日銀とのアコードが「日銀の独立性」を阻害する?

 http://www.business-i.jp/news/ind-page/news/200909110006a.nwc

民主党の金融政策のキーマンと目される大塚耕平・政調副会長が、自ら主張した日銀との「アコード(政策協定)」の必要性について「火消し」に回っている。財源が不明確な民主党の財政政策について、「国債の増発につながる」との懸念があり、大塚氏のアコードが日銀による長期国債の買い取り増額などの「圧力」と受け取られた。発言後、金融界などから批判が続出したためだ。9月に入ってから大塚氏は自身のホームページなどで弁明している。

中央銀行国債を引き受ける趣旨のアコードを結べば、独立性が失われる可能性がある

 大塚議員の本旨がどんなものか知らないが、それでも彼のアコード発言が、あたかもアコードの可能性を事前に否定する根回しに使われた可能性は否定できないだろう。ところで上の記事の最後について用語解説では、アコードがあたかも中央銀行の独立性をおかしているかにとれる記事があった。用語解説だけではなく、最後の日銀関係者を含めて全体の流れがそんな感じである。ちなみにオフェンスが得意な日銀関係者がたとえ日銀出身者の議員に対してであれ、かなり大胆?な物言いをしているところはさまざまな空想をたくましくさせるに十分だが(笑)、それはまあ、いまはおいておこう。

 簡単にいうとアコード自体は、外見では政策の選択肢を限るものであるが、それは本末転倒の議論であり、中央銀行の本来のミッションが一国経済の発展を支えるという基本中の基本であるならば、政府と目的の共有をはかり、一時的な政策の選択肢とその後の対応を取り決めることは、一国の厚生を改善する上で好ましいだろう。ところが記事ではあたかもアコード=独立性の毀損 とでもいうおかしな趣旨で書かれているようであり、記事の執筆者の見識および文中の関係者の発言を奇矯なものに思わせるに十分である。ちなみに日銀は従来からこのアコードには公然と否定的である。当然に大塚議員もその事実は知っていたであろう。彼が理念だけであれこのアコードについて述べるならば、当然に日銀およびその関係者(金融関係者のごく一部分)からの「反発」も十分に予測していたであろう。しかしかれは上の記事では「火消し」に懸命だという。不思議な印象をここでは持つが、まあ、それも置いておこう。少なくともアコードを持ち出すときは、日本経済回復を優先すべきか、どこの誰ともわかなぬ日銀関係者の顔色をうかがうのか、その対立を乗り越えるだけの度量と決断が必要だということをこの記事は少なくとも暗示しているだろう。

 ところでこのアコードについては、簡単なものをこのブログでもとりあげたので以下に再録しておく

 しかし現状の財政政策は単に一時的な効果しか与えないものです。それは現在、懐が暖かくなる(減税や補助金などで)ことはあっても近い将来に増税は予想される場合には、あまり効果が期待できないことなどが理由としてあげられます。そもそも単年度の財政政策にはあまり効果がなく、それは政府の財政赤字だけ累増させ、政策対応の不十分さが「失われた10年」を継続した理由ともなった、という指摘がされてきました。

 さて今回はいかに「インフレ」のもとで、国民の懐を暖かくして、暮らしを楽にするか。その意味で望ましい「財政政策」を考えて見ます。この「財政政策」は、現状の与党の財政政策に主にふたつの要素を加えるだけで完成できる実現性の大きいものだと思います。そのひとつは、長期国債買いオペの大幅な増額、第二は日本銀行と政府との政治的な協調です。これをアコードともいいます。後者により前者が担保される必要があるでしょう。

 さてスティグリッツは以下のように望ましい「財政政策」のプランを以下のように述べていました(昔のエントリーから一部分いまの文脈にあわせて使用)。以下でデフレとでてきますが、これは単に「景気が悪いこと」と読み替えれば、いまの日本が「インフレ」だと思う人にも納得して読んでいただけるでしょう。

「では、日本のデフレはどうすれば克服できるのか。日本政府が財政の不足分の一部を国債の発行ではなく紙幣を刷って賄うとしたらどうだろう。この新に刷られた円を受け取った個人や企業のなかには、使わずに預金する者もいるだろうが、使ってモノやサービスを購入する気になる者もいるはずで、それによって景気が刺激される。また預金が増えれば、過剰流動性を増やすだけの銀行もあるだろうが、貸出を増やしたほうがよいと判断する銀行もあるはずで、そうなると景気はさらに弾みがつくことになる」(『スティグリッツ教授の経済教室』邦訳59頁)。

