長幸男『石橋湛山の経済思想』

 かって丸山真男は、自らの日本政治思想史研究を「本店」とし、時事的な発言を「夜店」と称した。そして日本経済思想史を「本店」とし、時論的な活動を「夜店」として精力的に活動した人物を、僕は少なくとも四人知っている。四人とは、元同志社総長であり日本経済思想史の先駆者であり戦前から戦後まで広汎なジャーナリズム活動を行った住谷悦治、その子息であり河上肇研究や民族学研究まで幅広い「日本学」の探求をしつつ、戦後の平和活動や経済問題について発言し続けた住谷一彦氏(立教大学名誉教授)、そして本書(『石橋湛山の経済思想』)の著者であり元東京外国語大学学長の長氏である。最後の四人目は想像におまかせする*1。彼らの「本店」と「夜店」をめぐる活動は、日本の経済学者の活動の中でも特異点を形成している。丸山がそうであったように、しばしば「夜店」は「本店」を飲み込み、「本店」の評価とその影響をも決定してしまう。もちろん「本店」は「夜店」のそのような不当な(?)越権行為を黙認することをよしとはしない。ここに「本店」と「夜店」の二重経営をするものの独自の葛藤と快楽が存在する。

 本書はそのような特異な思想史家の生涯にわたる業績のうち、代表的な論説を収録したまさにいま読むべき論説集である。なぜいま読むべきか。本書の題名にとりあげられた石橋湛山は、「日本のケインズ」として戦前から戦後にかけ東洋経済新報社を基盤に言論活動を繰り広げ、その中で日本の長期停滞を脱出するリフレーション政策(リフレ:デフレを脱し低インフレ状態を実現する政策。そもそものリフレを日本で積極的に使用したのは戦前の石橋湛山である)を唱えた。今日の「失われた15年」から世界大不況に直面している日本経済にとってその経済政策のメッセージは大きい。

 長氏は、石橋湛山のリフレ政策の思想的基礎を本書において掘り下げている。それは失業状態が人間の生き方を損なうことを明らかにし、それを回避するべきだという人間中心の経済学のあり方である。そして完全雇用を実現し、他方で湛山は漸進主義的な改革によって多様な利害関係を調整しつつ、国民各層の福祉を追求しようとした。その調整手段として、湛山は戦前においては普通選挙制度を支持した。この漸進主義的な利害各層の調整という観点は、一国のみならず、諸外国との間にも拡張された。当時の日本の人口増加の恐怖や国内の利害の解消を移民や外国への侵略によって解消しようとしたことに対して、湛山は戦前から準戦時体制への移行期にかけて軍備の放棄、他国への侵略の放棄、そして国際協調の下での自由貿易主義による立国を説いた。中国大陸への侵略の経済的な利益よりも貿易を活発化させたほうが利益が大きいということを客観的な数字で示すなど、湛山の経済主義的視点は卓越していた。


 長氏が湛山を研究し、それを自らの時論の基礎にすえるようになった契機も、本書では明らかにされている。安保闘争のとき、国会をとりまくあまたの大衆は、長氏にデモクラシーの前衛が、マルクス主義などが提示した労働者ではないことを印象づけた。では誰がその前衛か? 長氏は、当時の岸首相に同じ政党ながら退陣を要求していた元首相の湛山に面会する機会を得た。そこで長氏は、倫理的あるいは宗教的な信念に裏付けられたひとりの優れた政治家と対面することになる

 長氏は、このマックス・ウェーバーいうところの「責任倫理」にコミットしている宗教的政治家の過去の来歴を調査することで、日本におけるラディカルな、つまり前衛としてのデモクラシーのあり方を発見する。それが上記したリフレ政策の人間的基礎、一国のみならず外国との漸進的な利害調整としての構造改革の進めである。


 本書は、また宗教的な信念(組織的な宗教への信奉ではなく、個人的なそれ)と客観的な事実を見る目との緊張と、そこから生み出される洞察をも提示している。その意味でもっとも本書の中で重要な位置にあるのが、第6章の「小山東助と石橋湛山」であろう。

 小山(おやま)東助は、戦前に活躍した宗教家であり政治家である。湛山は小山の著作『久遠の基督教』を読んで深く共鳴するところがあった。長はその湛山の感想を以下のように整理している。

 このとき石橋湛山は『久遠の基督教』を読んで、仏教やキリスト教の言葉を使っているけれども人間にとって宗教はなぜ必要かとえいば、それは言葉ではないのだ。つまり、人間がそのような思想なり価値観を持つ場合に、それぞれの人には「縁」があるわけで、仏教世界で育ってきたか、神道の影響をうけてきたか、いろんな個人的事情、文化的環境といったものによって、真理をつかむ言葉、あるいは理論はひとりひとりちがう。だから小山東助が把握したキリスト教とくものは、他人事ではない。略 実際に生身で生きている人間小山東助がとらえたキリスト教なのである。私自身もそうである。

 湛山もまた仏教徒であると同時にキリスト教への彼なりの信徒であった。この組織的宗教からみれば矛盾する信仰の立場こと、長が注目している「あたりまえの人間として生きている普通の市民としての宗教家」の姿なのである。このことはまた、互いの価値観や思想。宗教の違いを調整し、互いの利害への配慮を重視する、湛山の漸進主義的な改革態度の基礎をなす、と長は言いたかったのであろう。


 この漸進主義的態度は、現実的であり実践的(プラグマティック)である。長自ら語るように、経済学者の理論や理論的な経済学そのものよりも、彼が「実業の思想」に魅かれたその理由も、湛山への深い理解と、長自らの現実げの関わりに人間の最も興味深い思想の表現がみることができる、としたその思想史的態度によるだろう。


 生前、長先生とは何度かお話をする機会があったが、それほど深いものではなかった。今回、生涯の伴侶であり、また思想史の伴侶でもあられた武田清子氏と、湛山研究の第一人者でありまた今回すぐれた著作解題を冒頭に書かれている増田弘氏の尽力で、私のみならず、今日の世界同時不況に悩むすべての読者に、この実践的な日本経済思想史家の内面とその活動が、新しい装いのもとに伝えられたことは、喜ばしいことである。


 末筆ですが、ご恵贈いただきましたことお礼申し上げます。


石橋湛山の経済思想―日本経済思想史研究の視角

石橋湛山の経済思想―日本経済思想史研究の視角

*1:経済思想史分野だと四人どころか日本人でも無数に存在するのだが。

『日経ヴェリタス』「アルファブロガーの情報力1」余談

 このヴェリタスの記事は、かなり反響が個人的にはあって、メールもいくつももらいましたし、面と向かっても感想を伺うことも2度3度とありました。やはり連載のトップバッターということと記事が非常に読みやすく、また経済系のブログの勘どころみたいなものが要領よく紹介されているので印象に残るものなんでしょう。

 そのうちブログについてはまとまって何か書ければいいと思ってます。香辛料もちゃんとまぶして(謎)

ニュースの深層、本日

 数日前にお知らせしましたように、本日「ニュースの深層」に出演させていただきます。初回放送は 夜8:00〜8:55。再放送については以下のサイトをご覧下さい。現状の景気、雇用、そして注目のプラスアルファの話題までできるだけ話します。

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 ニュースの深層

 「“雇用大崩壊”に打つ手は?」

  <キャスター> 宮崎哲弥さん