インフルエンザポスター

 サイドバーにUNIQULOCKが再登場。なぜか重くて開けない病が解消されたので。九月からUNIQULOCKもデザインチェンジで、フランスまでいって撮ってきたみたいですね。この中で出演している四人のうちのひとりがインフルエンザでダウンしたというのをさっきブログを読んでしりました。

 インフルエンザといえば、イギリスの地下鉄などでやたら貼ってあった下のポスター(他にも二バージョンあり)がなかなか広告効果大で、地下鉄でくしゃみもできないプレッシャーを感じましたが 笑

 しかしイギリスネタでもブログに書くか、と思いつつもさすがに疲れが残存中で目先の仕事でもふーふーいってます。

二・二六事件と「改革病」

 何度か掲載しているけれどもエントリー題名で掲載してなかったので再録。日本の停滞を自らの政策の失敗(日本銀行財務省、そのお仲間政治家)を認めない勢力が、よそ様に活路を見出すことは古今東西どこでも観察できる事実。ほとんどが一種のホラ話だが、それでも政治的な話題になるとそれに群がる連中も多い。そもそも鳩山論文(読んでないけど 笑)で話題になったといわれる「東アジア共同体」はオリジナルな発想は官僚のおた話から始まったことは内輪ではよくしられていること。みみっちい数億円規模の予算をとるために「東アジア共同体」とぶちあげれば、予算がつくだろうと思った程度の話である。それがたまたまうけてブレイク 笑。そしていまでは政権与党の党首(次期首相)が間違いだかなんだか知らないが堂々と世界に発信するほどの化け物に成長したわけ。まったく官僚のみみっちい予算奪取の妄想を、その官僚のみみっちい予算奪取を批判することで人気を得ようとしている人物が語るとは。ある種の現代の奇怪な寓話に似ている。

関連エントリー東アジア共同体への懐疑http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20070705#p1
        窯変小国主義http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20060927#p1