「慎重にペース配分しながらこのプログラムを実行していけば、景気を上向かせるだけの総需要拡大を生み出し、デフレを反転させて好循環をスタートすることができるはずだ。物価が上れば債務者の返済の負担は軽くなり、その結果、彼らがもっとカネを使うようになるかもしれない。また、借入れを返済する債務者が増えることで、銀行も貸出を増やすかもしれない。略 もちろんインフレ恐怖症にかかっている人たちは、そのような政策はインフレ・スパイラルを招くのではないかと憂慮するだろう。しかし、そうした憂慮を裏付ける調査結果は一つもない。インフレ率が低い国や穏やかな国については、中央銀行が何を言おうと、インフレ率の緩やかな上昇が天井知らずのインフレにつながることはないのである」同59頁。

 スティグリッツは、景気悪化からの脱却の経路として、1)信用のアベイラビリティ、2)長期実質金利 のふたつに影響を及ぼしてみることを考えて、スティグリッツは前者をより重視します。

 で、その信用のアベイラビリティに影響を与える政策として彼が主張しているのが先の政府通貨発行策。 後者の長期実質金利に影響を及ぼすほうとしては、彼は短期国債と長期国債の構成を変更すること、つまり長期国債買いオペを積極的にすすめてます。で、こっちは信用のアベイラビリティよりも効果が小さいというのがスティグリッツの主張ですから、まさにこちらは大きく効果がでるように長期国債買いオペをかなり積極的にやる必要がでてきます。他方で政府通貨発行の方はスティグリッツ的には効果がありまくりなので、上の引用のように「慎重なペース配分」が必要なわけです。

 さてバーナンキの方の「財政政策」ですが、これも長期国債買いオペの増額です。

 「ここでの私の論旨は、日本の金融・財政当局間の協力が、それぞれの政策担当者が単独で直面している問題を解決するのに役立つということです。たとえば、日本銀行による国債の買い入れ額の増加と明らかに一体となった家計と企業に対する減税を考えてみてくださいーーしたがって減税は結果的に通貨創造によってファイナンスされます。さらに、日本銀行が、物価水準目標を公表することによって、景気回復にコミットしたと仮定します。そうすると、マネーの増加の大部分あるいはすべてが恒久的だとみなされます。この計画では、日銀のバランスシートはボンド・コンバージョンプログラム(財務省日本銀行保有の日本国債金利を固定金利から変動金利に転換。財務省が日銀に支払う利払いは、日銀の財務省への納付金で相殺)によって保護され、また国債は日銀によって買い入れされ、民間部門には売却されないため、債務残高についての政府の懸念は緩和されています。さらに、消費者と企業は減税の大きな部分を貯蓄ではなく支出に向けようという意思を持っているはずです。彼らは手元に余分な現金を持っていますが、−−日銀が減税額に等しい額の国債を買い入れるためにーー将来の増税を示唆するような現在あるいは将来の債務償還のための負担は発生しません」(高橋洋一訳『リフレと金融政策』、137頁ー8頁)。

 これらの提言を読むと、まさに政治家(次期総理大臣)が本気に国民の生活のために「財政政策」をする気があるのかいなかに依存していることがわかるでしょう。つまり彼らの政治力の発露こそ真に望まれているのです。いまの「一時的な財政政策」なんてあまり政治力がなくてもできる安易なものですよね?

 ちなみにバーナンキの提案を、スティグリッツの提案とすりあわせるために、「さらに、日本銀行が、物価水準目標を公表することによって、景気回復にコミットしたと仮定します。そうすると、マネーの増加の大部分あるいはすべてが恒久的だとみなされます」という「仮定」は置かなくていいと思います。日本銀行が長期国債の買いオペを大幅に増額する「仮定」をおくことで代替可能でしょう。

甦る高橋洋一

 勝間和代氏と高橋洋一さんとの対談を zajujiさんが原稿に起こしてくれました。いまこそ読むべき内容が網羅されています。どうも書き下ろしていただき感謝です。

鄙/Hina blog :勝間和代のBook Loversを聴いた
http://since20080225.blogspot.com/2009/09/book-lovers.html

