか? いったい「デフレ」をめぐるこの人たちの議論はなんだったのだろうか? デフレ脱却を目的にするといいながら、そのデフレをめぐる議論がまったく公にされないまま、全委員が一致してしまっている! おかしなおかしなわが国の中央銀行

 12月1日の議事録を真にうけるとやはり新聞報道のように、ある委員が「世の中でデフレ論議がさかんでみんな不安がっている」→「だからわしらもデフレを目的に政策を転換しようぜ」→「そうしようそうしよう」→全員賛成 という本当におバカな話になるわけだが

松原隆一郎「論壇時評」in『朝日新聞』

 1月25日月曜の朝日新聞の論壇時評は興味深いものだった。なぜならそこで松原隆一郎氏がデフレ論争をまとめており、その中核がデフレ問題については見解を同じくしている飯田泰之論説を批判しているからだ。直接の反論はひょっとしたら飯田さんが行うかもしれないので、私はむしろ松原氏のデフレ問題そのものの見解についていくつか注目しておきたい。

 まず飯田論説を批判した後にそれに関連して以下のように彼は書いている。以下で松原氏が依拠している菊池らの発言はこのブログでもとりあげた『Voice』収録のものである。

「菊池(英博…引用者補遺)の見るところ問題の発端は、小泉以来の自公政権が、輸出にかかわる大企業を優遇したことにある。ゼロ金利によって円安誘導し、法人税所得税を下げたのである。低金利高齢家計を直撃し、財政赤字の穴埋めに消費税率が引き上げられて、それでも財政悪化したため公共投資地方交付税交付金が削減された。輸出厚遇の身代わりに国内と地方が痛めつけられた」
 このように松原氏は菊池氏の発言をまとめる。簡単にいうと「小泉自公政権が輸出産業の厚遇をしたために日本経済は痛んだ」説というものである。ところで私の誤解でなければ、

法人税率は2000年以来引き下げなし
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/082.htm

所得税も99年に引き下げられて07年の引き上げまでなし
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/234.htm

消費税率の引き上げは97年以降なし

であり、小泉自公政権の前である。これだけで松原氏のまとめた「小泉自公政権が輸出産業を厚遇したために日本経済は痛んだ」説は、事実認識の点からしておかしなことになる。

さらにこれも通念になっているようだが小泉政権がかなり財政緊縮型でありそれが経済にかなりのダメージを与えたという点である。これについては留意しておくべき点がある。それは小泉政権の財政緊縮スタンスはいわれるほど「緊縮」ではない点である。

 この点については、高橋洋一さんが的確なまとめを行っている(「「何もしない」小泉政権をマクロ的にどう評価すべきか」(『週刊金融財政事情』2005年6月27日号)。その評価は簡単にいえば小泉政権が受動的なケインズ政策を行ったというものである。

 「小泉政権になって以降、積極的なマクロ政策は行われていないが、税収のビルトインスタビライザーが機能し受動的なマクロ政策となっているのである。歳出差額(=一般会計歳出−税収)の対GDP比率をみてみると、積極財政といわれた小泉政権以前の九八〜〇〇年度の平均が七・九%であったが、小泉政権になってからの〇一〜〇四年度の平均は七・八%とほとんど同じである。小泉政権の財政運営は清算主義のような印象を与え、その心理的な効果はわからないが、実際のデータでみる限り、かなりケインズ的な景気下支え機能をもっていたといえる」。

 もちろん公共投資が低位推移(かならずしも予算ベースでは低下一方向ではない)、地方交付税交付金(こちらは縮減傾向)が低下したことは事実であるが、小泉自公政権の財政スタンスへの評価は、松原氏のまとめた菊池氏の論(松原氏のまとめた、に留意されたい)の表現ほどに決定的だったようには思われない。

 また「低金利高齢家計を直撃し」とある。これも私はよく思うのだが、いったいこのとき「直撃」されている「高齢家計」はどんな人たちであろうか? この点については以前書いた文書を以下に転載しておく。

 (5) 利上げしないと年金生活者の生活が脅かされる

 ゼロ金利が日本でも欧米でも接近してきて、ゼロ金利は預金収入を減らすことで消費を抑制し、景気を悪化させるとしたり、または年金生活者を困窮させる、という主張をよくみかける。政治家でもこの種の発言をする人物がいて驚く。
さてもし預金の利子がゼロ%から上って年率1%としよう。貯金を100万円もっている人は、1万円を得ることができる。1000万円の貯金の人は10万円、1億円の貯金の人が100万円だ。まあ、1億円ぐらいの貯金をもっていると預金の利子がゼロみたいなことになると「深刻」そうにみえる。
しかしよく考えてほしい。あなたはこの1億円も預貯金をもっている人たちの「生活を脅かさない」ために利上げを、不況の中ですべきなのだろうか。それとも職を失い明日をもしれない無数の失業者のために利下げをするべきか? こういうのは私には常識の問題でしかないように思える。 
しかも年金は、現役世代からの所得移転である。若い頃に積み立てたものを現在年金で受給しているわけではない。現役世代の生活を困窮させて、どうして年金生活者が楽になるんだろうか? 例えば現役世代のときに少しも蓄えができなかった人が、いまの現役世代からの所得移転をちゃんと受けられなくなるほうが、本当の意味での年金生活者の暮らしを脅かすのではないだろうか。