二・二六事件と“改革病”」

いまからおよそ70年前の二月二六日に、帝都東京を舞台にした陸軍の青年将校

による政権打倒・「昭和維新」を目指すクーデターが起きた。当時の高橋是清

蔵相ほか、政権の幹部を殺傷、多くの軍・政府施設を占拠して数日後に反乱軍

の解散という事態で失敗に終わったこのクーデターは、日本の現代史にさまざ

まな伝説を残して今日も語られている。

例えばこの二・二六事件は、「皇道派」と「統制派」という陸軍内部の主導権

争いであり、前者が敗北し後者が勝利したことで本格的な戦争の時代に突入し

た、という解釈がいまも歴史の教科書やメディアなどに掲載されている。

また、この二・二六事件が「昭和維新」という天皇を中心とした国家改造計画

を狙ったものであることから、このクーデターの首謀者たちに思想的影響を与

えた北一輝西田税の関与も噂された。実際にこの二人は事件当時逮捕され、

やがて青年将校たちとともに非公開・弁護士なしの軍法会議の果てに、死刑判

決・銃殺に処されてしまう。

しかし現在では、研究者・マスコミ関係者の地道な実証研究により、二・二六

事件の実態の多くが明らかになってきている。まず歴史学者伊藤隆・北博昭

の裁判記録の発掘とその公表が特記されるべきであろう(『新訂 二・二六事

件 判決と証拠』朝日新聞社)。北はさらにこの記録を元にして事件の全貌に

ついての詳細なパノラマを描いてもいる(『二・二六事件全検証』朝日選書)。

また、いまから30年近い前にNHKで全国放映された二・二六事件時の軍部に

よる盗聴の録音盤をめぐる番組のその後の展開を追った中田整一の『盗聴二・

二六事件』(文藝春秋)は、伊藤・北らと同様に西田や北が“通説”のように

クーデターの黒幕でもなんでもないことを明らかにしていて興味深い。また

私自身も寄稿した『二・二六事件とは何だったのか』(藤原書店)には、事件

当時の内外の報道や知識人たちの反応や、また事件の現代的意義を明らかにし

た多くの論説を収録していて有意義である。

私はこの最後の本の中に収録されている哲学研究者・古田光の三木清について

の論説に注意を引かれた。というのも最近、浜田宏一、野口旭、若田部昌澄各

氏らともに刊行する日本の経済政策の研究書の中に、私は三木清笠信太郎

構造改革主義についての論説を寄稿したばかりだからである。二・二六事件

うけての三木清の反応とその影響について、事件に刺激されて三木なりのヒュ

ーマニズムに立脚する日本の改革を志向するようになったと古田は書いている。

また、二・二六事件を「ファッシズムの非合理化」の現れとして、真の社会の

合理化(つまり昔風の構造改革)として資本主義社会の改革を目指した、と古

田は指摘している。その具体的なものが、三木が日中戦争以降に展開した日中

親善に立つ大東亜共栄圏(いまなら東アジア共同体だろう)の確立につながっ

ていく。

しかし私はこのような三木清二・二六事件からの歩みは間違いであったと思

う。まず日中戦争勃発時に、天下り的に日中親善を唱え、「思想的課題」とし

東アジア共同体的な発想を謳ったが、それは戦争状態を思想的な問題に摩り

替える詐術を伴うものであった。やがてこの戦争状態という目前のリスクをみ

ない姿勢は、大東亜共栄圏とそれによる日本の現状の改革というユートピア

な産物に化身していく。実は、二・二六事件の衝撃が、このような目前のリス

クに無頓着な構造改革主義を生み出すだろうと、事件当時いち早く注目した人

物がいる。当時の『東洋経済』編集長石橋湛山である。

「記者の観るところを以てすれば、日本人の一つの欠点は、余りに根本問題の

みに執着する癖だと思う。この根本病患者には二つの弊害が伴う。第一には根

本を改革しない以上は、何をやっても駄目だと考え勝ちなことだ。目前になす

べきことが山積して居るにかかわらず、その眼は常に一つの根本問題にのみ囚

われている。第二には根本問題のみに重点を置くが故に、改革を考えうる場合

にはその機構の打倒乃至は変改のみに意を用うることになる。そこに危険があ

るのである。

これは右翼と左翼とに通有した心構えである。左翼の華やかなりし頃は、総て

の社会悪を資本主義の余弊に持っていったものだ。この左翼の理論と戦術を拒

否しながら、現在の右翼は何時の間にかこれが感化を受けている。資本主義は

変改されねばならぬであろう。しかしながら忘れてはならぬことは資本主義の

下においても、充分に社会をよりよくする方法が存在する事、そして根本的問

題を目がけながら、国民は漸進的努力をたえず払わねばならぬことこれだ」

(「改革いじりに空費する勿れ」昭和11年4月25日『東洋経済』社説)。

何か予想だにしない大事件が起きたときに、「根本問題」に惑溺することで、

目前のリスクを見失うな、という湛山の教訓はいまも重い。

雇用関係雑感&民主党の雇用対策は?

 日経ビジネスのインタビュー記事は、いま気がついたけど結構注目を浴びてたんですね。はてブとかいま見ましたが。

http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090820/203030/
http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090820/203030/?P=1

 まあ、インタビューの中の企業内失業、派遣労働禁止、公的雇用拡大、というのはどちらかというと僕の本題とは脇にそれたテーマで、インタビューの主眼は、景気対策が重要(特に金融政策と財政政策を積極的に)、それと長期不況に転じさせないこと(最も基本的に僕は90年代からの長期不況の悪化継続といまの日本の状況をみているだけですが)の二点だと、と思います。

 失業率も5.7%と最悪を更新してしまいました。ラスカルさんたちの分析もあるのですが、ただ総需要縮小という効果の前に、ある種の産業が雇用増をみせているというのは、その看護などの部門の雇用増というよりも供給サイドの公平賃金(これくらいの賃金ならば自分の働く規範に適応できる最下限の賃金水準)の切り下げが効いているからではないか、という気がします。そうであれば、総需要の回復にはほとんど貢献しないか、むしろマイナス要因でしょう(ここらへんはもう少し複雑に分析可能ですが)。他方で、職業訓練を促すというのは対策としては公平賃金の切り下げが雇用増の背景ならば,さしてこの部門の雇用増加に直接は繋がらないのではないでしょうか? いずれにせよ緊急避難的な雇用先があることはいまの状況ではないよりは数段ましな状況でしょう。公的雇用などもそんな認識で話しているわけです(特効薬ではまったくないわけです)。