なぜ日本銀行と政府は政策を変更しないのか?をめぐる部分を以下に抜粋させてください。他の部分も有用なのでぜひ上のリンク先を。

T:後だしにしても意味ないです。他の国と同様に、金融緩和を断行する、と宣言すべきなんですが何故かしませんね。今の日銀総裁は以前、金融を引き締めて失敗した人。なので、ここで緩和策を打って成功してしまうと、過去の失敗を認めなきゃいけなくなると考えている。日本にとっては不幸なことです。

K:いくら財政政策を発動しても金融政策が縮小しては意味がないですよね?

T:両方拡張しないと意味ないです。政府と中央銀行が協力する必要があります。現在はどちらも引き締め気味ですね。協力もしてませんが。

K:それは経済学者にとっては常識だと思うのですが、なぜ政府や日銀には通用しないのでしょう?

T:一つは98年に日銀法を改正するときに、世界的に例がないほど、日銀の独立性を強めてしまったこと。それで日銀が政府を無視するようになった。法律をつくった人たちがあまりよく分かってなかったんですね。もう一つは政府のリーダーシップの問題。麻生総理(当時)が金融政策を否定してしまっている。

K:なぜ?

T:麻生さんに最初に言った人がいるから。誰かが麻生さんに「財政政策だけでいきましょう」と言って、それを麻生さんが表で言っちゃう。そうなると、それをひっくり返すのは難しくなってしまう。よくあるパターンです(笑)。

キム・ギドク『悲夢』

 いままでの作品(といってもまだ観てないのが3作あるが)の中では最も難解に思える。物語の詳細は端折るが、別れた女に未練をもつ男(オダギリ・ジョー)、そして別れた男に二度と会いたくないと思っている女(イ・ナヨン)。この二人はまったく他人でもあるにもかかわらず、男の夢を女が夢遊病者となり実行する。

 お互いの別れた相手もキーになっていて、いまは別れたもの同士が付き合っている。この(夢見男と夢遊病女からそれぞれ別れた)男女が情愛を交わしている場に、何度も夢遊病になった女(イ…夢の中ではオダギリ自身)が復讐に訪れる出来事を反復することに物語のかなりの時間が費やされている。

 女の夢遊病を救うために、オダギリはノミで頭はつつくは、目をテープで開いたり変顔つくって寝ない努力をする。ここらへんの寝ない格闘が、あまり出来が良くなく、ユーモア(変な顔)と残酷(ノミなどで身体を突く)が、少しも面白くも怖くもない。むしろそこはかとない奇怪さは、オダギリが日本語を、イ・ナヨンら韓国の俳優陣が韓国語を話す、言葉の二重構造である。これは面白い試みなのだが、全編にこの物語が実は夢ではないか、という疑いを常に観客に与えるには十分な役割を果たしている。

 その観客の疑念をいくたびか壊すのが、たぶん前記した変な顔や残酷な生生しいシーンなのだろう。この映画に描かれているのはあくまで現実(寝ないように苦しむ変な顔のオダギリ)と夢(オダギリの夢を実行するイ)の二重構造であると。そういった観客の二重構造への期待は、ラストの「胡蝶の夢」のモチーフによってとりあえずは止揚されている。wikipediaから引用しておくが(笑)、「荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか」。これはあまりよくできていないオチになってしまっている。

 キム・ギドクの「こころの清算主義」というべき視点は健在である。現実の意識と夢という潜在意識で繰り広げられる愛の諸相を徹底的に清算することで、何か異なるアルファ(ここでは胡蝶)に結実することを彼は示唆しているようだ。

関連エントリー

キム・ギドク『絶対の愛』と清算主義的なものの破綻http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070618#p2

キム・ギドク『悪い男』(清算主義<暴力>と倫理の関係)http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070608#p1

キム・ギドク『弓』http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070609#p3

キム・ギドク『鰐』http://blog.goo.ne.jp/reflation2008/e/fa53641a97e28b4c06779ec6fc1bbc05

キム・ギドクサマリアhttp://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070606#p2

キム・ギドク『悪い女 青い門』http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070611#p2

キム・ギドク『コースト・ガード』http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070630#p2

キム・ギドク『魚と寝る女』&『受取人不明』http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20071123#p3


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