門倉貴史『貧困ビジネス』

 「貧困ビジネス」論者には、僕は疑いをいつも抱いている。例えば「ネットカフェ難民」が利用するネットカフェ、コインロッカー、コインランドリー、ファーストフード、携帯サービス、100円ショップなどが「ネットカフェ難民」を貧困に滞留させる役割をしている元凶として糾弾する人たちがいる。彼らの議論の前提では、そもそもこれらの「貧困ビジネス」を利用している人たちが自由選択でサービスを享受しているか疑わしいと考えているようだ。


 さて門倉さんの「貧困ビジネス」論は、上記のような疑わしい「貧困ビジネス」論とは一線を画すように工夫されている。なによりも門倉さんの長年にわたって蓄積された非合法ビジネスについての実証的考察が、本書を有益なものにしているといえるだろう。本書では「貧困ビジネス」を合法的ビジネス(100円ショップなど前記したもの)、グレーゾーン(一部の「ゼロゼロ物件」、日雇い派遣労働者など)、非合法(ヤミ金祐、偽装結婚、多重派遣・偽装請負)に区分して、それらの(ワーキングプア=年収が200万円にいかないフルタイム労働者の人が利用するだけでも)市場規模が約20兆円になるとその規模の大きさと指摘する。


 門倉さんの分析がさえているのは、やはり非合法の「貧困ビジネス」の分析であり、本書全体を通してよくもまあ、これだけの事例を集めることができるものだ、と毎回のように感心してしまう。臓器売買、外国人売春などの記述は個人的にあまり知らなかっただけに非常に参考になった。セックス産業関連の記述はいつも秀逸であるが、今回も風俗産業で働く女性たちの所得が減少することで、ホストたちの経済格差が拡大する、などの指摘もあり読ませる。


 もちろん本書では「貧困ビジネス」の光の部分にも焦点をあてている。例えば「日本版グラミン銀行」、「寄付ビジネス」、『ビッグ・イシュー』のホームレスの人たちによる販売などである。これらの事例では、貧困からの脱出において、資本市場へのアクセスが著しく制限されていることが貧困からの脱出においてネックになっていることが(本書には明示的には書かれていないが)わかるだろう。


 もちろんいくつかの点で僕は見解が違うところもある。その代表が本書では「貧困ビジネス」が消費者にとっていいかわるいかの尺度として付加価値をもとに判定していることだ。ただ本書には、「貧困ビジネス」ごとの付加価値の測定があるわけではない。しかし「貧困ビジネス」の有益さを判定するには、純便益(支払い意思額、機会費用の比較で算定される)の方が望ましいのではないだろうか?


 もちろん「貧困ビジネス」を利用する人たちが前述したような、自由選択を行うことが当初からできない人たちであるという可能性があるのかもしれない。もしそうであるならば処方箋はいささか複雑性をますだろう。なぜなら自由選択を行えないならば、選択の幅を増やす(つまり自由に利用できるお金を増やす)だけでは事態を改善するとはいえない。


 通常にイメージされる貧困の解消(=自由に処理できるお金の増加)が、「貧困ビジネス」を利用し、なおかつ自由選択を行えない(なんらかの認知バイアスをもっている)人には、有効な処方箋とはいえなくなるからだ。例えば、ここのhicksianさんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/Hicksian/20080914#1221383523で紹介されているブライアン・カプランたちの分析などはその問題を扱っているものだ。


 もし自由選択を認知バイアスで行えない人たちがいるとすれば、本書で指摘しているような最低賃金の引き上げなども、「貧困ビジネス」の罠からの脱出にうまく貢献することができるかはわからない。むしろ自由選択(=合理的選択)をしている、という前提で「貧困ビジネス」利用者の行動をとらえた上で、彼らの貧困制約を打ち消すこと(つまり利用できるお金を増やすこと)が望ましいという、経済学の通常の主張を採用したほうが、多くの「貧困ビジネス」論者の理屈はわかりやすくなる。


 もっとも多くの「貧困ビジネス」論者は、経済学を(例えば市場原理主義者と批判することなどで)否定的に扱っている。だが「貧困ビジネス」論者こそ市場原理主義(合理的選択)に立たないでは、彼らの主張を十分に展開できないことを知るべきである。


 最後は、いささか本書から離れたが、「貧困ビジネス」を考えるときのキーが、「貧困ビジネス」論者の安易な反経済学(自由選択できない貧困者)という前提にのらないことである、ということを書いたと理解していただければ幸いである。


 本書はあえてここで僕がおススメするまでもなく、すでに本屋などで評判になっている。「貧困ビジネス」を考える上で、例えば湯浅誠氏の『反貧困』などとともに、上記のカプランらの論文、あとハンス・アビング『金と芸術』などを比較参照して、問題のありかを考察する素材にすべきではないか、と思う。

貧困ビジネス (幻冬舎新書)

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