 それとこれは最初に戻りますが、要するに決定的に重視しなければならないのは、「底打ち」とかなんとかではなく、不況を継続しないことでしょう。

 インタビュー記事

 http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090820/203030/?P=1
 http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090820/203030/?P=2(金融政策の役割が決定的に重要)
 http://b.hatena.ne.jp/entry/business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090820/203030/?P=3(長期不況化させないこと)

 ラスカルさんの記事
 http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20090830

 それと民主党の雇用対策がどうなるかです。この前、ラジオで城繁幸氏が「雇用対策と景気対策は違う」という趣旨の発言をされてて、それに対して私は「景気対策こそ最善の雇用対策である」と言い切りました。以下のソフトバンクメールマガジンに寄稿した民主党の雇用政策への批判もその文脈で書いたものです(一定期間経ったのでこちらにも転載します。ご参考ください)。現時点で、民主党が何を本当にするのか見えてきませんが。

民主党日本銀行に雇用の安定を求めよ」

 自民党民主党のそれぞれの政権公約マニフェスト)が発表された。マスコミでは財源論をめぐってマニフェストの検証が行われている。今回は民主党の経済政策について書くことが依頼時の約束だった。両方比較すべきだが、これを書いている段階(8月1日)では、自民党のものを書きたす余裕がない。とりあえず片翼で申し訳ないが、民主党のものに絞らせてもらう。

 前回の論説のなかで僕は以下のように書いた。

<比喩的にいえば、経済には潜在能力フル回転の潜在GDPと、現実の体力を示す実質GDPがある。この潜在能力を達成しているときには、完全雇用が達成されていると考えるわけである。そして潜在能力と現実の能力の差を、GDPギャップという(日本経済の体力格差みたいなもの)。だいたいこの日本経済の体力格差は、ここ1、2年は70〜80兆円の間ぐらいと推測できる。この格差をいかに縮小するかが、いいかえると人々が失業せずにすむ水準まで、日本経済の体力を回復することが、経済政策の取り組む大きな課題である。>

 この日本経済の体力格差は、「底を打った」として次第に縮小するものと期待されている。本当かどうかはわからないが選挙向けの願望もあるだろう。他方で失業率や有効求人倍率といった雇用環境の悪化、それにデフレの傾向に拍車がかかっているようだ。ここでは必要とされる体力格差を、例えば経済財政諮問会議(2009年3月25日)の岩田一政氏の発言を援用して、「13.5兆円から 22.5兆円」だと考えておこう。僕はもっとあると思うがここは共通の土台にのりたいのでこの数字を採用する。

 まず政権獲得に大きな期待が寄せられている民主党マニフェストhttp://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/pdf/manifesto_2009.pdf)からこの体力格差が埋まるのかどうかみてみよう。民主党マニフェストはかなり数字が具体的なので計算しやすいのが特徴だ。マニフェストの3ページ目の工程表をみると、22年度での家計などへの所得移転の額は、7.1兆円である。これに最低賃金引き上げや中小企業補助などが段階的に実施とある。いずれにせよ8兆円にはいかない規模だろう。ただ23年度以降は12兆〜13兆円超規模の家計などへの所得移転が行われるようだ。

 ところでここで「財源論」の登場である。民主党マニフェストだと25年度に16.8兆円の家計などへの所得移転が、主に行政機構の見直しとして25年度に16.8兆円削減と見合う形で実現されている。ところでこれは25年度の予算の帳尻である。それに先行する来年22度から24年度までの総額32.9兆円超の金額への「財源」は不明確である。ただより一層の行政機構からの経費削減でこの財源問題に適応するつもりなのかもしれない。少なくとも極端な増税や新規国債の発行を避けることが民主党の政策のひとつの特徴となっている。