 世界同時不況は深刻な危機である。しかしいつの時代も、最も恐ろしいのは人々の合理性を見失った心の危機である。

 さらにゼロ金利によって円安誘導によって、地方や国内経済は「痛めつけられた」であろうか? 例えば実質実効為替レートの推移をみてみると(参照http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5072.html)2002年以降、円安傾向があり、それは08年9月のリーマンショックによる急激な円高の進展まで続いている。ところでこの02年以降の失業率の推移をみてみると02年に5.4%をピークにして曲がりなりにも(私は不十分だと思うので)3.9%まで円高に反転したリーマンショックまで低下した。また日本銀行が06年に金融政策を転換する影響が出てくるまで実質成長率、名目成長率、さらにデフレ期待の悪化の幅などもすべて改善する傾向にあった(繰り返すがそれはまだ私には不十分だが)。

 例えば「産業の空洞化」といわれる問題や若年雇用がその「空洞化」ゆえに雇用されないという点についても、むしろ小泉自公政権からリーマンショックの間では改善されていることも指摘できる。例えば、平成14年(製造業への産業別就職率38.1%:23.1% 前者男、後者女性)平成15年(38.2%:23.1%)、平成16年(43.4%:25.6%)、平成17年(47.9%:27.4%)、平成18年(50.1%:27.4%)、平成19年(52.7%:29.4%) であり、景気の回復によって一貫して製造業への高卒の就職状況は改善している。

 さて松原氏は彼のまとめた菊池氏の見解について賛成を表明している。

「筆者はこの見方に共鳴する。要するに我が国はこの間、政府が一部製造業を後押しして輸出振興を図る「重商主義」を国是としていたのだ。それにより国内と地方が疲弊し、将来不安・雇用不安が蔓延して、流動性の罠を招いた」
という。

 ところでこの見解だと円安誘導が、あたかも流動性の罠を招いたと読めるだろう。「流動性の罠」とは、松原氏の見解によれば同じ記事の中で彼はこう書いている。

「しかも何故、物価下落によってデフレ・ギャップは縮まらないかといえば、資金が散布されても投資にも消費にも使わずに貯蓄する「流動性の罠」に嵌っているからだろう」

 流動性の罠自体にはこういう「見方」も可能である。しかしこれが小泉自公政権以降の円安誘導で実現したものなのだろうか? まず失業率の改善、地方の景況感のリーマンショック前までの円安局面での改善傾向、そして国全体でみても成長率が回復傾向、デフレ期待の後退や物価の上昇なども、すべて水準としては低いが02年以降からリーマンショック前までは傾向として続いていたと思われる。

 むしろ松原氏が指摘したような意味での「流動性の罠」は、90年代から02年までにかけての円高の局面において生じている。例えば現金・預金比率の推移をみると90年代初頭では下落トレンドにあったが、日本経済がデフレと円高の長期的な進展(これを円高シンドロームという)とともに、その下落トレンドが反転して急激に上昇している。それは松原氏のいっている意味での「流動性の罠」への落ち込みを示すことでもあろう。

 ところでよくわからないのだが、では松原氏はともかくも彼の理屈の中で、金融緩和をやめてそれによってもたらされる円安誘導をやめるべきだというのだろうか? そもそもいまの日本経済の状況の中で、金融を緩和することが円安をもたらし、それが輸出部門に好影響を与えるのは、国内・地方経済を含む景気回復のひとつの確かな途ではないだろうか? それを「重商主義」と批判する意図が何度考えてもよく理解しないし、上に書いたようにいくつものデータに合わない事実認識に松原氏の発言自体が基づいているように僕には思えてしまうのだが。皆さんはどうお考えだろうか?

(補遺)ちなみに円安ではなく円高を放置した場合はどうなるだろうか? この点については上念司さんの下の本がわかりやすいのでぜひ読まれたい

(補遺2)日本銀行の二段階の不況という点を上に加筆した(参照:『雇用大崩壊』NHK生活人白書)

デフレと円高の何が「悪」か (光文社新書)

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