 ところで従来からの民主党の経済政策を語る上で、最もすぐれた論考は、『Voice』2009年6月号に掲載された安達誠司氏の「景気回復を潰す政権交代」である。安達論文に僕の見解をミックスしてみると、1)緊縮財政方針の堅持(新規国債発行になるべくたよらない)、2)産業政策の導入(政府自らが有望な産業を選択、これに対して集中的に財政援助を実施)、3)金融引き締め路線(金融政策に対して積極的言及なし、しかも非伝統的金融政策への否定的な文言をわざわざ導入し、特に利上げに親和的) という3つの特徴を、従来の民主党の経済政策はもっている。この3つの特徴のうちマニフェストには1)が特に濃厚に表れている。2)は環境技術へのイノベーションなどに限定されている。2)については政府が新産業をリードする可能性は実証的に支持できないということが通説である。もしそれでもこだわるならば「新産業創出」という名のバラマキだと思えばいいだろう。

 1)は、財源論のところでもみたように、そもそも政府部門の非効率性を削減して、それで余ったお金を政府から民間の家計(特に低所得者層)に所得移転する方法である。しかし安達論文では、この民主党の政策は、低所得者層が公務員(とその関係者)よりも限界消費性向が高いことという前提に依存している。しかもこの前提は実証的に支持できない。さらに低所得者層がより一層貯蓄性向の方を高めてしまえば政府部門の非効率性の改善自体が、結果として景気をさらに落ち込ませるという面に注目している。

 しかもそもそもこの政策がたとえうまくいったとしても規模として、「13.5〜22.5兆円」の需給ギャップを解消するのか疑問である。パイの大きさを一定にしたまま、その切り方をかえるだけの方策でしかない。問題は日本経済の体力格差を埋めるだけパイの大きさを拡大することなのだが。

 さらに3)で指摘したように、マクロ的な金融政策にもきわめて慎重である。例えば鈴木淑夫参議院議員民主党)は、『日本の経済針路』(岩波書店、2009年)の中で、円高・デフレ・預金が目減りしない利上げに耐える日本経済を作ることをうたっている。現状で、この円高、デフレ、預貯金が目減りしている低金利はすべて日本銀行の長年の金融政策の失敗がもたらしたものである。

 失業率が過去最悪に迫る中でも、10年先のインフレ予想が安定しているので金融緩和を行うことはない、と公言している日本銀行がいかに国民経済の厚生と縁遠いものかは一目瞭然であろう。10年先に人々が物価が0%で「安定」している予想をもっているからといって、その10年の間に不景気や失職の惨状を放置していていいものだろうか? ちなみに米国の中央銀行であるFRBも長期のインフレ予想は安定的だが、その一方で周知のように、金利が事実上ゼロでも多様な手段で金融緩和を行っている。それはFRBの使命が、物価の安定と同時に雇用の安定にもあるからだ。雇用の安定を省みない中央銀行など国民の観点からは不用であるといって差し支えない。

 もし民主党マニフェストにあるように、「暮らしのための政治」を主眼にするならば、10年先のインフレ予想=物価安定の幻想にこだわり続け、結局は雇用環境の悪化を放置している日本銀行に対して、物価の安定と雇用の安定の両方を使命として課すという、日本銀行法の改正を提起するくらいの見識があっていいのではないだとうか? 日本銀行の使命に、雇用の安定が欠けていることが、結局は民主党の政策の運営自体を厳しい環境におくものになることを自覚すべきだと思う。

山本御稔『秘伝のタレは腐ってる?』

 ご本頂戴しました。どうもありがとうございます。山本さんの作品はどれも面白く私はファンなのですが、今回も題名が魅力的です。内容も行動ファイナンスや経済の簡単な原理を興味深い事例に適用して説明するという山本さんの職人技が今回もさえてます。山本さんの著作は、名作『ラーメンでわかる投資の理論』、異色のビジネス小説『MBA娘殺人事件』(品切れなのが不可解なほど面白い)、そして今回の著作と補い合う『「宝くじは、有楽町チャンスセンター一番窓口で買え」は本当か?』と本当に面白いんですよね。

秘伝のタレは腐ってる?

秘伝のタレは腐ってる?